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仮想読書会:「勝負師の条件」守屋 淳 著の(3)
***** 【 仮想読書会が初めての方へ 】 ******
■6人のキャラクターとの仮想読書会 ~AIと創る新しい読書体験~
■「仮想読書会の進め方」と「このnote」
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【 今回の仮想読書会の範囲 】
「勝負師の条件 同じ条件の中で、なぜあの人は卓越できるのか」守屋 淳 著
Ⅱ部 敵やライバルなんて、本当に存在するのか
第六章 「競」と「争」の織りなす世界
第七章 敵やライバルを知るために
第八章 人の気持ちがわかる「勝負師」たち
※引用に適した文字量などの事情もあり、元の書籍にある詳説のほとんどは、読書メモから割愛しています。今回の範囲に限りませんが、具体的な話や数値など、詳細に興味をお持ちで未読の方は、是非、ご自身でお読みになることをお薦めします。
【 読書メモ(引用、問いなど)】
・前章まで「勝負師」たちに前提として共通する、
Ⅰ あるジャンルでの長く深い経験
Ⅱ 幅広い知識と教養
について取り上げてきた。
この二つは、建築物でいえば土台にあたる部分だ。(中略)
この土台の上に、「勝負師」たちは成果をあげるための各種各様の建物を建てていくわけだが、どの建物にも例外なく必要となる三つの柱が存在する。(中略)「勝負師」たちは、その活動する領域によって濃淡はかなり変わるが、ここまで取り上げた、①敵やライバルを知る ②全体の流れや文脈(天の時)、環境を知る(地の利) ③自分を知る という努力を、他人より巧みに続け得たもの、と言うことが出来るのだ。(p.88-94)
・「競争」という単語は中国由来ではなく、江戸時代の末期に「Competition」の訳語として福沢諭吉が造語した。(中略)
「競」の方が競う対象は、タイムやスコア、テストの点数、審査員や第三者の評価などの外部基準なので、自分が望む成果をあげられるかどうかは、あくまで自分自身のパフォーマンスにかかってくる。
敵を倒す必要はない、もしくは敵自体存在しない。
いるとしても「よきライバル」という言葉もあるように、自分を向上させるためのライバルやベンチマークという位置づけになる。
一方の「争」では、敵を倒さない限り勝利は手にできない。
つまり、物理的、ルール的に倒すべき敵がいて、お互いの打ち手や意図への妨害が、ルールの範囲内で認められている場合も多い。
つまり、敵やライバルに対する戦略やかけひきが必要になってくる。
幕府の役人が、「穏やかではない」と述べたように、「争」の意味はより血なまぐさい。(p.95-97)
・一章で羽生棋士が、「何が最善の手だったのか」「将棋の全貌の解明」を目指しているという話に触れたが、これは「競」に比重を置いたやり方と言い換えることができる。
極端な話、自分が成長し続けて、最善の手を打ち続けられるようになれば、対局には勝てる、ないしは負けないからだ。
しかし、羽生棋士があまりに強かったため、同時代の棋士たちの中には、限られた相手、限られたタイトルに限定した形で、一瞬の争いを制する方に比重を置き、——どの棋士ももちろん両面持っているので、あくまで比重として——実際に成果をあげた棋士も出た。(中略)
これは「争」に比重を置いたやり方といって良いだろう。
さらに、ビジネスや実社会では、熾烈な「争」が予想される局面になると、逆に反動がおこる場合もある。
つまり、回避のための談合、手打ち、均衡維持などの手段が頻出するのだ。下手に「争」に突入すると自分の利得が減ったり、共倒れになるからだ。(p.100)
・そもそも現実社会で「争」が勃発するのは、お互いがトレードオフ——あっち立てれば、こっち立たずの状況であると信じる対象や領域においてだ。
また多くの場合、限定された国際関係や組織間、人間関係の中でそれは生じる。裏を返せば、関係や価値観が多様になり、トレードオフが解消されれば「争」はゲームやスポーツ以外で存在する必要がなくなるということだ。(中略)
グローバル化やデジタル化の影響で現代はいろいろな領域が外部に開かざるを得なくなっている。(中略)
「戦争だと勝つというシンプルな目標があるし、酒巻さんのモノ作りにも目標がある。唯一の解があるから、逆にライバルもいる。収斂していく解のレールの上にいるのがライバル。今は事業の多様化が進んでいて、何がライバルかわかりにくい。最適解が自明でなく、色々な人が多様に共存し得る社会。今はライバルを置くのが難しい」(p.101)
・「(交渉事では)事前にしっかり準備をして、たくさん情報を集めたほうが必ず勝つ。だから、こっちのほうが『情報が多い』と確信できないうちは交渉のテーブルについてはいけない。(中略)日本ではあまりやらないが、海外では交渉事に興信所を使うのは当たり前である。そして、相手方の担当者について家族構成、出身大学、経歴、宗教、人脈などを徹底的に調べ上げる。」
「当社の営業職員で、二十数年に亘って全国一の業績をあげているS職員がいます。この人は、営業開始前の準備に、特に意を払っています。取引先の経歴、家族状況、縁者、趣味、秘書、守衛、競争相手の動きなど、幅広く知って、行動の全般を期します。その上で、訪問の前夜、セールスの進め方、話法を紙に書いて練習します。これを実に、三十年に亘って続けているのです。」(p.104-105)
・まず相手を楽しい気分にして、気持ちよく話してもらう。
さらに、一つひとつは浅い内容だとしても、「手を変え品を変えいろいろな方面」から集めた答をうまく組み合わせることによって、相手の見せたくない事情を推察できるというのだ。
CIAなどの諜報機関では、このやり方をもう少しひねって使う。
たとえば、ある施設について知りたいとき、知りたい情報を細切れにして、ある人にはAという情報、別の人からはBという情報、さらに別の人には…という形で聞き出していく。
最後にそれらをまとめて分析し、必要な全体像を手に入れるのだ。
聞かれた側としては、たいしたことを聞かれていないし、一つだけなのでと軽く考えて答えてしまうのがポイントだ。(中略)
「リーダーに必要な資質の一つは、明るさですね。明るいというのは、よく喋ること、発信量が多いことです。そうすると、コミュニケーションが増えます。池に石を落とさないと波はたちません」
これは情報マンについても同じであり、この意味でよいスパイというのは、常に「二重スパイ」のようなもの、とも言われている。
こちらは知られても問題ないような情報を出しつつ、相手からは探りたい情報をうまく引き出す、という駆け引きを制してこそ、すぐれたスパイマスターたり得るのだ。(p.108-109)
・「麻雀でも、情報量が多い方が勝ちます。ですから、雀荘に行って、初対面の相手と卓を囲むとき、徹底的に観察して、そのクセを見抜いていきます。自分の手よりも、相手の方を見るという感じですかね。麻雀で、相手に関して情報として見られるのが、相手の切り牌(カードゲームで言えば捨てたカード)、それと相手の所作や雰囲気。このうち相手の切り牌は「事実」であり、参加者全員が見られるもの。だから、それ以外の情報をいかに集めて、正しく分析できるかが大事なんです。(中略)
逆に、こちらはワザと相手に何かのクセを見せておいて、最後の最後でそれを利用するということもやりますね」(p.113-114)
・A 相手の立場になったとして、自分はどう感じ考えるのか、と推測するレベル。
B 相手の人格になり切って、その好悪や価値観、性格などをベースに、論理だって相手の心象風景を読むレベル。 (中略)
たとえば、関係者が合理的・打算的であればあるほど、「相手の立場だったら」レベルでの対応が可能になる。
数字と論理をもとにした計算は、誰がやっても結果が変わらない性質を持つからだ。
また、弁護士や交渉官など、期待される役割が明確な相手も、その期待から逆算される振る舞いは、彼我で大きくは変わらない。
このため、とりわけ同じ文化圏であれば「自分の想像した相手像」と「実際の相手」とがズレにくい。
逆に、個人や組織の性格やポリシー、文化、習俗の違いなどが判断に反映されやすかったり、お互いが裏をかき合うような状況では、「人格なりきりレベル」ににじり寄る努力が必要になる。
言葉をかえれば、こちらにとって非合理な要素が入ってくればくるほど、自分の予想を超えた何かに不意をつかれる可能性が高くなるのだ。(p.118-119)
・屈折した体験と心情がない者は世の中の表面しか分からない。
加えて最近、ささやかな民間経験から「営業のための愛想笑いを浮かべたことのない者に世の中は分からない」という一項目を付け加えているのだが、どうだろう?理屈ではない。
人生の皺を通して初めて思い至る世の中の動きもある。(p.125)
・ちなみに「敵」という漢字の原意は、まさしく「同じ力を持つ者」、つまり「匹敵する者」なのだ。(中略)
ある領域の頂点に立っているわけでもないのに、いつまでも同じ敵やライバルと角を突き合わせているのは、自分が成長しきれていない証なのかもしれない。(p.130-131)
<問いの前に…「7人目」の追加メモ>
"外部"基準のある「競」と、敵やライバルがいる「争」という話は興味深かったです。
一方、「羽生棋士が、『何が最善の手だったのか』『将棋の全貌の解明』を目指しているという話」を「『競』に比重を置いたやり方」に分類されていたところには違和感を覚えました。
むしろ、「真理の探究を目指す自然科学者が、好奇心を満たそうとする」ように、自身の"内部"基準に沿った成果をあげようとする話だと捉えたためです。
※「競」という漢字は、「神へ捧げる祝詞を頭の上にいただき、二人並んで祈る様子」が元になっていることを踏まえると、なおさら、羽生棋士の話は、「競」というよりも、"内部"基準寄りの話だと思えます。
<問1>
普段、みなさんが意識されている「評価基準」や、(自分を向上させるための)「ライバル」あるいは(打ち負かしたい)「敵」について、どんな場面でどのように意識しているのか、具体的なエピソードを教えてください。
<問2>
読書メモでは「S職員」の例などを取り上げていましたが…
相手や関係者についての理解を深めるために、「相手の立場だったらレベル」あるいは「人格なりきりレベル」で、具体的にどんな取り組みをされたことがあるか、あるいは取り組んでいらっしゃるのか、ご自身の具体例について教えてください。
【今回の成果共有】
芸術家:赤松さん
私の場合、作品制作では外部評価という「競」の要素と、アーティスト同士の「争」の両方を意識せざるを得ません。作品制作の過程で、観る人の心に響くものを作るためにも、様々な人生経験や感情の機微を理解しようと努めてはいるものの、最近ではやはり、自己の内面との対話が重要だという認識を新たにしたところでした。
今回の対話を通して、芸術の役割の一つは、「競」でも「争」でもない、新たな価値や可能性を見出していく、創造的な営みではないかと思いました。
また、「情報収集」や「人格なりきり」の手法は、アート作品の社会的影響力を高める上で具体的なヒントになりそうです。
実務家:青柳さん
自社でも、競争や対立ではなく、多様な価値観を持つ人々との協働が求められています。本文の「多様に共存し得る社会」という指摘は、まさに現代の組織運営の課題を言い当てていると思います。「競」と「争」の概念整理は、組織開発に新たな視座となりました。
私の場合、異なる文化圏のチームメンバーを理解するために、意識的に1on1の機会を設けています。これまで以上に、「人格なりきりレベル」での理解を目指して、プライベートな話題も含めた対話を心がけようと思います。
また、人財育成の観点から、情報収集と分析の方法論は、ビジネスパーソンの成長に直接活かせそうだと感じました。
フリーランス:黄田さん
フリーランスの立場からすると、むしろ「競争」や「敵」という概念自体を超えた、新しい働き方や価値創造の可能性を感じます。デジタル化やグローバル化で、従来の枠組みが変わりつつありますからね。
他方で、相手の非言語的な部分をいかに理解するかが重要になってきている、デジタル・コミュニケーションが主流の現代でも、情報収集と人間理解の方法論は、変わらずに重要だと思います。
そして、結局のところ、真の「勝負師」とは、外部との戦いに長けた人というより、自己を深く理解し、他者との創造的な関係を築ける人なのかもしれないと思いました。
起業家:緑川さん
「人格なりきりレベル」の話で思い出したことがあります。単なるニーズ分析ではなく、顧客の日常的な悩みや不安を丁寧に聞き取ることを通して、その人の人生観や価値観にまで寄り添えたと感じるときに、より良いソリューションが浮かぶことが多いということです。
教育系ベンチャーを運営する立場として、「競」と「争」のバランスは非常に重要なテーマです。対話で出てきた「情報の非対称性」は、「競争」と「協創」のバランスを実現するビジネスモデルを考える上で重要な視点だと思います。
物理学者:白石さん
研究費の獲得や論文の掲載を巡っては、明らかに「争」の要素が存在します。もちろん、「競」と「争」の二元論を超えて、ライバルたちを深く理解したり、共創の可能性を探ったりすることも意識してはいるのですが…研究資金獲得に向けた取り組みでは、社会ニーズとの兼ね合いや、まったく異なるアプローチとの実現可能性比較などで「争」の状況に陥ることもあるのが実態です。
こうした視点に立つと、「三つの柱」は相互に関連していて、「敵やライバルを知る」という要素は、環境理解や自己理解と影響を及ぼし合っているように見えます。
政府官僚:黒木さん
「争」を避けるための制度設計は重要ですが、過度な調整は却って非効率を生む可能性があります。本文にある「トレードオフの解消」という視点は、政策立案でも重要な示唆を与えてくれます。トレードオフの解消に向けて、既存の制度や慣習に縛らないようにするために、利害関係者の表面的なニーズだけでなく、その背景にある価値観や文化的背景まで理解する必要があります。そういう意味で、「S職員の話」や「屈折した体験と心情がない者は世の中の表面しか分からない」という指摘などは大変刺激となりましたが、現状、とてもそんなレベルでは取り組めていないと反省し、改善策を検討したいと思いました。
主宰者:7人目
私は、黄田さんの「真の『勝負師』とは、外部との戦いに長けた人というより、自己を深く理解し、他者との創造的な関係を築ける人なのかもしれない」という発言、
白石さんの「『三つの柱』(①敵やライバルを知る;②全体の流れや文脈(天の時)、環境を知る(地の利);③自分を知る)は相互に関連していて、『敵やライバルを知る」という要素は、環境理解や自己理解と影響を及ぼし合っている」という発言が、特に印象に残りました。
<問1>に関しては…私が意識している「評価基準」は、「納得できるか?」です。「理解」止まりではなくて、喜怒哀楽などの感情を伴ったり、腹落ちしたりする側面、行動を起こす源泉という側面が大事だという意図を込めての「納得できるか?」です。
<問2>に関しては…ほとんど日本人だけを相手にしているのであれば、「相手の立場だったらレベル」で通用しがちだけれど、異なる文化背景を持つ人々の中に入ったら、「人格なりきりレベル」が求められる、すなわち、相当ハイレベルな情報収集と分析が求められるという話を踏まえて、「口先だけで簡単に、デジタル化やグローバル化って、言っていたらダメだな!」と思いました。
◆今回の成果から、どんな問いや展開が浮かびますか?◆
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