くばレポ@カメルーン

2年間滞在したカメルーンについて、僕視点でお伝えします。 かなり僕の個人的な表現で読みにくいかと思いますが、よかったら読んでください。 ☆青年海外協力隊カメルーン隊員OB ☆現在、愛媛で農家兼アトリエ運営 ☆ハンドメイド男子 ☆コーヒー焙煎男子 ☆西予市地域おこし協力隊

くばレポ@カメルーン

2年間滞在したカメルーンについて、僕視点でお伝えします。 かなり僕の個人的な表現で読みにくいかと思いますが、よかったら読んでください。 ☆青年海外協力隊カメルーン隊員OB ☆現在、愛媛で農家兼アトリエ運営 ☆ハンドメイド男子 ☆コーヒー焙煎男子 ☆西予市地域おこし協力隊

最近の記事

#5 ホームステイ先での食事

ホームステイ中は、受け入れホストが食事を提供してくれるようになっています。 うちのマダムも料理上手で、出してくれた料理はほとんど美味しかったです。 カメルーン料理って何?って想像できないと思いますが、旧フランスなので、パン、パスタ、スープも食べ、基本美味しいです。 豆のソテーにゆでた食用バナナ 豆のソテーは野菜とサーディン缶に塩などを味付けしたもの、 食用バナナはプランタンと呼ばれ、バナナだけど食感はイモに近く、ほんのり甘みもあり、美味い。 何かの肉の落花生のスープ ダシ

    • #4 カメルーン人宅でホームステイ

      首都での語学研修の中盤にカメルーン人宅でのホームステイがありました。 1週間くらいでしたかな? フランス語とカメルーンでの日常生活に慣れるためのプログラムです。 ホストファミリーは、元軍人の旦那さんと銀行員の奥さんと居候の親戚の子。 中流階級のほんとに真ん中くらいの一般的な家庭だったと思います。 家の近辺はこんな雰囲気です。やはり赤土です。たまに舗装されているところもあります。 都市部からは少し離れた場所で、いわゆる郊外で静かなお宅でした。 大きい建物もあり、スラム

      • 首都ヤウンデでの生活

        なにはともあれカメルーンの首都ヤウンデでの生活が始まりました。 1週間もしたら段々と街並みに慣れ、警戒しながらも普通に街を歩くようになっていました。 カメルーンは比較的、治安はいい方だと思います。 昼間は女性の一人歩きもできますし、危険な地域さえ歩かなければ、滅多なことで危険な目に逢いません。 もちろん日本の安全と比較してはいけませんが、昼でも歩けない、バスの中で銃を突きつけられるような国よりは安全です。 首都の中心部です。 行政機関が集中している地域です。変わったデザ

        • 原稿2 カメルーンでの初めての朝

          カメルーンに降り立って2日目 初日は、夜だったため、街並みがよく分かりませんでしたが、 朝になって、街の雰囲気が見えてきました。 ベランダから見た風景は、舗装されていない道路に、コンクリート造りの建物。 緑の生えていて、土と緑に建物。 日本とは少し風景が違いますね。 宿泊は、ドミと呼ばれる僕ら青年海外協力隊が、行事や療養のため首都で滞在するための施設です。 今は移転していますが、僕らが初めに滞在したドミは、大通りから離れた奥ばった場所にある2階建ての住宅でした。

          原稿1 日本からおよそ12,600㎞のカメルーンに降り立った日

          2016年7月、日本から直線距離でおよそ12,600㎞離れたアフリカの国カメルーンに入国し、2019年3月まで1年9か月を過ごしました。 立場としては、JICAの青年海外協力隊としてです。 海外では4か国目でしたが、アフリカ大陸にまさか自分が来るなんてって思っていました。 全然海外慣れもしていませんでしたが、運よく同期隊員が9名いたので、入国時も心強かった記憶はあります。 空港に降り立った瞬間は夜、空気の匂いが違うといいますか、海外に来たなって感じがしました。もちろん

          原稿1 日本からおよそ12,600㎞のカメルーンに降り立った日

          no. 18 観光①カメルーン山

           今回はカメルーンでは数少ない観光についてお伝えします。 西アフリカ最高峰カメルーン山 最高峰とは言え、高さは4097mで富士山よりも少し高いくらい。それでも西アフリカの中では最高峰です。 そして、アフリカ大陸の中では最大級の火山でもあります。 別名、「偉大な山」の意味のモンゴ・マ・ンデミとも呼ばれます。 登った感想としては、長い!足が痛い!でも、壮大な景色を見れた!です。 行って良かったです。 行程としては、2泊3日です。途中にある2つのロッジに2泊しました。 費用

          no. 18 観光①カメルーン山

          no.16 全然違う、でも同じ

          これが、僕がカメルーンにいって最後らへんに感じたことです。 (物質的には)全然違う でも、(人間的には)同じ。 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、 どうすれば、喜ぶか怒るか、哀しむか、楽しむか どうすれば、組織的に上手く動くか、一緒に活動ができるか どうすれば、嫌なことをされるか、上手くいかないか もちろん、カメルーンと日本なので、言葉、人種、宗教、肌の色、金銭的裕福さなどこれらは、ほんとにまったくと言っていいほど、違うし差があります。 でも、喜びや怒り哀しみ、そういった感情

          no.16 全然違う、でも同じ

          no.15 なぜ他人の電気代まで払っているの?

          これは、カメルーンの僕の任地Batchengaバチェンガでの村のシェフとの話の中の出来事です。 「シェフ」とはフランス語では、料理人のことではなく、何かの「長」のことを示します。 なので村のシェフなので、「村長」になります。 僕の任地では、16村からなります。 なので、16村長いることになります。日本でいうと自治会長やその地区の長のようなものです。 そして、それとは別に市長がいて、副県知事がいました。 権力的には圧倒的に副県知事が強く、軍警備長など国や県系の役職が強く、

          no.15 なぜ他人の電気代まで払っているの?

          no.14  活動一覧

          僕がカメルーンでした活動を紹介します。詳しい活動内容は今後、個別で紹介します。 改良釜戸作り 石鹸づくり 改良マニョック栽培 道直し 井戸建設・修理のための活動 橋づくり カバン作り講習 ラタン家具作り職業教室開催 図書館支援 が主にしたことです。 一番楽しかったの活動はカバン作り講習です。 ものづくりが好きだったので、アフリカ布が好きになり、YouTubeで作り方を調べて、仕立て屋に教えて回っていました。 ある程度のものができれば、首都で日本人対象に

          no.13 協力隊あるある①カウンターパートがいない

          「カウンターパート」とは、派遣国の任地で活動をサポートしてくれる人のことです。 僕の場合は、農業省事務所のカメルーン人職員です。 ですが、任地へ行った時、このカウンターパートがいない、要請内容と実際の活動が変わっていた、活動内容がない、といったことは協力隊ではあるあるです。僕らは2年間活動するぞ!とやる気満々で任地へ行くので、初っ端から鼻をへし折られます。 原因としては、要請内容をつくるタイミングと実際に派遣されるタイミングとにタイムラグがあるためです。派遣される時には調

          no.13 協力隊あるある①カウンターパートがいない

          no.11 青年海外協力隊の待遇

          ※前提として、僕が派遣された時と現在では制度が変わっています。現在の情報については知りませんのでご了承ください。 今回は僕がいた頃の青年海外協力隊のお金の待遇面についてお伝えします。 海外協力隊に関心がある方の参考になれば嬉しいです。 結論から言いますと、ほとんどお金はかかりません。 唯一かかるとしたら、海外保険くらいだと思います。2年間で6万くらいだったかな。 JICAが負担してくれている費用JICAは協力隊が海外へ派遣し、生活し、帰国するまでの経費をほとんど見てくれ

          no.11 青年海外協力隊の待遇

          no.10 青年海外協力隊に合格した時の話

          今回は簡単に青年海外協力隊に合格した時の話をします。 青年海外協力隊に興味がある人には少し参考になるかもしれません。 僕が協力隊に合格した時の状況2015年の秋募集 職種はコミュニティ開発(旧村落普及開発員)倍率は3∼4倍くらい 希望国は、エルサルバドル、パラグアイ、セネガル 市役所職員、いわゆる現職参加、自己啓発の休暇で2年間の無給休暇、職場からの推薦あり 29歳 健康診断は尿酸値のみちょっと基準値をオーバー、8.0くらいだったかな? TOEIC300後半 お

          no.10 青年海外協力隊に合格した時の話

          no.9 カメルーンのまちなみ

          今回は、カメルーンのまちの様子を、首都と地方に分けて紹介したいと思います。主に写真での紹介になります。 首都部のまちなみ政治の首都ヤウンデの中央省庁付近、建物も立派できれいな車も多いです。 たしか銀行関係の建物だったかな?たぶん、ベスト3に入る高層ビル 左に見えるのはカメルーンで外交官がよく利用するヒルトンホテル。 大通りの道も整っていて、ライトも多い、これだけ見たら途上国に見えないですね。 というか、途上国といっても、大抵の国の首都は思ったより都会です。もちろん、一つ

          no.9 カメルーンのまちなみ

          no.17 検問:カメルーンでうっとうしかったこと①

          なかなかストレスの多い途上国の生活だが、その中でもかなり鬱陶しいなーと思っていたことが、検問です。 日本で検問と聞いたら、飲酒運転やスピード違反のネズミ捕りのような、一定の場所で警察官が検問しているのを想像すると思います。 もちろんこれも相当うっとうしいと思うと思います。 しかし、カメルーンで検問と聞くと、まちとまちの境界線付近に、軍隊が通行者の検査をしていることを示します。 しかも、面倒なのはその検査個所の数の多さと賄賂欲しさからのいちゃもんです。 バス移動などで

          no.17 検問:カメルーンでうっとうしかったこと①

          no.8 人物紹介①

          今回はカメルーン時代に僕が感謝した、好きな人を紹介します。 クレマン僕の前の簡易宿舎で使用人として住んでいたクレマン カメルーンの北部から僕の住んでいた中部の村に移り住んだみたい なので、おとなしい印象。(比較的中部のカメルーン人は自己主張が激しい)。 数多く接したカメルーン人の中で一番好きなのは、間違いなくこのクレマン お兄ちゃん的な存在、節度を分かっている、紳士、落ち着いている、努力家なんか支援したくなる。 2年間で、使用人をしながら、小さな商店を始め、少しばかりだが

          no.7 カメルーンに慣れるまでの時間

          よく3の倍数で物事は慣れていくと言いますが、僕がカメルーンに慣れるのには3か月もかかりました。 3か月といいますと、カメルーンについてからの1か月の首都での共同生活の後、任地での生活の2か月を終えたタイミングです。 当時のカメルーンの協力隊は、国の生活に慣れるため、初めの1か月は首都にて同期隊員との共同生活や語学研修を行います。それを終えて、それぞれが自分の任地へ旅立ちます。 その後の2か月は任地の生活に慣れるために、任地外への移動は原則禁止です。 僕はこの期間まで結

          no.7 カメルーンに慣れるまでの時間