あの頃、すべてに必死だったね・・・5
こんにちは、精神障害ピアサポート専門員愛音です。今週も自伝的エッセイ「あの頃すべてに必死だったね・・・」を更新しましたのでよろしくお願いします。
・中学3年、居場所を失う
春休みの間にも児童相談所で面談をしていました。昔のことをよく覚えている私ですが、ここの面談でかけてもらった言葉は覚えていません。
義務教育なので保健室登校でも3年に進級できます。また制服を着なきゃいけないのは苦しかったけど、早く保健の先生に会いたい!ワクワクした気持ちでYちゃんとMの待つ学校に行きました。
クラス替えではYちゃんと同じクラス、Mとは別でした。Yちゃんの「一緒じゃないと学校に来ない宣言」がいくらか聞いたのでしょうか?始業式が行われる体育館に行く前に、保健室へ直行しました。一分一秒早くB先生に会いたかったんです。でも保健室は鍵がかかって入れず…。始業式の日に保健室を朝から開けるわけないか、肩を落として体育館へ行きました。
中学の体育館にはバルコニー?のようなものがあり、3年の列に混ざらずにそのバルコニーに上がって始業式に参加しました。
「(早くこんな式を終わらせて保健室に行きたい・・!)」
頑張って学校に行った、頑張って大嫌いな制服も着た、でもこの中学に私に微笑む神様はいなかった。
なぜなら温かくて、居場所的存在であったB先生が他校へ異動・・・
目の前が真っ暗。立ってられず体育座りになると出来るだけ声を抑えて、でも大泣きしました。
「校長先生も、教師もお父さんたちに頭下げて謝罪したのに、それなのになんでB先生を異動させることができるの?あの謝罪はなんだったの?なんで私の居場所を次々奪い取るの!」
確か教師はだいたい5年ほどで異動になるのでB先生の異動も仕方のない事だった。長くいたら次の学校にいかないといけない。だけどそんな常識や現実を「うん、分かった。平気です」と受け入れられませんでした。
帰りがけに保健室に行きました。鍵が開いていたんです。全部知っている保健室。でも机にはハーブティーのカップも私の文庫本も置いてない。B先生の私物もなくなってる。
また涙が込み上げて泣きました。するとたまたま科学教師が来て「愛音さん、どうした?」のように声をかけてきました。
「ここ、保健室じゃない・・」
「何を言ってる?」
「違う!違う!知らない!こんな場所知らないよ!!」
声を抑えることなく泣きました。この後の記憶がなくて、どうやって泣き止んだのか分かりません。
・私が壊れた歓迎会
保健室、B先生を失ったけれど3年生になったから学校に行く努力をしようかなとわずかに決意。クラス替えをしたし、なにか変わるかもしれない。自分で動かないと変わらないままだとも思いました。
そして生徒会主催新入生歓迎会の日、一応副会長だったので朝早いリハから参加して一通り流れを理解しました。仕事に集中すると私って強いじゃん、なんて自画自賛。
でも、それは少し違った。
2年、3年が体育館に入り合唱の練習が始まると気持ち悪くなります。同じ制服を着ている大勢の生徒たち。ざわめきが聞こえる。
「(気持ち悪い・・・)」
そっと出口に向かうと他学年の教師になにか声をかけられます。「いえ、へいき、です」
体育館から出て壁に寄りかかり、呼吸がおかしいのが分かります。自分の呼吸を戻す努力をしていたら。
「喋るな!もっとしっかり歌え!!」
「!!!!」
マイクを通し、合唱練習を叱る声が私にも大きく聞こえました。
きっと教師の叱る声でフラッシュバックを起こしたのでしょう。どうしていいか分からないのに、ブレザーをはぎ取るように脱ぎ、スカートも脱ぎました。(スカートの下にはいつも体育着を着ていましたからその点は大丈夫)
そしてガクガク震えながら地面に座り込み泣きました。その姿を誰かが見つけて新しい担任のC先生が来ると放送室に移動しました。でもそこで話したことはなにも覚えてない。さらにはどうやって、どの姿で家まで帰り、なんと説明したかも記憶から消えています。
覚えているのは私が壊れたこと。
・精神科へのきっかけ
児童相談所の面談で頼れないと思った相談員でしたが、B先生を失って、壊れてしまった私にはもうすがる相手としてこの相談員も選ぶしかありませんでした。
3年生になってから自傷はひどくなる一方。それを告白しました。最大級のSOSです。私はもうダメ、死にたいけど、死にたくない、全部壊れた、どうしていいか分からないから自傷しちゃうんだ!
どのような言葉を使ったかは覚えていませんが、相談員の言葉は覚えています。
「これ以上腕切ったら、私とは会えなくなるから」
意味が分からない。相談した、していい相手なのに、返す言葉はそれなの?
目には心配している色はなく、厳しく強い目でした。
この言葉の真意ははっきりとは分かりません。ただこの言葉を言われて少しすると、今も通院している精神科を紹介され児童相談所には通うことはなくなりました。
もしかしたら相談員は命の危険があるから、ストップさせようとしたのかもしれない。自傷は少しも治まらず、心の状態もはっきり言って最悪、だから適切な治療が必要と思ったのでしょう。児童相談所では治療は出来ませんからね。
それに会いたくないと思っていた相談員と顔を合わせなくていいのは当時の私にしてみれば嬉しく、紹介された精神科では温かい主治医と優しい女性カウンセラーと出会えました。
人生、すべてが最悪なんてないなと今なら分かります。
*愛音*
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