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映画「夢みる小学校」鑑賞レポート。

自主上映の映画「夢みる小学校」という映画をご存じだろうか?

保健の先生をしているママ友が、助産師さんや子どもの発達に関わる仕事をされている方たちとNPO団体を結成しており、県内で、この映画を自主上映するということで「興味ない?」と声をかけてもらい、2週間前に1人で観に行ってきた。

夢みる小学校HPより

楽しくなければ、学校じゃない
宿題がない、テストがない、「先生」がいない。
「きのくに子どもの村学園」の子どもたちは「プロジェクト」とよばれる体験学習の授業を通じて、
自分たちでプロジェクトを運営し自らの頭で考えます。
「楽しくなければ、学校じゃない」と、子どもの村のスタッフは口をそろえます。
キラキラした目で笑顔で学ぶ小学生の姿を見た事がありますか?
学校って、本当はこんなにわくわくする場所だったのです。
学校観が180度変わる”うれしい衝撃の授業風景”をご覧ください。

夢みる小学校HPより

1年前くらいにも、別の人に声をかけてもらって観に行く機会はあったのに、場所が少し遠くて断念したことがあり、それからずっと気になっていた。

しかし…
「観た後には、子どもをこんな学校に行かせたい。でも近くにないしなぁ…引っ越すこともできないし…あ~あ」
というジレンマに陥るんじゃないかと、どこか避けたい気持ちもあった。

ただ、今回誘ってもらい、「行きたい」「行ける」というのは、私にとって必要なタイミングであったように思う。
そして、ジレンマにはさほど陥っていない。
理由は後ほど述べたい。

映画は、小学生たちだけで大工仕事をしているシーンから始まる。

2階建ての大きな遊具を、児童たちだけでトンカントンカンやっている姿に、度肝を抜かれた。1人が釘を押さえ、別の子がそこをトンカチで叩く姿に、私は目を覆いたくなった。
IKEAの組み立て家具ですら、我が子にちょっとやらせただけでハラハライライラしてしまう私には、到底耐えられそうもない…!

「怖くて、いろんなことをやらせていないだけなんだな」
「やったら、きっと幼い子どもでもできるんだな」

そう気づかされるシーンで、冒頭から胸がチクチク痛みだした。
怖い、ケガさせたくない、子どもを信じて見守れない…親のそんな感情で、子どもの体験の機会を奪っているんだという事実を突き付けられた。

長野県にある「きのくに子どもの村学園」には、小学校と中学校があり、この学校には、授業がなく、その代わり、体験を通した学びを重視している。先生はいないが、子どもたちの活動をサポートするスタッフと呼ばれる大人たちがいる。
この学園を卒業して、スタッフとして戻ってくる方もいるようだ。

メモ帳に控えた情報に若干自信がないのだが、
体験には確か以下の5つがあり、

  • 料理

  • 工作

  • 木工

  • 昔体験

  • 劇団

これらの活動の中から、子どもがやりたいことを自由に選ぶ、というスタイルだ。

料理の中で「うどんを作る」という活動が紹介されたのだが、
子どもが自分たちで、うどん屋さんに連絡をしてアポを取り、見学させてもらう。そうして自分たちで分量などを話し合いながら、うどんを作るのだが、美味しくない~などと言いながら、笑い合い、食べるシーンが印象的だった。

面白いなと思ったのが、
このうどん作りから、

●分量などを量る、計算する・・・算数
●レポートを書く・・・・・・・・国語
●名産地や発祥地を知る・・・・・地理・歴史など社会
●発酵について考える・・・・・・理科

など、いわゆる「勉強」にもつながるという点だった。
体験することで、これはできないと困るな、と必要を感じ、学ぼうとすることはとても良い順序だよなぁと思った。

この順序は、長男を見ていても、ふと感じたことがあった。

電車好きな彼は、
路線図好きなので、地図も好きになり、そこから地理に興味を持ち、お城も気になり始め、歴史にも興味を持つようになった。

国語は好きではないようだが、習った漢字で駅名を書きたいらしく
「ママ~今日で❝練馬高野台❞が書けるようになった~」などと、習った漢字を嬉しそうに報告してくる。(※長男が2歳前まで練馬高野台という駅の近くに住んでいた)

「好きなことがいちばんその子にとって学びになる」

途中で脳科学者の茂木健一郎氏が出てきて、そう述べた。

茂木氏以外にも、尾木ママや、自身の息子たちをこの学園に通わせた作家、大学教授などが登場し、「きのくに子どもの村学園」の学びが、決して常識的に逸脱したものではなく、人間の本来の成長に必要な過程をたどって、むしろ優秀な子どもたちを生み出している、という裏付けのようなコメントを随所に挟んでくる。
…そんな、ちょっと斜に構えた見方をしても、納得できるものである気がした。

「きのくに子どもの村学園」のような私立の学校は、長野、福井、和歌山、北九州、長崎にもあるようだが、
公立の小中学校でも、「校則をなくした」「通知表を廃止した」「定期テストをやめた」という校長先生が数名紹介された。

この取り組みにより、子どもたちの成績が上がったらしいが、成績が上がらないと、「変な学校にしたせいだ」と言われてしまうのが、学校経営の厳しいところです、という本音を吐露されていた校長先生もいた。

これは私の勝手な解釈だが、
校長先生たちは、校則や、通知表や、定期テストをなくすことで、成績が上がることを望んでいるわけじゃないんだよね、と感じた。
そんなふうに、すぐに表れる効果を期待してるんじゃなくて、
子ども一人一人の長い人生において、目先の成績以上に大事なことがあると思ってやってくれているんだろうから。

何事も即効性のあるもの、目に見えるものを重視してきた大人たちの意識を少しずつ変えなきゃいけないときが来ているんだよな。

映画の後半では、
全てを「きのくに子どもの村学園」のようにしなくても、紹介された公立学校のように、一部でも何かを見直したり、また、子どもに制限することなく何かを体験をさせることは家庭でもできる、まずはそこからでも、というメッセージがあった。
そのおかげで希望を感じ、「あぁぁ~引っ越せないしな~」というジレンマに陥らずに済んでいる。

特に、心に残ったメッセージをいくつか紹介したい。

「人間が成長するのは、夢のような環境にいるとき」

「将来のために我慢すると、一生我慢することになる」

「発達障害は画一的な教育が作りだしたのかもしれない」

「子どもは自由にさえなれば、幸せになれる力を持っている」

「学校は、楽しいだけでいい」

最後にもう一つ、強く心惹かれた大学教授の話で、この鑑賞レポートを締めくくりたい。

日本の子どもたちは「質問」ができない。
アメリカでは当たり前にできている、「問いを育てる」という教育が日本ではなされておらず、破壊的だと思う。
「きのくに子どもの村学園」卒業の子どもたちは「質問力」が高いと感じる。
問いは、教室からではなく、暮らしの中で生まれる。
人生を通じて、答えのあることなんてない。
人生は問いであふれているから
死ぬまで「もっと知りたい」が枯渇することはない。
小さい頃から、その問いを封じ込められてしまったら、人生っていったいなんだろう?

大学教授の話

私はこの映画を、自分の子どもの通う学校の保護者や先生たちと、一緒に観たいなと思った。全く受け入れられない人もいるだろうが、子どもたちの幸せを願う大人なら、何も感じないわけはない。そんな風に思える映画だった。

全国各地で上映予定があるようです(随時更新されています)。
お近くで開催があれば、ぜひご覧になってみてください…!

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長橋 知子
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