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7/26~31までの雑記

7月26日はオンラインの求職者支援訓練で家でWEBデザインの制作をしていた。と言ってもこの講座ももう3か月以上通っていて、最初の講師の人はすごく教えるのが上手くて授業も楽しく日々自分の知識や技術が増えていくのが楽しかった。しかし、途中で別の講師の人がメインになってからは本当にただ教科書を読み上げるだけというクソみたいな授業が続き、しかもプログラミングの授業だから何もかもがチンプンカンプンで日に日に授業が嫌になってきた。たまに通いで学校に行き他の生徒の人と話すと多くの人が同じ感想で、自分を含め学校側に抗議のメールを出したけれどあまり改善されなかった。この間の通いの授業の時にはついに生徒の一人と講師が喧嘩になってしまい、本来なら通いの日も全てオンライン授業になってしまった。ズームを利用した授業だと質問しづらいし、また講師の人の回線が悪く音が途切れ途切れになるから余計に何を言っているのかわからない感じになる。そもそもWEBの講師なのにZOOMも全然使えていない。本当にこの人はWEBデザインがまともに出来るのだろうか?

そんなこんなでかなりやる気を失ってしまった。また、工場での求人に応募するための書類の作成や面接の練習や対策、実家をどうするかということを姉と相談したり色々考えていたりすると気持ち的に打ち込めない状態になっていた。月10万円の給付金はありがたいけれど、それだじゃ足りないからウーバーで空いている時間にお金も稼がないといけない。なかなか時間が足りなかったりするのに空いている時間はボーっとしてしまったりして良くない。

この日は同じく求職者支援訓練のクラスメイトである60代のMさんがお茶をしようということで、小平のコメダで落ち合っておしゃべりをした。
大体は求職者支援訓練の愚痴だったり、色々と身の上話をした。
Mさんはもう孫もいるが「何歳になっても変わらないよ、こっちはもうカウントダウンが始まってるからね」と言っていて、もう還暦も超えて孫がいようと悩みや人生をどうするかってことの考えは尽きないのだなと思った。昔誰かが歳を取ればとるほど楽になっていたけれど、そうでもないみたいだ。自分ももう35歳だけど悩みは尽きない。終わらないワニワニパニックみたいだ。とりあえずその日は2人で何かしよう、Youtubeでもやってみようかという提案をMさんからもらって、正直漠然と何かを始めるのに抵抗感があるタイプだけど、そんなこと言ってたら何もできないし遊びでやるにはいいかもしれないと来週の木曜日の授業後に新宿で何か撮ることが決まった。

27日もオンライン授業だった。授業中に条件が良さそうだなと申し込みをした求人から書類選考通過の連絡が来ていた。面接は31日の月曜日。
もう受けるだけ受けてみようと決め、授業中は提出する履歴書と職務経歴書を作成していた。完成したものをまた訓練校に出してチェックしてもらう。
授業が終わって友達の村上さんと約束していた上石神井にあるノワールという喫茶店に向かうことにした。その前に沼袋で村上さんと落ち合い一の湯という銭湯へ久々に向かった。2019年の頭まで野方に住んでいたので度々訪れていた銭湯で、相変わらずお客さんも多いし綺麗でいい場所だった。自分は神経質でプールや公衆浴場の類は少し苦手で、知らない人のエキスがそこかしこに点在している気がして何かきっかけがないとあまり行かない。
終わって上石神井に行く。ノワールで関さんや日景さんつじさん達と合流する。関さんは昔から8ミリ関係でお世話になっているし、日景さんやつじさんはこの間のMVの撮影で知り合ったり久々の再開で、今日もまた一緒に遊んでいる。ノワールは全面喫煙可のお店だから喫煙者は嬉しいだろう。ゴハンも美味しいし量が多くて最高だった。
終わって野方で飲み直そうとなって移動する。そこでNさんと合流して居酒屋へと入る。なんやかや飲んだりしゃべったりして、もうオールだってなって歩いて高円寺へ行く。野方は6年も住んでいて、バイト先も野方と高円寺の間だったから懐かしい気持ちになる。6年も住んでいたのにあまり決まった思い出が少ない気もする。例えば新潟には3年しかいなかったけど、数えきれないぐらいの思い出がある。
野方での6年間は零れ落ちないように、これだと思ったものを掴もうと静かに走り続けた日々だったと思う。お金がないとか、悔しいとか、そういった辛く未だ言語化も整理も出来ない記憶が思い出すことを拒否している。
環状七号線沿いをとぼとぼ歩き続け高円寺駅に到着する。そして、北口側にある沖縄居酒屋へと入る。お酒を飲んだり皆と話している中で感じたんだけど、20代後半ぐらいまでだったら今日みたいな日は「楽しかった」だけで済んだはずなのに、今は何故か寂しくなる瞬間が多い。ワイワイと楽しんでいて人との出会いはもちろん素晴らしいことなんだけど、このままでいいのだろうかという感覚…それは年齢や自分の状況によるものが大きいと思う。
その後、寂しさや今ここにいる感覚が薄いみたいな話になって、Nさんのポジティブな感じ方や考え方の話に触れて、割と心が動かされる感覚があった。
自分は人一倍不安が強いタイプなのか、常にネガティブになる種を見つけてはそれにどう対処するのか、というのが行動パターンになっている。でも、それだと「今」を感じられない。この瞬間を生きていけない。何かの本で読んだけれど、目の前にあるものを声に出して読むと今ここにあるという感覚が戻ってくると書いてあった。例えば今自分の目の前にはキーボードがあって、モニターがあって、飲みかけのグラスがある。みたいなことを頭の中でもいいから読み上げていく。すると、今ここにあるという感覚が取り戻せる。誰かといる時にも目の前の人にフォーカスを当てて真剣に過ごせれば寂しさもきっと少なくなるのではと思った。誰かといる時に自分がいつも思うのは、あと少ししたら別れてまた寂しくなるということだ。
朝になって明け方の高円寺を皆で中野まで歩いてそれぞれ解散した。

28日は1時間だけ寝て何とか目を覚ましオンラインで授業を受ける。
終わって少し眠り近所のラーメン屋でラーメンを食べてまた眠った。

29日は朝起きて洗濯をしてウーバーに出かける。2時間で6千円ぐらい稼ぐ。最近またウーバーの利用者が増えているという感覚。暑い寒いはデリバリーの利用者が増える。もしかしたらコロナを警戒している人もまた増えているのかもしれない。終わって帰宅し近所にカメラを持って出かける。ぽつりぽつりと写真を撮る。
そして、夕方になって最近行ってないな~とキノコヤへ行きたくなり、向かう。19時過ぎぐらいに到着して入店。詩人の方と歌人の方がいて話を聞く。詩も短歌も興味があるけど全然知らないので、短歌の方から色々とおススメの本を教えてもらえてうれしかった。キノコヤにあった本を由美子さんから借りる。みんな帰ったし帰ろうかな~と思っていたら黒川さんが何処かから帰ってきて、おしゃべりをする。キノコヤは居心地がいいから一度行くとなかなか帰れない。申し訳ないなぁと思いつつ夜中の1時過ぎに退店する。こういう場所があるとホッとする。新潟ではシネウインドが居場所だった。東京に上京してきてここが居場所だと思える場所はいくつあるだろうか。自分の中の東京は目まぐるしくありとあらゆるものが展開していって、気がついたら時が過ぎ去っていく場所という印象がある。黒川さんとは新潟の縁で知り合っているので不思議な関係だなとも思う。

30日は朝から家の掃除をする。風呂掃除やトイレ掃除、掃除機をかけ洗濯物を干す。久々にステーキが食べたくなり西友にステーキを買いに行く。西友が一番肉がでかくて安い印象があったけれど、行ってみると前よりも小さく値段も高くなっている気がする。これも物価高の影響だろうか?
帰宅し調理して食べる。満腹でダラダラしてしまうのはよくないのでウーバーへと出かける。2時間30分で9千円ぐらい。珍しく東村山を中心にグルグルと配達する。多摩湖まで飛ばされたときは心が折れそうになった。そして、東村山駅近くの線路が高架になろうとしていて驚いた。2年前から工事しているなと思っていたけれど、久々に見たらかなり進んでいる。

31日は採用面接の日で学校はお休み。久々にスーツを着て家を出る。
14時から本厚木で面接なので、武蔵野線の新小平駅へ原付で向かう。間違えて早く出てしまったので中華料理屋でから揚げ定食を食べてお腹がパンパンになる。電車に乗り府中本町→登戸→本厚木という感じで到着する。電車に乗っていたのは1時間ぐらいか。早く着き過ぎてしまったとエクセルシオールでお茶してから目的地へと向かうと、道を間違えてしまい遅刻寸前になる。せっかくめちゃくちゃ早く家を出たのになんて失敗だ!と思いながら炎天下の中スーツで走る。目的地の前に誰か立っていて「やべぇ」と思いながら走り続ける。予定時間3分前になんとか到着し、会社の人も「いや~走らなくていいよ」と笑って出迎えてくれた。
面接を受ける部屋で少し休みなよと言われ冷たいお茶をもらう。優しい。そして落ち着いてきて面接がスタートする。相手は2人で堅苦しい面接ではなくざっくばらんな感じだった。職種としては運送業になる。ただ、運ぶのは大元の会社の製品のみで防災設備の配送がメインの業務だ。相手的には未経験でも良いからということで応募を出したけれど、40代や50代の応募ばかりで30代だとありがたいという感じだった。自分は中型免許も持っているし、2トンや4トンでの配送経験もあるので経験としては問題ないという感じだった。面接官の2人はこの事業所の管理職の方らしく、見た目は厳ついけど雰囲気は優しくて安心したけれど「こんな感じだけどいざ入社したら豹変するのでは?」と過去の記憶が猜疑心を掻き立てる。
前に働いていた運送会社も面接では調子が良かったけれど、いざ入社したら研修の段階でパワハラをかましてきて他の業者が止めに入ったり、面接で言っていた事と実際の給与や休みの形態が違っていたり、過積載という違反行為を平気でやっていたり、終いには面接を担当した管理職の方が1人は夜逃げして(監視カメラに私物をもってトンズラするところが映っていた。その後連絡が取れない)もう1人も定年まであと数年なのに突然辞めてしまったという苦い経験がある。
でも、ここは話を聞いてみると荷物は重さを測って載せるから過積載はないとのこと。しかも、高速も全然乗っていいよとか(高速に乗せてくれない運送会社はザラにある。前の会社もそう)事故や荷物の破損の自己負担もない(多くの運送会社が事故や荷物の破損をドライバーに負わせている。大手でも事故の賠償金をドライバーに負わせて裁判にまでなっていた)早出もあるけど小平から通うならその時間で出来る仕事にするよとか、残業がそもそも月20時間ぐらいとか、年間休日127日など運送の中で考えるとかなりホワイトだと思う。嘘じゃなければ(まだ信じていない)問題は給与が思っていたより少ないかもしれない可能性があることと、手積み手降しだから体力はかなり必要だろうと思った。
ただ、小平から通える範囲内で働けるなら採用されれば試しに働いてみるのはアリかもしれない。職場の雰囲気や、会社の体制はかなり良さそうだしネットでの悪評も見当たらない(重要)からコツコツ働く分にはいいかもしれない。倉庫内の見学で様々な種類の消火器や防災設備を見る。消火器の粉もロシアの戦争で入手が難しくなって各社で取り合いになっているとか色々と知らないことが知れて楽しかった。自分は色々なバイトや仕事をしてきたけれど、大人の社会科見学みたいで楽しいと思ってしまう。そこかしこで人が働き生活をしている。

明日は授業を受けて終わったら実家へと帰る。
16時に家を出れば20時前には実家には着いている計算だ。
水曜日には母に内緒で姉と介護の相談へと行くからその前乗りで、せっかくなら顔でも出しておくか的な感じである。もう気持ち的には東京近郊で就職する気満々になっている。でも、今後両親に介護が必要になったらその選択は間違いだったと思うかもしれない。今はまだ35歳だから群馬で再出発もやり易いかもしれない。こっちで、例えば厚木で就職してコツコツとやっても結局いつか帰ることになるなら無駄かもしれない…。全て「かも」。

予期不安、リスクやネガティブにどこまで対応すればいいんだろうか。
リスクヘッジで行動することは、結果として関わる人に失礼な気がする。親だって自分がリスクだと思われて行動されるのは嫌なんじゃないだろうか。全ての「かも」がネガティブな方ではなく、良いことが起こる「かも」にも賭けてみたい自分がいる。

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