「それって、本当にぼくなのかな、って思う。」
これは、昨日の話。
夜になって、くたびれて、眠たくて、床に就いたけど、なぜか眠気が覚めて、それで、書いている。
昨日は、珈琲屋になった。
半月ぶりくらいで、次に珈琲屋になるのは、1ヶ月後になるだろう。ぼくは、少なくともまだ、たくさん出店することはできないから。
具合がよくないことは、間借りさせてもらっているパン屋に到着しても、なんとなくわかった。
細かい忘れものを、いくつかしていた。
重要な忘れものはしていなかった。ので、代用できるものは、代用した。
それから、受け取るお金も、間違えたりした。ぼくが、提示した金額を間違えて。
カフェオレは、通常のコーヒーより、50円高い。
のを、うっかりして、コーヒーと同じ価格で提供してしまったり、お客さんから指摘されて気付いたりした。
(ゆえに、売り上げはたしか、100円くらい足りない。)
お客さんの方が損をしている場合は、すぐに言い出せるけど、そうじゃない場合は、言い出せない。訂正して、お金をより多くもらうのは(正確な価格とはいえ)申し訳ない。
つくづく、商売に向いていないと思った。
そんな中でも、「おいしい」とか「丁寧に淹れてくれている」とか、褒めてもらえることが、昨日はちらほらあった。
嬉しかった。嬉しいと、思えたことも嬉しかった。その場限りだとしても、感情が息を吹き返したことが。
夕方が近くなると、パン屋さんの方のお客さんも少なくなり、ぼくの方はもっと少なくなる。
うとうとしそうになりながら、やはり、自分はぼんやりしすぎている、と思った。
ここに来れば、珈琲屋の自分になれる、もしくは、戻れると思っていた。人前でコーヒーを淹れる、という環境によって。
でも、違ったみたいだ。最初から終わりまで、ぼんやりしたぼくを引きずっていた。今までは、そんなことはなかったのに。
だから、つまり、思ったより重症みたいだ。
どうして、と思う。
気分は沈んだり、沈まなかったりで、ひどく落ち込むことは、そうそうないけれど。
少し波が立っても、凪に戻るのも早くて、それって、本当にぼくなのかな、って思う。
なにも感じない、考えるのがむずかしい、それって、ぼくだったっけ。
……。
そんなことを病院で訴えたのが、ほんの数日前で。
それで、減薬したところなのだ。
もしかしたら、もう少し時間が経てば、ましになるかもしれないし、ならないかもしれない。
待つしかないか、と思う。