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過去と生きることが今では私らしさになっていた
こんにちは、愛音です
10代は学校がすべてのような感覚もあるかと思います。私はそうでした。朝起きて帰るまで生徒としてそこに存在していました。だからその世界から弾かれた途端、存在する場所が分からなくなりました。迷子です。人生の迷子になりました。
居場所が欲しい、誰かと話がしたい、これはあまり思わず、ただ単に自分が安心して呼吸が出来る場所がないか探していました。見つけたのは近場も近場。自分の部屋の布団の中でした。布団をかぶって丸まって、呼吸をするといつもより断然息が出来る。布団かぶって丸まったら逆に呼吸苦しくない?と聞きたいですが、当時の私には人から見えないこと、小さく丸まり体を抱きしめること、それが守ってる、守られてる、と感じていたのでしょう。
また、誰かに共感を得たいと思うことは当時なかったです。なぜならそんなの無理だと思っていたから。共感してくれる人がいるのなら、授業妨害を治まるように教師らが本気で動いてくれたはず。教師は何かはしたかもしれません。でも教師も校長も学校も、もう信じたくなかった。あんなことになり、それでももう一度信じられるほど柔らかくて変形できる心は、あの時にはなかったです。
あれから20年以上が経ち。同級生らは今の生活に一生懸命で、学年崩壊のことなんて忘れているのかもしれません。いつまでも過去のことをアレコレ言っても仕方ないし、むしろ過去のことは笑い話に変えられてしまう。
「授業中でも喋りまくったよね!」「手紙回すの楽しかった~」「授業の記憶ないけど、めっちゃ楽しんでたのは覚えてる!」
こんな感じかな?
こういった言葉を聞いてイラつく感情はもうとっくに廃棄処分しています。だって私は私で、中学時代についてなかなかのことをしているから。
あの時の感情、心の異変、周りの様子、同級生の発言、教師の対応、そういったものを仕事やボランティア活動の際、思い出しながら伝えることをしています。
まさか過去の授業妨害を話している私がいることを、あの学校の誰が思いつくでしょう。苦しくて、辛かったあの時を言葉を選んで今悩んでいる方へ伝える活動が出来ること。それは嬉しいです。だってあの時の感情が無駄にならず、闘い続けたことも無駄じゃないと再確認が出来るから。
不登校になり、精神障がい者になり、今も職がないけれど、もう過去を恨むことはとっくに止めています。その過去を知りたい、と思ってくれる方、私の話に耳を傾けてくれる方がいる限り、過去と一緒に生きていくから。そう決めることが出来たから。
*愛音*
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もうすぐ7月も終わりです
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