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ノイズ、ノイズが、ぼくを邪魔する、

ずっと、頭の中がうるさい。


塵も埃も、余さずつまっているような。


本を開いても、頭に入ってこない。


ので、調子が悪いんだと思う。


昨日今日に限った話じゃない。


しばらく、本を読むのに苦労している。


フィクションでもノンフィクションでも、学術書でもそうじゃなくても。


なにか、ノイズとしか言いようのないものが、ぼくが理解したいものを拒もうとしている。


調子が悪い。


調子が悪いんだ。


わかっていても、好きなことが阻まれるのは、気分がいいものじゃない。


単純作業ならできる。


から、頭の中がうるさくても、できることをしている。


ひとりだから、だめなのかな。


と思って、夕方になったら、書店に行った。


文芸誌をぼんやり眺めてから、併設のカフェに行った。


いつもは紅茶だけど、ピーチネクターにした。


気分転換には、ならなかった。


ダーラ・マカナルティの『自閉症のぼくは書くことで息をする』が、もう少しで読み終わりそうだった。


これを買って、もう1年が経ちそうだった。それとも、2年だろうか。


読み進めるときは、ものすごく読み進めるのに、読まないときは、まったく読まない。


(それは、他の本にも言えることだった。)


それでも、ぼくにとって、きっと手放せないだろう本、共に生きてほしい本だった。


とても読みやすいのに、そのときのぼくも、なかなか頁が進まなかった。


2、3行読んでは、また2、3行前に戻る。そのくり返しだった。


それでも、悪あがきのように、時間をかけて、頁を辿っていった。


ときどき、レポートパッドに書きなぐったりもした。


もちろん、レポートに出すためじゃない。最近は、メモをするのに、ときどきこれを使う。使いやすいから。


そのときは、ぼくの頭の状態を、書けるだけ書こうとした。読書と並行して。


思い出した。そうだ、ぼくはなぜか、ふいに、蝋燭の火を思い浮かべていた。火を眺めるのが好きなぼくは、ときどきそうするのだけど、引っ越してから、あまりやらなくなっていた。


あの揺らぎを、ふいに思い出して、すると、頭の中の水位が、少しずつ下がっていくような心持ちがした。


完全に、ではない。でも、読み終えることができた。締めくくりが、とても丁寧だった。折り紙を折るときに、両手の指先が、つい、と触れるみたいに。


まだ、ノイズは走ったままだけど。


だから、気分はいいとは言えないけど。


どこかで、蝋燭を買えないかな、とは思った。

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相地
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