毎日は書けないけれど、定期的に書かないと、
9月1日。
特に変わらない、月の始まりだった。
そう思ったけど、そういえば、詩を書くのは、ひさしぶりかもしれない、と思った。
日曜日の10時のスタバは、それなりに混んでいる。
のを、わかっていたけど、席は空いていたから、SNSに投稿する短いものを何編か、集中して書くことにした。
ぼくの場合、短歌は日課で、その日に詠んだものをその日の内に投稿する。
けれど詩は、書きためておいたものを、1日1篇ずつ投稿している。
8月は(ふり返ってみれば、7月も)詩の方は、ほとんど投稿していなかった。
8月の半分以上は、コロナによって、もの書きどころか、生活もままならない状態が続いた。
短歌だけは、日課として染み付いていたから、1日でも途切れてはとんでもない、という意識がある。
ので、どんなに朦朧としていても、目を覚ませば、すぐにしたためていた。
(ぼくはなぜか、39℃まで上がっても、あまり苦痛ではなかったから、それが幸いしていたのかもしれない。)
でも、短歌を詠む体力はあっても、詩を書く体力はなかった。
詩は、いつもなら、1、2時間集中して、5、6編は書きためるから。
それもあるけど、短歌と違って、毎日書いていないから、も原因にあったのかもしれない。
じゃあ、これからは、毎日書こう。
というわけにも、いかない。たぶん。
必ず、ではないけれど、自宅だと、書きだすまでに時間がかかる。し、納得いかない出来になることが多い。
(あくまで、「自分が」納得のいかない出来であって、他の人がどう思うのかは、わからないけど。)
だから、カウンター席のある、集中できそうな場所まで行って、書くことが多い。
(短歌は、自宅でもどこでも詠む。場所がどうこうよりも、それこそ、毎日詠んでいるおかげだろうと思う。)
でも……そうだなあ。
結局は、慣れかもしれない、とも思う。
1篇もしくは2篇(ぼくは、対になる詩が好きでよく書く。)を、毎日少しずつ書いていけば、短歌と同じように、体力がつくのかもしれない。
……。
その気にならない。
ぼくは、詩に関しては、一気に仕上げる方が好きなのかもしれない。少なくとも、SNSに投稿する分は。
短歌と同じように、詩も毎日書くのは、するかもしれないし、しないかもしれない。
その気になればする……けど、ならない気がする。なんだか、わからなくなってきた。文面も。
ひとまず、昨日はひさしぶりにたくさん書けたので、体の奥の方でつっかえていたものが取れた。気がする。
詩は、毎日は書けないけれど、定期的に書かないと、具合が悪くなる。
厄介だなあ、と思う。