優しく温かく見守ってください
作業所の職員さんと昼休み、仕事の相談をしていたのですが途中から私の家族について語っていました
私が記憶している中で、不登校になったこと、病院に通ったこと、それをひたすら隠されたことはなかったです
特に母は友人等に連絡をして「娘が学校に行かれなくなったらどうすればいいの?」と相談し情報を得ていました
親戚にも私のことはオープンでした。オープンにしても親戚から「愛音ちゃんがおかしくなった」と偏見をもたれたことはないです
親戚の中にはこんな方もいました
「学校行けないならこっちにお母さんと遊びにおいで!
美味しいもの食べよう!」
誘ってくれたのは北海道の人で行くまではすごく不安や怖さがありましたが「北海道でなに食べたい?カニ?お寿司?」と楽しい雰囲気を作ってくれて、いざ北海道へ着くと私に学校へ行けなくなった理由なんて一言も聞かれず、笑顔で迎えてくれて美味しいお寿司を食べました
あとは家のお向かいに住んでいた人はダイビング会社を経営していて
「イルカと一緒に泳ぎませんか?気分転換になりますよ!」
とお誘いをしてくれました
このお誘いに対しての母のコメント
「イルカは愛音ちゃんも大好きなの知ってるけど
人が嫌いだから今は無理しないで断っていいんだよ」
言葉どおりイルカと泳ぎたい気持ちはありましたが人が嫌いで断りました
このエピソードを職員さんに伝えると
「子供が不登校になったら焦ったり、すごく深刻になりがちだけど
家族と親戚は本当に愛音さんの気持ちを見てくれていた
目の前にいる愛音さんをそのまま受け入れているのがすごい
美味しいもの食べに北海道においで!なんてなかなか言える言葉じゃない(笑)」
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実際不登校になった私が貰って嬉しかったのは、深刻に今後どうするかと家族会議を開くのではなく「行きたくなったときが、行けるとき。それまでは待とうよ」という私の中に眠っている小さな小さな行動力を信じてくれた言葉でした
深刻になるご両親の気持ちを否定するつもりはありません
お子さんが学校へ行けない、どんな悩みがあったのか?
親としてどうすべきか?色々考えることがあって当然です
ただ深刻で怖くなる顔の家族を見るよりも、普段通りの家族の顔や挨拶によって重たい心の荷物を新たに加えずに済みました
また不登校になって大きな悩みがあっても、私はこの家族の一員に違いないこと
だから家族は隠さずオープンだったのかなと考えます
恥ずかしい存在でも、隠す存在でもない、大切な子供に違いないこと
そして職員さんから続けて言われたのが
「変な言い方で気分害したらごめんね
いつもご家族の話を聞いてて思ってたのが
きっとそういった家族だったから愛音さんは病気になっても大丈夫だったんだなと感じてたよ
守るだけでなくて信じてくれて、それがすごく良かった
でもそれって言うほど簡単じゃないから
病気になって本人、家族が酷く苦しむんだよね」
私の家族はちょっと特殊かもしれないですが、この特殊の中にいられたからピアサポーターとして考えや力を得ることが出来ています
不登校、病気=可哀相、大変なことが起きた
この式を変化させたい
確かに不登校や病気になると大変なことが苦しいほど起こります
死にたいと願ったことは何百、何千とありました
だけど可哀相、大変なことが起きた、で完結してほしくないんです
イコールで結ぶのではなく矢印で未来へ繋げてほしい
不登校でも人生が終わった訳じゃない
私は人生終わったと長く思い続けました
ですが家族は誰も「人生終わったね」なんて言わず「人生には、いろんな道があるから愛音だけの道を探しなさい」とプレッシャーかけずに信じさせてくれました
おかげで今の人生を好きと言える、私だけのピアサポーターになりたいと夢まで持てました
深刻に話し合いをするだけではなく
「お菓子あるから紅茶でも飲まない?」
ホッとする時間を作るだけでも心の荷物は軽くなるんです
苦しいとき、辛いときに欲しいのは大丈夫なの?の心配よりも
大丈夫だよ、と長い目で信じてみてください
否定することは本人がすでにしています(体験談)
だから周りは優しく温かく見守るのがいいのかもしれないですね
*愛音*