大切な人が教え残してくれたこと
こんにちは、aikoです。
今日はタイトルだけ見るとちょっと重めですが、そんな深刻めいたお話ではなく(・・;) 私が過去に体感した不思議な感覚とその本質に気づかされた時のお話です。
01.初めて人の死と真正面から向き合ったのは
今日10月19日は祖父の命日。
そう、私が初めて人の死と真正面から向き合ったのは祖父の死です。
それまでも周りで亡くなる人はいましたが、私が生まれて初めて亡くなった人を目の当たりにしたのは祖父が初めてでした。
私が17歳頃、その日はとても寒い夜、浴槽で、、急性心不全、突然の事でした。
さっきまで元気だった人が、、、
普通にいつも通り話もできて本当に当たり前の生活を送っていた人が突然目の前から居なくなってしまった。
もう二度と直接話も出来なくなってしまった。
まだまだ話したいこと、聞きたいこと、教えてもらいたかったことが沢山あったのに、、、二度と叶わない。失って初めて気付く有り難さや感謝の想い、、、
私は祖父から貰った沢山の愛に何か返せたのだろうか?
これからだったのに早すぎる、、、そんな想いが溢れてきました。
あの夜のあの状況、家族の叫ぶ声、救急車のサイレン、救急隊の方の声・・・
今でもはっきり覚えています。
そして自分の足が震えていた感覚、心臓がドキドキしすぎてその鼓動を全身で感じていた感覚も。
そして、病院から自宅へ祖父が帰ってきた時も私はなかなか祖父の元に行くことが出来なかった。亡くなった人を目の当たりにすることが正直怖かった。
02.「死」に対する価値観
祖父の「死」を経験するまで、私にとって「死」はすごく遠いものでした。
説明が難しいのですが、死んでしまったら違うものになってしまうような、、
生きている自分とは別物というか、全て無くなってしまうような、怖いものというか、17年間生きてきた私の人生の中で構築されてきたイメージ、あくまでも想像の中で「死」をイメージしていました。
祖父が自宅に戻ってきてからも一人で祖父と同じ部屋にいることがなんだか怖かったし、数日間お風呂にも入れなくなってしまったこともありました。
けれど、現実は違った。
それは、火葬後に祖父と対面した時のことでした。
03.「おじいちゃんは本来の姿に戻ったんだ」
それは、火葬場でお骨だけになった祖父と対面した時のこと。
私はお骨になった祖父の姿を目の当たりにした瞬間、
「おじいちゃんは本来の姿に戻ったんだ」
「肉体って、あくまでもこの世で生きるための借りものだったんだ」
「だったらみんな結局一緒じゃん」
言葉では説明できない感覚や気持ちが瞬時に湧き上がってきて、なんだかストンっと本当に自然とそんな感覚を受けたのです。
だけど、人間が肉体を脱いだ姿を目の当たりにしたことがなった私は、火葬を終えた後、祖父と対面するまで本心はすごくドキドキしていました。
でも実際には、
「おじいちゃんは本来の姿に戻ったんだ」が、
17才の私が初めてお骨を見た時に感じた素直な感情だったのです。
まだ熱いお骨や独特の臭いや空間の雰囲気、怖さより、そんなことよりもまず先に「肉体って、あくまでもこの世で生きるための借りものだったんだ」
「だったらみんな結局一緒じゃん」だったのです。
その時、私の中からは自然と怖いという感情はなくなっていて、私は生まれて初めて「人の死」というものを祖父から教えてもらったような気がしました。
そして今でも祖父の死によって私は大切な本質を教えてもらったと思っています。
「人は亡くなっても人に何かを伝えていくことができるんだ」と思えたのも祖父のお陰です。
亡くなっても魂は生きているということも、「死」が特別なことではないことも。そして「こんなに突然当たり前にそばにいた人がいなくなってしまうことがある」という現実も。
私がそのように思い感じたのも、その時とても大きな感覚として本当にスーっと自然に湧き上がってきた不思議な感覚を体験したから。
04.祖父の死によって大きく変わった価値観
祖父の葬儀を終えて帰宅後、私は泣き疲れてぼーっとしながらお供えしてある菊の花を見ていたら何となく鉛筆を手に取っていて、絵が得意な訳でも、よく描くって訳でもないのに結果こんな言葉と絵が出来上がっていました。
溢れてきたんだろうなぁ、、
【当時の絵↓】
当時私は臨床心理士の先生のカウンセリングを受けていたので、ある日のセッションで祖父の死から得た自身の感覚や感情を先生に話したことがありました。
すると先生は私の想像以上に「そう思った、感じたことは凄いこと、誰でもそう感じられるわけではない」「今それに気付いたことは本当に凄いこと!」と涙を流して言ってくれました。
でも私にとっては、あくまでも普通に自然に湧き上がってきた感情でしかなかったので、当時はその「凄い」という意味がよく分かりませんでした。
05.大切な家族3人の死から教えられたこと
祖父の死後、私も歳を重ねていく中で色々な人の「死」と真正面から向き合うことも増え、その中には祖母や昨年母の死もありました。
祖母には突然この世を去った祖父とはまた違い「人の老い→往生する」ということについて教えてもらいました。
(祖母の件も色々あるからそれはまた別の機会に綴ろうかな)
母からは長きに渡る闘病、介護生活から一番近くで数え切れないくらい沢山のことに気付かされ勉強させられてきたけれど、病と闘いどんなに心身ギリギリの状態でも、泣いても落ち込んでもどんなに苦しくても、家族の存在を力に変えて最後まで諦めずに使える臓器や細胞レベルまで自分の身体の可能性を信じ使い切って人生を全うした「我が身を余すことなく使い切って人生を生ききる強さ」を教えてもらいました。
私は、私にとって最初の家族の死である祖父の死によって「死」に対する価値観が大きく変わり、目に見えていること、目には見えない大切なことへの見方や真実の捉え方が大きく変わりました。
それまでも自身の様々な体験も影響してか、目に見えない大切なことへの自分なりの捉え方はありましたが、祖父の死により得たこの感覚はその後の私の人生にも大きなインパクトを与えたと思っています。
そして私は、祖父、祖母、母の3人から本当に大切なことに気付かせてもらい、教えてもらったと思っています。
「人は亡くなっても人に何かを伝えていくことができること」
「死」から「生きる」を見つめ、
「生きる」から「死」を見つめる。
「誕生」→「死」までの過程で起きる人それぞれの様々な喜怒哀楽や人生ドラマ。
人生の「始まり方」と「終わり方」には人それぞれ本当に色々な形があることも。
そんな人生ドラマは一人ひとり人ぞれぞれで、その人のペースで、色々なことが起きて、それはその1人の人間に関わってきた(関わっている)周囲の人間も一人ひとりみんな異なる人生ドラマがある。
そんなことを私は大切な家族である一番身近な3人から教わったのでした。
長文にも関わらず最後まで読んでいただきありがとうございましたm(._.)m