桜とお別れと生きている意味
描きました。「桜」
もうすぐ、桜の季節です。
つまり、お別れの季節。
出会いの季節でも、あります。
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皆さん、HSPという言葉をご存知でしょうか。実は私は、HSS型のHSPです。一言でいうと、感受性がとても高い気質のこと。詳しくいうと、「生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味です。下のような英語で、その呼び頭文字をとってHSPと呼びます。
こんな気質の私は、”お別れ”のときに感じる感情が、どうしても人より強くなってしまうのです。だから、正直、この時期はとても辛い。お別れがたくさんあるので。春は苦手です。嫌いではありません。でも、大の苦手なのです。
辛い。
私はよく、気持ちが大きく動いたときに絵を描きます。今回の見出し画像は、少し前に描いた桜です。実はこれ、2年前に実際に見た桜をモチーフにしているのです。(以前noteに載せましたので、よかったらご覧ください)
今年はまだ桜は咲いていません。だから、この桜は私の頭の中の桜。ですが、今年既に予感している気持ちが、2年前の気持ちととても似ていたので同じ桜をモチーフに描いたのです。
お別れが辛い。悲しい。痛くて、とても怖い。
前がよく見えない。
皆さんはお別れに際した時、どのような感情を抱きますか。
あたたかいお別れでも、ツメタイお別れでも、お別れは痛い。心が痛いんです。少なくとも私は。
きっと相手は、私とのお別れに、そこまで強く何かを感じることはないでしょう。
受験期に添削をたくさんしてくれた英語の先生も、2年間お世話になった高校の担任の先生も、1年間だけ英語を教えてくれて、でも卒業時には体調を崩されてずっと長い間会っていない先生も、私の大っ好きなお世話になった塾の先生たちも、もう会っていないけれど大好きだった塾の先生も。同じクラスで、たわいないことなんかを話しかけてくれる男の子も、いつも一緒に行動していた女の子友達も。
もっと言えば、小学生のときに毎日色んな発見を共有した給食員さん、小4のときに「俺はみんなが卒業するまでに結婚する!」って宣言した先生も!小学生時代一緒にたくさん遊んで引越しちゃった子も。そして、そこそこ仲もよかったけれど、急に不登校になっちゃった友達も。
昔送られてきた年賀状や、小さい頃に交換したお手紙。遡ると出てくるメールやLINEのやり取り。もう連絡することは決してないはずでも、絶対に捨てられないのは、何かが心に残っているから。
私にとっては、これらすべてが宝物で、すべてが私の心を作ってるものだと思っています。
楽しいも、悲しいも、辛いも、寂しいも、伝えた気持ちも、届かなかった気持ちも、全部、大切な思い出!
生きててよかったって思うこともあり、もう生きたくないって思うことだってあります。何を心に思っても、これまで出会ったすべてのために、全部引き受けて生きていきたい。これまで出会ったみんなが、もう私のことを必要じゃないって思うなら、私は潔く…。私自身に生きている意味は特にないから。生きている意味は、まだ、見出せていない。まだ、今は、意味がない。
今はこれが精一杯の人生。
(これでいいのかは分からないけど…)
私は自分が生きている意味を見出せない。だけど、若干名の方が、私が生きることを望んでくれてる。家族や親友たち。遊びに誘ってくれたり、話しかけてくれたり。相手にとってはプラスになっていないかもしれないけれど、私にすると、それが生きる理由になってくれている。
お別れをしないで、接してくれている。
離れていても、遠くから、連絡をくれる。
離れても、また、連絡をしようって約束をしてくれる。
心の距離が近い。
私は、まだ、皆さんがなぜ生きてるのか分かりません。生きるのはきっと使命ではないと思います。生きる理由は何だってよくて、辛いなら生きるのを辞めてもいいのかもしれない。強く生きられないなら、弱く生きてもいいんだし。
世界にはこんなにいっぱいの人がいるのに、本当はもっと生きるのを辞めたいって思っている人がいるはずなのに、ほとんどみんなが生きている。
もちろん生きないことを選択した人もいる。その理由は個別的で、私には理解しようがない。だけどそれも、その人にとっては、数ある生き方の中の1つだったのかもしれない。
お別れは、いつも私に、生きる理由や生きない理由を教えてくれる。
そして、桜を見ると、人生に意味がなくとも、何かが生きる理由になったりするんだってことを思い知る。明日したいことや将来してみたいこと。今の気持ち。過去の振り返り。全部が、存在の理由になる。
皆さんは何のために生きていますか?
明日も生きますか?
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私の感受性が高すぎてしまったがために、こんなにも「お別れ」に対して感傷的になるのか、それとも、みんな隠れて、深い感情に浸ることがあるのか、それは分からないけれど。
やっぱり春は苦手。
桜は、美しいから悲しく見えるのか、悲しいから美しく見えるのか。
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