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令和阿房列車論~その18『鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む』(6)

前回までのおさらい

前回までのおさらいとして、前回の記事をリンクしておきます。

自分の読書の習慣、ほぼなくなっています(涙)

第12セクション~鉄道の音楽性

このセクションはすでに先月中に読み終えたのですが、なんか感想というものが浮かばなかったのでこのコラムを書けなかった経緯がありました。

宮脇先生がモーツァルトを愛し、百閒先生が筝曲、いわゆる琴を習い、大検校である宮城道雄と交遊していたという記述があったことは頭に残っているのですが、11セクション以前のようには深い印象が私自身に感じられなかったのです。

どうも私自身の読書欲が衰えていたことも重なって、あまり印象に残っていないセクションでした。

第13セクション~酒という相棒

酒好きの百閒

造り酒屋の息子である百閒先生は、阿房列車の作品に書かれているように旅先の宿で地元の駅長などの国鉄職員を招待して宴を開くほどの酒好きでありました。
同行者のヒマラヤ山系こと平山三郎はそれこそ百閒先生の酒宴の幹事みたいなものでした。

百閒先生とヒマラヤ山系は、宿だけではなく列車内でも食堂車をはじめとして相当に飲んでいたことは阿房列車の作品に書かれています。

宮脇先生の飲酒スタイル

果たして宮脇先生は、鉄道旅の多くは一人旅だったので百閒先生とヒマラヤ山系のような酒宴という飲み方ではなく旅先の酒場とかビジネスホテルで時刻表をめくりながら飲むというスタイルが多かったようです。

列車で酒を飲むこと

ここからは少し作品を離れて『列車で酒を飲むこと』についての自論を交えたいと思います。

百閒先生の時代はまだ新幹線がない時代で航空機も今ほど普及していない時代でした。
1等車を好んだ百閒先生はそのコンパートメント(個室)で持ち込んだ酒やボイに頼んで購入した酒を浴びるように飲んでいました。

一方宮脇先生の時代は新幹線がデビューした時代で、その一方で在来線列車の食堂車が減っていく時代でした。乗車してから下車するまでの時間が短かくなればそれに応じて酒量も少なくなるのです。

さらに日本人の酒離れも重なって、食堂車もない個室もない新幹線の座席で深酔いするような飲み方が出来ない時代になってしまったような気がします。

私自身の経験談

私自身もそれなりに旅をしましたが、集団で酒を飲み交わすことはほとんどなく一人旅で缶ビールを読むことが多かったような気がします。
時には昔の急行列車の向かい合わせの座席で相席になった人と酒を交えたこともありました。私自身がまだ若かったこともあって酒やおつまみをごちそうになったことも少なくありませんでした。

社会人になってからは、仕事の多忙さや所帯を持ったこともあって一人旅もあまりしなくなりました。
鉄道の進化を見ると、新幹線網の拡大で在来線の長距離列車や夜行列車がほとんどなくなってしまい、また日本人の長距離移動も航空機が圧倒的になって鉄道のシェアが縮小して『鉄道で酒を飲む』シーンも想像出来ない時代になってしまいました。

余談~横須賀線の4人掛けで

これは旅ではなく仕事帰りのエピソードですが、当時の勤務先の最寄駅だった錦糸町から自宅の最寄駅まで職場の同僚と酒を飲んだことがありました。
当時の総武快速線~横須賀線はまだクロスシート主体の113系が多かったので、錦糸町で缶ビールを買ってまだ混んでいないクロスシートを陣取って一杯出来たのでした。

その後は職場と自宅が近くなって通勤電車で酒を飲むこともなくなりました。

横須賀線もE217系になってクロスシートが少数派になってロングシートが中心になり、さらにE235系に進化してグリーン車以外は全てロングシートになってしまった今では、通勤電車で酒を飲むことはほとんど出来なくなりました。今、飲酒出来るとしたらせいぜいJRのグリーン車か私鉄のライナーのクロスシートぐらいでしょうか。

#鉄道無常

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