一時帰国と何かが変わった私のこと
下に文章あります☺️
2か月ぶりになったけど話しました。
ドイツに暮らす最近のこと
少し前に体調を崩したこと
急に一時帰国をしていたこと
#自分らしいビジネスの教習所 と仲間のこと
オフラインの良さを強烈に感じたこと
家族との時間
ショックを受けた報せのこと
ドイツに戻ってきて感覚の変化を感じる私のこと
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この2か月のこと
こんにちは、ベルリンに住んでいるライフコーチのあいみです。
とっても久しぶりになりまして、2ヶ月ぶりぐらいに録っています。みなさん、この2ヶ月ぐらいどんな風に過ごされてましたか。ちなみに私は急に日本に一時帰国してて、その前にはもう結構ひどく体調を崩したりして、結構変化の期間を過ごしていました。
ドイツ語のこと
この期間のことをみなさんと共有できればいいなと思って開いています。2ヶ月結構長いですよね。 4月の18日が前回の配信だったみたいなので、今これを録っているのは6月の24日ということで、今日は月曜日、私はお仕事が休みで、家でゆっくりしたり用事をやっていたり。
特に今日は、私がいつも受けている先生のドイツ語のレッスンで、一時帰国急にしたから多分1ヶ月半以上ぶりぐらいに受けました。本当に勉強をしてないから、ちょっとこれやばいかなぁとか思いながら受けたら、私が思ったよりは、よくも悪くもドイツ語がこうサラサラーって出てきたところがあって。
私すごい話せるとかじゃないので、日常会話をゆっくりたどたどしくっていう感じなんですけど、思ったより話せたかも、あれ?みたいな。
あれっていのは、もうドイツ語また話せなくなっているだろうと思ったので、それを原動力にして、ドイツ語の勉強の再開をせねばなと思ってたんです。歯医者に行きたいと最近思っているから、自分で歯医者に行けるように、ドイツ語の勉強しなきゃなとか思ったんです。
でも今日思ったよりも話せちゃったから、あれれって。まあでも、逆に言うとこれぐらい日常会話できるんだったら、それを自信に勉強しようかなとか。まぁ結局ね、ゴールは勉強しようの気持ちに自分を 持っていきたいんです。
それで思ったのが、私は恋人とドイツでは暮らしていて、彼は日本人ではないけど日本語ができるので、私たちの会話は100%日本語なんです。でも、彼のお母さんとかおばあちゃんとかと話すときはドイツ語で、しかもお母さんはよく会うんですけど、いつも私にドイツ語で話しかけてくれて。
私がうまく返事ができなくても聞いててくれるし、いつもドイツ語で話しかけてくれるので本当にありがたいなぁと思っていて。こうやって私に コミュニケーションを取ろうとしてくれる方がいるから、多分私もいつのまにかこれぐらい受け答えができるようになったんじゃないかなと。
自分が書いたりして覚えたわけじゃないけど、単語が頭に残ってて使えてる瞬間が今日もあって、ありがたいなって思いますね。
周りから受けとる愛のこと
一時帰国してたっていうのをさっき言ったんですが、恋人のお母さんの話もそうだけど、本当に私はいま周りの人からの巡ってくる愛をずっと感じながら生きています。
もともとそういう人じゃなかったけど、コロナあたりから私の生き方が変わって、コーチングに出会ってよりその思いが深まっている。この2年ぐらい3年ぐらいかな。
その中で一時帰国したっていうのが、なんで帰ったかっていうと、「ビジネスを学ぶ」ということを3ヶ月ぐらいしてまして、その最後の講義が東京でオフラインであるよということになったんです。でも私はドイツにいるからオフラインでは参加しません、オンラインで参加しますと結構早々にお返事をして。
だけど実はちょっと一瞬考えたんです。最終講義の前の講座、2週間前だったんですけど、行けないかなぁと。でもその日も体調が悪くて横になりながら休憩しながらオンラインで受けて、最終講義行けないかなぁって。調べて飛行機の料金を見て、それをTwitterに書いてたら、その講座の仲間が反応してくれて。
でもそのあと、私は体調を崩して本当にすごい寝込んだんですよ 咳がすごくて夜も全然眠れないぐらい。鼻水もすごくて、ずっと鼻水をかんでたら顔面が痛くなって、副鼻腔炎かなんかかなって思って病院に行ったけど、それはまあ別になんともなかったんですけど。
最終的にもう一度ほかの病院にかかって、抗生物質をもらい直したらそこから 良くなったけど、何もできない期間が1週間ぐらい。
そのタイミングでまた仲間から連絡をもらって、しかももしかしたらお金はちょっとなんとかなるかもしれ ませんと言ってもらって。
えっどうしようかなと思ったけど、そのありがたさも受け取ってみようかなと思えたので、急に飛行機のチケットを取って、チケット取った40時間後には飛行機乗っているという。
急な一時帰国
海外に住み始めて1年半、過去に韓国に半年住んだのも加えたら2年とかそういう中でも、この体験はさすがに初めてでした。こんなに急に日本に帰るって、家族もびっくり、でも会えるの嬉しいって一緒に喜んでくれて。
東京に着いて、他のイベントもちょうどその日程で開催されたからお邪魔して。ずっと会いたかった、でもまだ会ったことがなかったみなさんに会えて。
私は自分らしいビジネスの教習所っていうところで学んでたんですけど、着いた翌日にその最終講義で、教官とかですねそのコミュニティを作ってくださっていた方、あと川原卓巳さんという方が監修の場所 だったので、卓巳さんにも初めてお会いできて。
始まる前からテンションも上がったし、そこに来ている一緒に学んでた仲間とも初めて直接会えて、もうすごかったです。やっぱりオフラインのエネルギーっていうのは。あれを見て、やっぱり私もオフラインでできた方がいいなと思ったんですよね。
ドイツに住んでて、家から仕事ができているからそれでいいかって思ってたけど、私も定期的に日本に帰ってきて、例えば半年に1回とかね。
私がいま自分で主催しているサービスの期間を、つい最近半年に変えまして。実際には今週末から始まっていくものを、半年というに期間を変えたので。それぞれの期の終わりとかに日本に帰って、みんなで会ったりできないかなと思い始めています。
まあそれはまだどういうふうに実現するかわからないけど、そうやってガラッと思いを変えてもらえるくらい、本当はやりたいけど思考で「無理だ」と押し込めてたものを取っ払ってもらえるぐらいに、かなり価値観を変えてもらった時間でした。
家族との時間
そこから実家に帰って、実家で家族と穏やかに過ごしました。でも実はかなり体のだるさがあって、日本に帰ってからの方が、多分湿気でしょうかね、もっと重力を感じるなという感じで。
本当に動けなくてしばらく休んでたんですけど、だけどよく考えたら病み上がりだし、じゃあ休もうかなという感じで休んでました。しかも家族みんなも、体がだるそうな感じだったんですよ。だからみんなでゆっくり過ごして。あと今回はドイツに恋人を残してきたから、電話とかしながら、本当に穏やかに過ごしたんです。
けど、これももう他のところにも書いたのでいいかなと思ってここでも喋っちゃうんですけど、私の昔の恋人ですね。特にもう今は交流なくて、数年は連絡もとってないし、でも当時で言うと本当に大切な近い距離感にいた人だったんですけど。
その人が亡くなったという連絡が、日本に帰って1週間ぐらいのタイミングで届いて。びっくりしましたね。その元恋人の奥さんとも少し私は面識があったりしたから、私が日本にいるうちにこれが起きたっていうことは、お葬式とかも行かないといけないんじゃないかと思って。
強く責任みたいなものを感じて辛かったです。お知らせが来て翌日がお葬式、その1日お仕事をしつつもすごく考えて。
それで結論、明日行こうと思う、片道4,5時間かかる場所だけど、早朝から行こうと思うと母に言いました。
それで、母は私より30年長く生きてるんですが、母なりの、今までの人生で知っていることを話してくれたり、私の思いを受けとってくれたりして。
それで、今回は行くのを止めておこう、その代わり家族で美味しいご飯でも食べに行こうということになりました。
責任感や悲しさの受けとめ
本当になんていうか、私の中ではよくわからない責任感みたいなものを感じていたあの日だったので。責任感っていうのは、なんて言うんでしょうね。
烏滸がましいけど、私の言葉でいえば、私なりの愛としてのハグをしに行かなきゃいけないと思ったんです。彼の奥さんと、ちょっと面識があったから。それが私にできることかなと思ったりして。
でも、私も私で、訃報を聞いて自分の中にもショックがあったんですけど、それを受け取ってもいいのかなとか。
なんて言うんでしょうかね、私はもうしばらく連絡も取ってなかったから、この悲しさすらも、私がこんなにショックを受けているのもおかしいって、自分で多分思ってたんですよね。
このショックを誰かに言うのもなんか変だなぁと思ったし、今もまだそう思っているから、こうやってここでしゃべっているという行為も、自分に対して違和感があるような感じもするんですけど。でもこれも私の体験だから、私がここで話そうと思って話してるんですけどね。
ちなみにその日の夜、当時の友達に連絡をもらって、自分もショックを受けてるよとか、だからあいみはもっとショックを受けてるんじゃないかなと思って連絡したよって言ってくれる子もいて。
その子のおかげで、私もこれは悲しいんでいいんだって思えて、本当にまた周りの人に感謝をしながら、その後の数日を過ごしていました。
一時帰国と変化
そんなことを体験しながら、その後また家族とともに過ごして、自分を癒したりしながら、少し前にドイツに帰ってきました。
ドイツに帰ってきたら、恋人のお母さんとおばあちゃんが空港に迎えに来てくれて。恋人は仕事だったから来れなかったんですけど、ふたりが来てくれて。本当にあいみがまたドイツに帰ってきてよかったって、何回も言ってくれました。
だからまたそこからも愛のようなものを受け取ったし、ありがたいなぁって思いながら、いまドイツで過ごしています。
なんかね、この期間にこういう体験したこともそうだし、あと私の中では、大きな時差を超えて十数時間飛行機に乗って移動するっていうのも、なんか私に影響があるなぁって思っていて。
というのも、前回一時帰国した時も、何かが変わったなって思ったんです。今回も何か変わったなっていう感覚があって、今回の方が特にありますね。
前回は恋人と一時帰国をして気を張ってたところもあると思うんですよね。初めて日本に来る恋人を連れて、私が頑張らないと!みたいな。
でも今回は一人で帰って、実家に過ごしている期間も家族と私で、ただただその家の子ども、兄弟との関係性という中で過ごせたから。素に帰れたって言うんでしょうかね。
素の私がどれかっていうのもあると思うんですけどね。 恋人の前でだけ出せる素もあれば、家族の前でだけ出せる素もあって。だけど今回は素で過ごせたし、飛行機で帰ってきて時差ボケも感じる中で。
今までより「思考」というよりも「感覚的な自分」になりたいって、ここしばらくすごく思ってたんですけど。それが急に体感として出てきたような気がしていて。
私の仕事はライフコーチングで、コーチングのセッションとかをしていても、感覚的な私が出てきてくれていると感じているし、私が受けるほうのセッションも、実際戻ってきてすぐに受けたんですけど、いつもは「私の直感とか感覚のところを呼び戻したいです」とコーチに伝えるんですけど、その必要もなく自然と入っていって。
というのは、多分あえてテーマに置く必要がないぐらい、私がその感覚になってるのかなと思ったりして。なんか不思議な感じだなと思いながら、ドイツに戻って数週間を過ごしてますね。
私は今のこの感覚がすごく居心地がいいから、やっぱり思考をする時ももちろんあるんですけど、より自分の感覚的なところを使ったり、それを受け取れるように余白を持って暮らしたいなと思いながら。
まあ結局ね、やっぱりバタバタと過ごしていますが、でも昨日は良かったですね。
ゆっくり過ごせた日
昨日はお仕事もしたし、朝はそのさっき話していたビジネスの教習所のイベントを朝の7時ぐらいから受けたんですけど。その後はお仕事をして、恋人が買ってたLEGOをやって、その後はLEGOのゲームのほう、テレビゲームを一緒にやったりして。
眠たくなったね、ベッド行こうかーって言ったのが多分夜9時ぐらい。ドイツのこの時期、この時間はまだ外が明るいんですが、明るい時間帯からベッドに移って、1時間ぐらいお互い携帯見たりとかしながら、自然と寝てました。
ああいう穏やかな日が毎日だといいなって思いますね。でもいまいいなって言ってるってことは、きっと叶わないだろうと自分で思ってるってことだって今思ったから、叶わないんじゃなくて、、それも生活にあっていいんだよって自分に許可しながら暮らしていけるといいかなと。今自分で思いました。
ということで、今日はこのあたりで閉じていこうかな。みなさん聞いてくださってありがとうございました、また。
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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️