五穀豊穣とミルキースマイル
五穀豊穣。
恒星と平穏安寧。
⸺10月10日
久しぶりに地元の富山に帰ってきた。正直、ナメてた。富山の自然がこんなに豊かで綺麗だなんて知らなかった。正確には知らなかったのではなくて、忘れていたのだ。
寒いのに、嫌な寒さじゃない。五穀豊穣に最適な、とても澄んだ寒さだった。稲穂になる前のあれも、なんかいい感じにそよんでいた。神社とサンセットが更にその感覚を後押ししていたような気がする。そして、無数の恒星が輝く星空には圧巻された。
その自然の豊かさは私が生まれる前から絶え間なく存在し、育っていく中でも恒久的に感じ得ることができた。だけど、私はそうしてこなかった。当たり前だと思っていたのだ。そんな貴重で素晴らしい恩恵を密接に感じようとはしてこなかったのは、非常に勿体無い。
日々、東京のコンクリートジャングルに癒着しまくっている故、本当の自然との結びつきなんで感じる余裕もなかった。圧迫感と閉塞感に苛まれている私の心は、何かしらの平穏を求めていたのかもしれない。
だから、久しぶりに地元の秋風を浴びて感動した。風は秋色ってこういうことかと、身に沁みて感じたのだ。私は聖子ちゃんの曲の中でも『風は秋色』が1番好き。44年前の秋にリリースされた聖子ちゃんの3枚目のシングルだが、最近の若者にはあまり馴染みはないかもしれない。
中学生の時から昭和アイドルがち勢の私にとったら、懐メロブームにさり気なく乗ってくるにわかがどうしてでも癪に障ってしまう。夜職をしている時は、それを然も知ってるかのように、聖子ちゃんの定番曲だけを客の前で歌うキャバ嬢が大嫌いだった。絶対そんな女は、『赤いスイートピー』しか知らない。そして、" I will follow you ”だけをそれっぽく歌うやつ。大体、潰れたフリして客とのアフターを意図的にすっぽかす。中の中の下くらいの見た目なのに、微妙に売上もあったりしたから、余計に癪に障ったのかもしれない。
そんなことを思い出しながらも、自然の美しさへの感嘆は止むことを知らなかった。恒星が東京で見るよりも、何倍も大きく見える。高い建物が全然ないだけで、こんなにも違うのかと改めて知ることができてよかった。
ただ、じっと恒星を見つめていた。
目が年々悪くなっている私でさえも、無数の点を夜空に確認することができた。この広い宇宙には他に何があるんだろうって、小さい子どもが考えるようなことを考えてしまっていた。宇宙人は絶対いるだろうし、他の星にはいつ行けるんだろうか。猿の惑星とかは、本当にあるんだろうか。いつしか、他の惑星の者たちに支配される時が来るのだろうか。
子供の時は、今私たちが生きている世界は誰かの夢の中の物語なのか、空の上から誰かが支配している途上段階なのかと思っていた。その面白くて歪んだ想像力が大人になっても失われなかったのは、ある意味良かったのかもしれない。エッセイを書く上での、1番の根源になっている。
田舎における五穀豊穣と、東京におけるそれはきっと違う。その速さも重みも違う。ブルーブラックな夜空と恒星の背景に聞こえてくる、スズムシの鳴き声が余計に思わせた。その音色以外、何も聞こえなかった。澄んだ沈黙が平穏安寧を物語っているような気がした。
東京で夜道を散歩していると、車の音、人の声、足音、その他の雑音が必ず聞こえてくる。でもそれは、人々が心の平穏安寧を求め彷徨っている雑音でもある。
田舎だと平穏安寧がある程度保証された前提で、物事が進んでいるような気がする。やはり、その恩恵を深く感じずに生まれ育ったのは大きな痛手だ。離れて分かる、田舎の存在の有り難み。北陸新幹線が開通して、2時間と少しでその恩恵を気軽に感じに行けるようになったのも感慨深い。
もっともっと、その大自然を体感してみたくなった。
今年に入って、オードリー若林さんの著書『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んで、無性にモンゴルに行きたくなっている。かなり、若林さんの文章力に感化されているが、色々と調べてみてもその想いは増すばかりだった。
富山の星空でこんなに綺麗なら、モンゴルの星空はどうなのだろうか。草原の壮大さ、周りにはゲルしかないような地で見上げる星空のスケールは計り知れないだろう。草原の葉は長くはないだろうから、スズムシすらいないような気がする。その、無音の中で感じる真の自然の実体は予測不可能だ。これは、絶対にモンゴルに行かなければと思う。早ければ来年にでも行ってみたい。
16歳の夏、1人カナダに飛び立ち、1年をそこで過ごした。ホストファミリーと行った、山奥でのキャンプが今でも忘れられない。その星空を見て、涙が止まらなくなったのを覚えている。今にも手に掴めそうなくらい、恒星が大きく見えた。世界には、こんなにも綺麗な自然と光が存在するのだと感嘆した。
きっと、モンゴルの星空はそれを超える壮大さなのではないかと思っている。16歳の時の感涙と、30歳を迎えた感涙の壮大さも、またきっと違うだろう。
聖子ちゃんの『風は秋色』は失恋ソングだけど、いつしか私にとっては故郷と大自然の尊さを感じさせる曲になっていた。良い大人になってから大自然云々とか言うのは恥ずかしさもあるけど、これは色々と体感してみないと分からないなと思った。でも、曲中で聖子ちゃんが言っている「ミルキースマイル」が未だに何か掴みきれてない。
私を壮大な器で見守り、色んな意味で五穀豊穣させてくれた故郷に感謝したい。身体的にも、経済的にも、感性もたくさん成長できた。そして、これからの故郷の五穀豊穣も祈らんばかりである。
やっぱり、東京には猛烈に帰りたいけど、同じくらい猛烈に帰りたくない。田舎ってなぜかそうさせるよね。なんだか、後髪と前髪が引っ張り合いっこしてるみたい。