あなたの心に、誰がいますか?
こんにちは、愛音です
人は、1人では生きていけない。
誰もが一度は耳にしたであろうこの言葉。
どうですか?あなたは今、1人でしょうか?
私は自分の人生を呪った時期が長くありました。不登校になったことは人生のレールから外れた、もう生きていけない。児童相談所の面談では「ちょっと疲れただけだよ」初回でこんなことを言われてしまい、表情も心も凍りついた。周りは頼れない。痛いのも苦しいのも、もどかしいのも自分しか分からない。
ーーそれなら私は1人で生きるしかない。
でも実際は家族にも精神科の主治医、カウンセラーにも頼りきりで生きてきました。
児童相談所では「ちょっと疲れただけだよ」と言われたけれど、精神科では…
診察室に一緒にいた両親へ伝えてくれました。
カウンセラーはある時服が明るくなった、と褒めてくれました。ずっと自分に興味関心を持たなかった私がたまたま赤いキャミソールを着ていたら、似合ってる、と言ってくれたんです。そして初めてメイクをしてカウンセリングを受けた時も「メイクしてるよね?すごく素敵、自分でやったの?」とまた褒めてくれました。
甘えているだけなのかもしれませんが、私の周りには優しいお節介さんが多いです。今の私をしっかり見てくれて、ちょっとした変化を受け止めてくれる。学校の先生や児童相談所の職員からは得られなかった大切な感情を沢山もらっています。
私の感情は私のものであり、人に理解共感されるのは難しいことです。痛い、といってもどのくらい、どのように痛いのか?苦しい、と言ってもどの程度なのか、我慢できない苦しさなのか?それを体感できるのは私だけです。
いくら優しく優秀な主治医やカウンセラーにも体感は出来ません。
だからといって…すべてを諦めるのは早い。
私は言葉を話せます、感情を出せます。最初は感情表現も言葉にすることも困難でした。でも諦めないで寄り添ってくれ、ここは安心する場所と心が理解できる頃、感情表現も言語化することも出来るようになったんです。
時間はかかりましたよ。簡単でも楽なことでもなかったです。出来なくて苦しくて、そのもどかしさから実際に叫んで泣いていました。
その叫びも涙すら、受け止めてくれました。
今いる、眼の前にいる私をただただ見守り、叫びが止まること、涙が止まるのを信じて待っていてくれた。
私は1人じゃない、それぞれの形で受け止めてくれている。それが分かると、心から安心し、泣き叫ぶことも、荒れることも減りました。
私は1人ではありません。今でも見守られ、信じてもらい、生きています。この恩を胸を張って生きることで返すのが大きな目標となりました。
どうでしょう、あなたは今、1人ですか?
それとも自分を大切に思って欲しいと願う、誰かが思い浮かびましたか?
*愛音*