「持たない人の、持つ人への過剰な感情移入とか、いらない。」
ネイサン・ファイラーの『ぼくを忘れないで』を、最初から読み始めた。
「最初から」というのは、途中まで読んでいた、ということだ。
それを手にしたのは、そして、はじめて読んだのは、たぶん2年前だと思う。
自分の誕生日に、自分で買って。
そしてそれは、1年前じゃないはずだから。
最後に読んだのは、いつだったのか、覚えていない。
意外だったのは、栞を挟んでいる位置だった。
3分の2は、読み終えていた。
もう少しで、読み終えるところなのに、中断していたのか。
あらすじをすべて忘れたわけではないけれど、栞を挟んでいた頁の前後は覚えていなかったので、読み直すことにした。
たぶんだけど、冒頭を読むのは、これで3回目、と思う。
たぶん。
ダウン症の人と、統合失調症の人が登場する。
(と、本のあらすじに、しっかり書いてある。)
ぼくとは、違う疾患だけど。
たとえば、精神疾患とか、発達障害とか、そういうのを扱っている本は、ぼくが持っているのは、海外の作家が手がけたものがほとんどだ。
(もともと、持っている数は少ないのだけど。)
日本が、必ずしもそう、ってわけじゃないけど。
なんというか、距離感が好きだ。
変に励ましたりとか、無理に立ち直らせようとか、そういうのがなくていい。
描写が淡々としていると、よりいい。ぼくにとっては。
疾患を持つ人への、持たない人の過剰な感情移入とか、いらない。
特に最近は、嫌なこともあったし。
なにも知らない人より、半端に知識を持っている人からの無自覚な攻撃の方が、痛いときもある。
それは、どうでもいいとして。
ぼくが映画を見るときの姿勢と、少し似ているのかもしれない。
「似ている」と言っていいのか、わからないけど。
ぼくは、邦画をあまり見ない。
それは、完成度とか、そういうところではなく。
日本が舞台で、(一目でそうとわかる)日本人が登場人物のほとんどすべてを占めているところが。
どこが苦手なのかといえば、自分に置き換えやすいから。
すべての邦画が苦手なわけではないけど、いじめとか偏見とか、自分に限りなく近い状況であればあるほど、ぼくは気持ちが悪くなる。そして、しばらくは引きずる。
本でも、同じようなことが言えるのかもしれない。
現代文芸に疎いのは、そのせいなのもあるのかな。
あと、精神科医が著者の精神疾患についての新書も読めない。
立ち読みしただけでも、フラッシュバックが起こって。
……。
とにかく、『ぼくを忘れないで』は、このまま読み終えたい。
できれば、何事もなく。