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私の「味方」と古市憲寿さんの「敵」

私の思考は誰の役にも立ちません。

しかし、それは結果として、私の考えが人を傷つけないでいることができている証明にもなります。

誰の役にも立ちませんが、誰の敵にもなりたくありません。

まだ私は、誰の敵でもないはずです。

そうあって欲しい。

もし私が誰かの敵になるならば、それは、相手が、

1 私の大切な人を意識的に傷つけた
2 価値観の違う他者がいることを認めないという選択を強行した

このふたつのどちらかに由来するでしょう、と勝手に思っています。

おそらく、古市憲寿さんは、これを、「誰の味方でもありません」と表現しているのでしょう。

まぁ知らんけど(੭ ᐕ))? 笑

私もこの言葉を大切にしていきたいものです。

「誰の味方でもありません」

素敵ですよね!とても。

しかしながら、私にはまだそこまでの度量はないので、代わりにここに、「誰の敵でもありません」とだけ残しておきたいと思います。

こんなことをふと思った今日でした。

おやすみなさい。

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