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学びのトンネルに灯りを 04

トンネル探検のおさらい

 前回はトンネルの暗闇がどのようなものかを詳しく分析し、そのなかで闇雲に歩き回り、立ちすくむ学習者の姿を浮き彫りにしてみました。この#クラヤミ(「なにがわからないかわからない」トンネルの中にいる生徒の状態を切りとった概念として、#クラヤミ,そこでもがく状態を#ヤミクモと表記)を再掲します。

  • 一般論と主張の取り違え

  • 具体と抽象の誤認

  • 因果関係の逆転

  • 対比の意図の無理解

  • 類比関係の無理解

  • レトリック・比喩の誤解

 上記6点は、評論文の「大きな枠組み」に関する誤解・無理解です。「あるテーマについて一般的・常識的通念を提示し、それを否定もしくは相対化してその理由・根拠を展開し、そこから自分の主張を結論づける」というのが評論文の「大きな枠組み・全体システム」です。この大前提を意識化できていないことから生じる#クラヤミです。もう少し解像度を上げると、理由・根拠の展開における「対比」「類比」「因果」「例と比喩」という「サブシステム」の認識不足による#クラヤミが見えてきました。
 「対比」には「違いA⇔B」と「変化A⇒B」があり、筆者はA・Bどちらに立場を置いているのか、という観点が欠落しているために展開がつかめない。「類比」については、一見異なる事象を抽象化するとA=A´であることに気づかず、別物と認識してしまい、「例と比喩」はそれがどんな抽象概念を具体化・感覚化したものか、その意図がつかめない。「因果」でとらえる視点がないために「AによってBとなる」「AしてはじめてBとなる」「AならばBとなる」といった因果関係文を原因と結果に分節できない。以上のことから、学習者の#トンネル、#クラヤミは、「読解の全体システム・サブシステムの無理解」に起因するのではないかと推定さる。―ここまでは前回のおさらいです。

                                                                                                                   photo by ak_rockstar

授業ノート,見出しのデフォルト化

 ここからは、いよいよトンネルに灯をともす実務作業を見ていきます。教師がまず第一にやらなければならないのは、大きな枠組み・全体システムの概観と、そのシステムを読解に運用するための支援です。無自覚的で断片的だった読解観点の可視化・統合・構造化をおこない、生徒自身が実践しながら認知システムとして定着させていきます。

 教師の観点から見ると同じ内容領域のものが非常に関連性があり十分に組織化されているが、生徒の観点から見ると断片化され混沌としていることを、教師たちは忘れてはならない。心の中で多くの知識の断片を次々と結びつけることで、生徒たちが徐々に専門的な観点を採用できるよう支援することが、教授の主な目的である。

マイケル・シュナイダー/エルスベス・スターン「学習の認知的視点:重要な10の知見」(OECD教育研究革新センター『学習の本質 研究の活用から実践へ』2013年

 そこで考えたのが、読解のルーティン化です。授業では#展開把握力としてタグ化して教えています。漫然と読むのではなく、以下の見出し(#)に沿って目的化して本文展開を読み取っていくことで、主旨理解の精度を高めます。なお、以下の読解の5ポイント(#)は、前回提示した「5つの視点ー読解のための基本概念」のことです。これについてまず講義します。説明も、生徒の理解もそこそこに、いきなり教科書テキストを素材に、このルーティンに従って読み、ノートに整理してまとめさせます。多少乱暴ですが、習うより慣れろで、自分の中の混沌を秩序として構成するダイナミズムを味わってもらいます。

授業での板書事項(「現代の国語」/「現代文B」(旧課程))

 上のように提示し(とはいえ、はじめはもっとシンプルに、徐々にこの全項目を加えていきます)、実際にこの5ポイントに則して読み、書いてまとめます。ノートに【テーマ】【常識】【常識の否定】【主張】【展開】とだけ全員共通の見出しを書き、その内容については生徒自身の読み取りをなるべく簡潔に書くという学習活動を行うのです。つまり指導者がかみ砕いて説明して整然と板書し生徒はそれをノートに写す、という作業はさせないということです。なぜならそれは、教師の思考の結果をただなぞっただけであり、授業を受けている生徒自身の思考が全く働いておらず、ノートは秩序だっているが、思考は依然として混沌のままだからです。すなわち「宛先のない知識の置き配」をやってしまっていることになるのです。
 ある程度時間を与え、生徒がおのおの「思考・判断・表現」を行ったら、そのプロセスを生徒同士互いに説明しあってノートを見せ合い、テキストに戻りつつ確認していくという「言語活動」を行います。自分の読解が妥当であったのかを確認し、自分の躓きについて他者からヒントをもらい、焦点のずれを修正する――。だんだんと混沌が整序され、読解ルーティンの有効性も実感していきます。もちろん全員が同じ理解スピードではないし、うまく呑み込めない生徒もいるので、教師が個別に手を差し伸べる場面も必要です。

結果的に「主体的・対話的で深い学び」になっている

 このように、読解の大きな枠組み・全体システムを意識化することでトンネルに灯をともし、その灯を頼りに生徒自身がクラヤミを進んでいく。仲間の灯にも助けられて明るさが増し、先行きが見えてくる。このありようがまさしく学習指導要領が謳う「主体的・対話的で深い学び」なのでしょう。つまりこのスローガンは、これ自体を目的として掲げるものではなく、「結果的にそうなっていた」という形で事後的に観察されるものだと思います。こうした言わば根源的な学び(「ラディカル・ラーニング」千葉雅也)を展開することが、クラヤミを灯しトンネルを抜け出すために不可欠なのではないでしょうか。次回はもっと具体的に、実際の授業の一場面を可能な限り再現したいと思います。生徒の躓きの例も示してみたいと思います。(05に続く)


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