見出し画像

不快にさせる、才能だけがある

心配されることに、慣れていない節がある。


昨日は、自転車で30分かけて、知り合いが喫茶営業をしているところへ、行った。


また30分かけて帰るのを知って、同席していた初対面の人に、自宅の近くまで送ってもらうことになった。


ぼくは、最初は断った。


でも、大抵こういうときは、ぼくの方が先に折れてしまう。


最後まで断ればいいのか、厚意を受け取った方がいいのか、どちらが礼儀に欠けないか、わからなくなるから。


それで、よせばいいのに、自転車を車に積んでまで、送ってもらった。


それで終わればよかったのに、あとで、チェーンロックを車内に落としたことを知った。


ずっと胃が痛かった。


心配される、というか、心配してくれる、というか、そういう人達が、増えた気がする。


ぼくの周りに。


でも、ぼくは、どんなことをしたら心配されるのか、よくわかっていないところがある。


そろそろ6年か7年の付き合いになるパートナーが相手でさえ。


喧嘩(と言っていいものか。パートナーは怒るのが苦手だから、ぼくが一方的に怒るだけ。)をして、色々あって、「○○(ぼく)さんがいなくなったら、嫌だ」と泣かれると、未だに驚いてしまう。


「未だに」なので、そう言われたことが、何度もあったのだけど。でも、毎回、はじめて言われたかのように、新鮮に、驚いてしまう。


30年近く、ぼくは、奈落の底にいたけれど。


心配されたことは、少なからずあったはずで。


でも。


事故にあったとき(軽傷だったけど)周りに迷惑をかけるなと、蔑まれたこと。


鬱病になったとき、罵られたこと。


追い打ちをかけるように、罵った---親に感謝するように、---親に言われたこと。吐き捨てるように。


それで、ぼくはだんだん、自分を、心配されるに値しない人間だと思うようになったのかな。


自分以外のせいにしてばかりだと、思うだろうか。


その通りだから、なにも言えないけれど。


ただ、30年かけて、頭や体に染み付いたことって、なかなか消えてくれなくて。


初対面の人だけじゃなく、知人友人が相手でも、ぼくは会話で緊張する。


相手が、不快な思いをしていないだろうかと、どこかでずっと考えている。


ただでさえ、喋り方が変だと指摘されたり、あげくの果てにはバカにされることもあったのに。


ぼくには、ぼくの喋り方がどうしておかしいのか、わからないのに。


(現在進行形で聞こえている喋り方と、録音から聞こえてくる喋り方は、全然違う。)


ようやく、環境に恵まれた今も、なんで、こんなに苦しいのか。


ぼくは、パートナーに長生きしてほしいと思っている。


でも、ぼく自身は、長生きできるのか。


先が、見えずにいる。

いいなと思ったら応援しよう!

相地
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 「サポートしたい」と思っていただけたら、うれしいです。 いただいたサポートは、サンプルロースター(焙煎機)の購入資金に充てる予定です。

この記事が参加している募集