貴族

日々生きるためにしている仕事。その他生活の記憶や記録

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日々生きるためにしている仕事。その他生活の記憶や記録

最近の記事

好きなこと(日記)

ここ最近は労働と生活の日々を送っている。去年の12月に仕事を辞めてから3か月近く仕事をせずに過ごしていた。その期間はのんびりと豊かに過ごせたのだけれど、当たり前だが働いていない分のツケを支払うべく今は労働をしている。労働といっても就職する前にやっていたUberをまた再開させただけだ。いま人に「最近どうしてますか?」と聞かれたら何と答えるだろうか?コロナ禍の数年、シナリオコンペに応募するために過ごしていた日々は何とも答えづらかった。その時も基本日中はUberをして、それ以外の時

    • 現実逃避

      確定申告が嫌すぎて憂鬱だから日記を更新することにした。 ここ最近はようやく現実に対応するべく確定申告に取り組み始めた。去年からは青色申告を始めてYoutubeを見たり青色申告会の会場で質問しながらなんとか確定申告をすることができ結果も満足のいくものになった。なぜ去年はあんなに真剣に確定申告に取り組めたのかと疑問になるぐらい今年は本当にやる気が出ない。今日も昼近くに起きると日課の育て始めたラディッシュと金魚草をベランダに出し水やりをし掃除洗濯を終わらせると団地の商店街へと出かけ

      • 気分は上々

        仕事を辞めて1ヶ月と半分は過ぎた。いや、もう少しすぎているかも。 退職してからは忘年会やら新年会やら帰省やらでバタバタしていて仕事というものをほとんどしていない。それでもまぁなんとかなっている。 去年の今頃はちょうど救急搬送されたあたりで精神的に終わっていたころだった。いま冷静になって振り返ると去年1年は妙な焦燥感に駆られていた。それに比べると今はもっと経済的に不安定だし、就職のために引越したのに退職してしまって前よりも家賃も高くなってしまっているが、概ね気分は上々だ。その理

        • 日記、退職など

          先週の金曜日が会社の最終日だった。 いつも通りに出勤して退勤した。早くに倉庫に戻ったから荷役の人たちの仕事を手伝う。 荷物をまとめ、返却するものを返す。 課長は退職を伝えた翌日から目に見えて態度が悪くなったが、最後の二日ぐらいは前と同じ感じに戻っていた。 他の社員の人たちと最後に連絡先を交換する。 『前の会社良かったら紹介するよ』とか、なんとなく交換したりだとか。『辞めるならパワハラのこととか労基に訴えて欲しい。うちらが言っても何も変わらないから』とも言われる。ジャイアンも

          終わりはない、終わりはある

          日々疲れている。就職や引越しをした時の高揚感はもう早くも薄れてきてしまっている。 今日は映画を観た帰りに新宿で小田急線に乗り継ぎしようとして迷子になってしまった。 今までは西武線だったから西武新宿駅に行けばいいだけで簡単だった。初めて小田急線沿線の民になって新宿駅をウロウロするという感覚は新鮮だった。 『きのう生まれたわけじゃない』を観て思ったのはどんなに歳をとっても、どんなに月日が経とうと人は悩みや迷いを捨て去ることなんて出来ないし、そういったこと全てに終わりなんてない

          終わりはない、終わりはある

          久々、日記

          前回の日記から大分時間が空いてしまった。 あれから怒涛のように日々が過ぎてしまった。それは就職したこと。そして、引越しをしたこと、8ミリのイベントなどに参加していたことが大きい。ほとんどの休みが予定で埋まってしまい、また仕事の疲れから休みの日に何も手につかないという日々が続いた。 仕事はやはり大変で、初めは小平から通っていたがあまりにも通勤に時間がかかるため引越しを決めた。小田急沿線の都内でも屈指のマンモス団地だ。本当はそこからでも職場への通勤はバイクで1時間近くかかる。な

          久々、日記

          9月前半、日記

          まだ日中は暑いけれど、もう秋が近づいてきている感じがする。 この日記みたいなモノは自分の考えを整理するために書いていて、ゴチャゴチャとした戯言のようなものを垂れ流していて改めて見直すと恥ずかしい気もする。最初の方は書いた後に読み返したりしていたけれど、最近は読み返さずにそのままアップしている。まぁ大して読んでいる人もいないだろうし、自分の考えは変わるものだから、その時点で思ったことや感じたことをなるべく書くようにしている。 実は8月末に受けていた会社から内定の連絡があり、そ

          9月前半、日記

          8月末、日記

          8月の頭にコロナになったとき3日間は39度の熱が出てしんどかったけれど3日の夜ぐらいから熱は下がり続け、それ以降は熱はないけど怠さや頭痛、咳が残った。8月27日の現在は咳が残っているだけで怠さや味覚障害はなくなった。8月5日からコロナになりお盆中の楽しそうなイベントは全て参加できなかったのが残念だった。ロケハンや8ミリのイベントスタッフ、花火など。バイトも出来ず使えるお金も減ってしまった。熱は下がっても慢性的な身体の怠さでバイト(ウーバー)に出かけてもすぐにぐったりしてしまっ

          8月末、日記

          コロナになって

          先週は月曜日に就職面接を受けて翌日の火曜日は群馬へと帰った。 介護の相談をハローワークでした際に「家族とも相談した方がいいよ」と言われたからだ。うちは小さい時から家族会議というイベントを行ったことがない。何なら家族の会話というものがほとんど存在していなかった気がする。なんとなく日常の連絡をするぐらいだったと思う。 それがいきなり親の介護について真剣に家族で話す…というのはとてもハードルが高いと思った。自分としては別に今すぐ介護のサービスを利用しなくても話しぐらい聞いておけばい

          コロナになって

          7/26~31までの雑記

          7月26日はオンラインの求職者支援訓練で家でWEBデザインの制作をしていた。と言ってもこの講座ももう3か月以上通っていて、最初の講師の人はすごく教えるのが上手くて授業も楽しく日々自分の知識や技術が増えていくのが楽しかった。しかし、途中で別の講師の人がメインになってからは本当にただ教科書を読み上げるだけというクソみたいな授業が続き、しかもプログラミングの授業だから何もかもがチンプンカンプンで日に日に授業が嫌になってきた。たまに通いで学校に行き他の生徒の人と話すと多くの人が同じ感

          7/26~31までの雑記

          日々

          地元の工場からの内定を断ったあと数日は後悔や悩みを抱えていた。 もう断った後なのだから悩んでも仕方ないのにグルグルと考えてしまうのが昔から自分の悪い癖だ。会う人会う人に「実はこういうことがあって」と話してしまう。自分の中で居場所を持たない考えを少しでも外に出したいと思う。親、介護、就職、将来…。ただ、あまりにも明るい話ではないので話す人も同じように落ち込ませてしまう。今後はあまり話さないように気を付けようと思った。こういう時にカウンセリングとか受けられればいいのかもしれない。

          面接、その後

          この間の月曜日に工場の面接を受けるために群馬へと帰った。 朝7時に家を出て11時頃に到着した。その日は茹だるような暑さでスーツを入れたキャリーケースをゴロゴロと引きずりながら歩き回るにはしんどかった。駅内のマックで食事をとり近所のタイムズカーシェアで予約しておいた車に乗って出発する。途中のコンビニでスーツに着替えて工場へと向かう。緊張の高まる中その場所へ到着する。 しかしその場所は初めて訪れた場所ではない。昔母がパートとして勤めており、小さい時にお祭りに参加したり自分も仕事で

          面接、その後

          それから、雑記

          前回応募した地元の工場の書類選考が通っていた。先方から電話があり面接の日程を調整して今度の月曜日に面接や工場見学などに行くことになった。 工場の場所は実家から車で10分程の距離だ。姉には伝えてあるけど親には伝えていない。変に期待されても嫌だし受かっても帰るかどうかはまだ悩んでいるからだ。 ここ最近はようやくコロナも世間的には落ち着いてきたという様相で新たな人々との出会いや、久々の再開も本当に多くなってきた。 この3年間は本当に特殊な日々だったと思う。まだ実際にはコロナの感染

          それから、雑記

          ここ最近のこと

          先週、久々に知り合いの監督するMVの撮影に車両兼制作で行ってきた。撮影自体はとても楽しく疲れたけれど「やっぱり撮影って楽しいな」と思う現場だった。思えば8年ほど前に友達の紹介でドラマの撮影に行ってトラウマになって以来一切の撮影に関わるのをやめていた。月10万円ちょいの給料、暴力、人格否定、ひたすら休みもなく1日3時間しか眠れない日々。1ヶ月半という短期間で実家へと帰ってしまって、情けなくてしばらく知り合いに会えなかった。その後も映画に関わる仕事を紹介だったり自分で探してやって

          ここ最近のこと