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珈琲屋のぼくは、そのままでいいらしい

知らない駅にいた。


知らない人がたくさんいた。


変な夢。


(でも、変な夢しか見ないので、いつも通りなのかもしれない。)


昨日が昨日だったからかな、と思った。


昨日は、レンタルスペースで、コーヒーを淹れていた。


淹れていた、といっても、そんなに杯数は出ていない。


でも、友人がぽつぽつ来てくれたので、それで満足だった。


出店を終えて、片付けていると、レンタルスペースの管理人の方が、戸締りに来た。


本来なら、正式な? 利用料を支払うところを、売り上げの1割でいいことになった。10分の1以下だ。助かるけど、申し分ない気持ちになった。


あまり杯数が出なかったことを知り、落ち込まずにがんばっていこう、とか、そんな感じで励ましてくれた。


ぼくは、落ち込んでいなかったので、そのことに落ち込んでしまった。


どうして、こんなにひっかかるのだろう、とファミレスに寄ったときに思った。


もともと、ぼくの知名度、立地、日にち、時間帯等から、あまり集客は見込めないと思っていた。


(もちろん、SNSで宣伝はしたけれど。)


でも、夜にコーヒーを淹れることは、やってみたいことだったし、まず出店の回数を増やすことが肝要だと思ったのだ。


それに、昨日は昨日で、ぼく自身は満足していた。そこに流れている空気に。(お客さんであるところの友人も、そうだったといいのだけど。)


だから、励ましてくれた管理人の方(この方も、また知人である)を見て、落ち込んでいないぼくは、おかしいのかな、と思ってしまった。


一応、飲食をやっている身なのだから、もっともろもろ、考えるべきだったんだろうか。とか。利用料を支払っているとはいえ、場所をお借りしている身なので、もっと集客に頭を割くべきだったんだろうか。とか。


……。


ということを、パートナーに話してみたら(昨日の出店に付いてきてくれた)、「自分は楽しかったよ」と言ってくれた。


「あいじさんが心地いいペースでいいと思う」「毎回落ち込んでいたら身がもたないから、いいんじゃない」とか、なんとか。


ありがたいことばだった。


まあ、たしかに、正しいことは、どこにもない。もちろん、管理人の方の気遣いは、うれしかったし、利用料を安くしてもらったのは、ずいぶん助かったけど。


そうか。ぼくのままでいいのか。というか、ぼくのままでしか、いられないものな。じゃないと、珈琲屋としてのぼくを、見失ってしまう。


これでいいのか、いいんだ。


噛みしめて、その日の夜、ぼくはよく眠れたのだった。

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