
娘のことば習得#1 ー今村・秋田『言語の本質』2023を携えて
仕事始め。出勤してまもなく、普段絡みが全然ない先生がデスクに来て私にレポートを差し出してきた。
休み前に、何の縁だったか私が今推している今村むつみ先生の『学力喪失』を熱い気持ちでお勧めしたら(普段絡みがないくせに)、なんと感想兼要約兼レポートのような力作をしたためてくださったのだ。
ちょっと申し訳なくなりつつも、がっつり読んでくださって、しかもその感想をすんごい濃度で共有してくださったことに非常に嬉しくなった。
なんていい年始なのだろう。
私もこの先生のように要約文をさささと書けたらいいのだけど、これは普段から書いていないと、さささと書くのはなかなか難しい。腰を据えないと私には書けない。腰を据えてもなかなか書けない。(学生にはがんがん書かせるくせに。)
そんなわけで、読んだ本で書きたいことをぐわっとまとめていく余力がないから、もういっそ今胸打つところからちょこちょこ書くことにした。
読みながら胸に去来したたくさんの思考や思いをあとに残しつつ、今の私の胸を打ったところとは。
今村むつみ・秋田喜美『言語の本質ーことばはどう生まれ、進化したか』中公新書、2023年
一般化の誤りーかわいい事例から
絶賛母語習得中、発語2ヶ月の娘はよく「あーてーて!」と言います。これは動詞「開ける」の命令形「開けて」のつもりなようで、お菓子の袋やピルクルの蓋を開けてほしい時、つまり非常に適切かつ正確な場面で使い始めました。しかしよくよく観察していると、おっぱいがほしいときも「あーてーて!」といいます。他に保育園の先生の証言からも、どうやら自分の要求を伝える表現として「あーてーて!」という言葉を理解しているようです。
子どもはことばを学ぶときに、周囲の発話を聞いて自分なりに分析、推論しながらある単語のコアがなんなのかを習得していく。本人なりの分析や推論に基づいているので、誤ったー子どもならではのかわいいー一般化が起こる。
筆者今村氏によれば、「開ける」は多くの子どもが過剰一般化することで有名な動詞なのだそうだ。しかも、日本語話者のみならず英語話者の子どもでもみられるそうで、例えばテレビをつけたり、電気をつけたりもopenと言ってしまうとのこと(前掲書pp.181-182)。
わが子も「多くの子ども」の例にもれなく、「開ける」を過剰一般化して使っている。なんてかわいい。尊い。いとおしい。
おっと。別に親ばかなメロメロを言いたかったわけではなかった。娘の発語を観察していて、「おお!まさに!」という感動を私は書きたかったのでした。
この問題(=ことばを使うためには、最初に結びつけられた指示対象だけではなく、他のどの対象にそのことばが使え、どの対象には使えないのかをみきわめなくてはならないという問題)は、アメリカの哲学者であるウィラード・ヴァン・オーマン・クワインが「論理的解決が不可能な問題」として提唱し、彼の出した例にならって「ガヴァガーイ問題」と呼ばれている。まったく知らない言語を話す原住民が野原を飛びはねていくウサギの方を指して、「ガヴァガーイ」と叫んだ。「ガヴァガーイ」の意味は何か?私たちは直感的には当然<ウサギ>だと思う。しかし原住民は、<野原を駆け抜ける小動物>を指して、「ガヴァガーイ」と言ったのかもしれない。<白いふわふわした毛に覆われた動物>かもしれないし、<白い毛>なのかもしれない。あるいは<ウサギの肉>という意味だったかもしれない。クワインは、一つの指示対象から一般化できる可能性はほぼ無限にあると指摘したのである。そして、この問題は、言葉を学習する子どもたちがつねに直面する問題である。
娘はいま、まさにこのガヴァガーイ問題に直面している。
娘は非常に上手に「はっぱ(葉っぱ)」という言葉をつかう。つまり、緑、黄、赤、茶などさまざまな色どりの葉っぱのすべて「はっぱ」だし、木についていても、落葉してカサカサになっても、あるいは形の異なる桜の葉もイチョウの葉ももみじの葉もイラストのデフォルメされたふたばも、全部「はっぱ」であると彼女は理解している。他方、葉としばしば一緒にみられる花、木、枝、ちょうちょなどは彼女の「はっぱ」の概念からきちんと排除されている。
ところが、「わんわ」(わんわん、犬)は猫のほか絵本やテレビに出てくる四つ足動物一般、あるいは何を指して発語しているのか不明なものまで幅広く彼女の頭の中で一般化されており、乱用気味だ。「わんわ」という言葉が「どの対象には使えないのか」ということの整理はこれからのようである。同様に、「あっぱっぱ」(アンパンマン)はアンパンマンに登場するキャラクター全般(バイキンマン含む)にまで拡張した使用が彼女にはみられる。
娘が使う「はっぱ」と「わんわ」や「あっぱっぱ」の対比は、成長の過程として感動的である。
いつ、彼女が日本語における「わんわ(ん)」の指示対象がまさしく「犬」だと気が付くのか、本当に楽しみだ。いや、できれば長く気づかないままの彼女をみていたい。きっと小さな脳みその中で、ママが猫をさして「わんわ」ではなく「にゃんにゃ」と言っているのを「???」と思いながら一生懸命処理している最中なのだ。脳みその中の動きを目で見ることはできないけれど、彼女の日本語習得はいま、土の中で種が芽吹いているような過程の中にいると思うだけでいとおしさが爆発する。