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水餃子のように生きてみたいんだ。

死ぬ前に食べたいものは、水餃子一択だ。

水餃子に惹かれる最大の理由は、中身のバリエーションの豊かさである。

実家にいた頃、母がたまに焼き餃子を作ってくれていたが、私の中の「真の餃子愛」は、19歳の中国留学中、水餃子を食べ続けた日々から生まれた気がしている。

日本では焼き餃子が一般的だが、中国ではゆでる水餃子か、蒸し餃子が主流だ。

そのせいで、脂っこさがなくて、いくらでも食べてしまう。
1食で15~20個くらいは当たり前に食べていた。(帰国時5㎏増)

私が暮らした天津という都市でよく食べた水餃子は、
エビと豚ひき肉、白菜、ニラ、そして炒り卵が入ったものが多かった。

私が大好物なのを知った留学生寮のおじさんが家で作って、タッパーに入れて持ってきてくれたり、仲良くなった中国人学生の実家で一緒に作らせてもらったりもした。

中国人は旧正月に家族総出でにぎやかに、そして大量に作る。さらに、彼らのオープンで、客人に気を遣わせないおもてなしの文化にも感動した。

また、回族という少数民族の友達の家にお邪魔した時は、イスラム教徒なので豚肉ではなく、羊肉とすりおろしニンジンという独特な組み合わせの蒸し餃子をいただいたが、これもまた美味であった。道産子ゆえに、羊肉に抵抗がなくて良かった。

帰国して大学を卒業後、就職したのが中国企業だったので、中国人スタッフや、取引先の中国人の方々とのホームパーティでは、作り方を教えてもらいながら、一緒に水餃子を作った。
参加者総出で小麦粉をこね、皮を伸ばし、包んでいく。あの楽しい作業をみんなでやれば、仲良くなれないわけがないのだった。

1ヶ月間の研修で大連に行ったときは、これまたバリエーション豊かな餃子の具を知ることとなる。

港街なので、魚のすり身のような餃子をよく見かけた。
それ以外にもセロリ餃子、ピーマン餃子、野菜のみの餃子など、今までの常識を覆してくれる具にも出会った。

その後、転職して東京で一人暮らしをするようになった私は、月1回は同僚や先輩を招いて、木造アパートでホームパーティを開き、水餃子をふるまうことに精を出し始める。

皮は、丸くつぶした小麦粉を左手で回しながら、右手で棒を使って伸ばし、皮の真ん中だけは分厚くする。包むときは、キュッと端を押さえるにとどめ、可能な限り具をたっぷり入れたいというこだわりはゆずれない。
そして続けていくことで、腕も上がっていく―――。

水餃子には、何を入れてもおいしい。
このことが、私を一番感動させる。

どんな具でも、混ぜて味をつけて、うどんのようにコシのある皮で包んでゆでれば、それはもう素晴らしいごちそうになるのだった。
あの感動を味わうためなら、時間と手間も惜しくない。(ただし作る前の気合い入れは必要。笑)

どんな人でも、受け入れる。
いっしょにいるうちに、気づけば不思議な一体感に包まれている。
胸焼けさせない、後味。

そんな、寛容で包容力のある、爽やかな人間に、私はずっと憧れている。

だから、水餃子にこれほどまでに魅了されるし、これからも作り続けたいと思うのだろう。

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