見えにくいのが悲しい、単純な話。
少しだけ、ほんの少しだけだと思う。
そんなに、何メートルも離れていない。
けれど、書店の天井に近いポップが、ひどくぼんやりして見えた。
コンタクトが、合っていないのかもしれない。
まあ、気付いたのは、昨日今日ではないけれど。
なんとなく、遠くの方が、ぼんやりしているな、って。
運転には支障がない、ありがたいことに。
(標識が、あのフォントなのは、きちんと意味があるのだ。)
生活に困るほどじゃない。
でも、ぼんやりしているな、と思うと、少し悲しくなることがある。
理由は、わからないけど。
前回、眼科で視力検査をしたとき、コンタクトの度数が少しだけ下がった。
つまり、以前より見えにくくなった、ということだけど。
ナース曰く、「この度数でも問題ないだろう」と。
実際に、少なくとも検査室では、今付けているものと以前から付けているもので、大差はない気がした。
まあ、たしかに、大差はないと思う。
でも、見えにくいものを見つけると、そのままの度数でよかったかもしれない、と思った。
それから、気付いたことがある。
見えにくいな、と思ったのは、書店だったこと。
それは、昨日もそうだけど。
だから、つまり、たぶん。
ぼくは、文字が読めなくなる、もしくは、読みにくくなるのが、悲しいのだ。
べつに、近寄れば、はっきり読むことはできるのだけど。
ふと、遠くの方になにかを見つけて、それが、すぐに読めないことは、なんとなく悲しいように思う。
それは、ぼくが活字が好きなせいだろうか。
まあ、そうなんだろうな。
どんなに距離があろうと、そのとき目にしたものが、読み取れないのは、なんか嫌だ。
だからといって、どうしようもないのだけど。
……まあ、また眼科に行って、度数を戻してもらえばいいのだけど。
(前回の診察で、勧められるまま定期便を申し込んだので、手続きが面倒くさそうだけど。)
文字が読めなくなる、というか、本が読めなくなるのは、自分で思うより悲しいことなんだな、と思った。
(なんかずっと、同じことばかり言っている気がする。)
昨日の場合、書店に寄ったのが、夜だったせいもあるのかな。
人間の視力も、時間帯に影響する? 鳥みたいに。
まあ、いいか。ぼくの悲しみは、(ひとまずは)眼科に行けば解消されるんだから。
……その前に、耳鼻科にも行かないといけないな。
病院に行くのって、なんであんなに億劫なんだろう。
いや、行きます。
来月のどこかには。
この記事が参加している募集
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 「サポートしたい」と思っていただけたら、うれしいです。 いただいたサポートは、サンプルロースター(焙煎機)の購入資金に充てる予定です。