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普段

立秋が過ぎ去った夏の日。

残暑。

残暑と言っても暑いものは暑い。

だが、少しだけ暑さの質が変わったような気もする。

暑い盛りに、ふいに感じる暑さの穏やかさ。

容赦なさが少しだけ薄れたような気もする。

特に朝。

朝の空気に涼しげな雰囲気が出てきたような気がするんですよね。

気のせいかな?

気のせいだとしても、季節のちょっとした変化を感じれるような心の余裕を常にもっていたいですよね。

目の前のことに意識を奪われすぎるのも…

ってな感じですか。

まぁそれは良いとして…

朝ってのは特にどの時期も季節の変化を感じやすいですよね。

一日の始まり。

朝の空気…。

目が覚めてカーテンを開ける。

日差しが入り、寝ぼけている頭がシャキッとする。

窓を開けて外の空気を吸う。

新鮮な空気が体内を巡る。

一日の始まり。

日常、常日頃、普段の始まりでもある。

いつもの動きに、いつもと同じ道程。

時間の流れは特段変わらない。

逆に普段と違うことがあれば、かえって神経を使ってしまうことがある。

「日常」は、「普段」と一緒で良い。

特段違うこともたまにあれば刺激になる。

たまには日々のサイクルを逸脱したい…。

そういった感情も重要であるのは間違いない。

っであればこそ普段を大切にしていきたい。

何気ない日常の一コマを。

一日の始まりでもあり、普段の始まりでもある朝。

全ての始まり。

今日一日を良い状態で過ごしたい。

それには朝食は不可欠。

朝はご飯派?
朝はパン派?

主に食べるのは白米。

やっぱり日本人なんでしょうね。

ご飯の方が落ち着く気がする。

なのでもっぱらご飯だが、朝にパンを食べるのも好きだ。

パンにコーヒーにサラダにヨーグルトやフルーツなど…。

贅沢な感じがしますね。

たまに朝食で食べるパン。

そのまま食べるのか。
はたまたトースターなどで焼いて食べるのか…。

自分は焼いて食べる。

そしてこのパンを焼くという行為に普段の好きな瞬間がある。

お気に入りの道具を使って焼く。

そして気に入った道具は、使えば使うほど「使った感」が備わってくる。

さらに個人の主観で書かせて頂くが、このお気に入りの道具を使用することによってパンは自分にはとても美味しく感じるのである。

何故?

きっと道具の力もあるから。

多分。

そんな日常。

日常の一コマ。

繰り返される日常。

ありがたい普段。

その時間の流れの上に乗っているからこそ、道具への愛着が増すのだと感じる。

持ち主と道具の関係。

それは特別な時だけではなく、常日頃いかにその道具と付き合うか。

多分「愛着」ってのが大切なんでしょうね。

その積み重ねが「常日頃」に微妙なアクセントを加えてくれるのかも。

パンを焼く道具…。

京都市は中京区堺町に所在する金網屋さん。

「辻和金網」さん。

ひょんなことで知った金網屋さんで売っている「辻和の焼網」。

「辻和の焼網は目の細かい受け網がガスの直火を和らげ熱をまんべんなく広げるので、手軽にご家庭で網焼き料理が楽しめます。」(説明書の文言抜粋)


我が家の「辻和の手付焼網」

大きさはパン一枚が良い塩梅で乗るサイズ。

パン一枚よりは大きい。

IHコンロは使えない。

ガスコンロはOK。

自分はガスコンロで。

コンロの五徳の上にスタンバイ。

火加減は弱火~中火で焼くのが美味しく焼き上げるコツだそうだ。

多少使うのに慣れてきた頃、焼きながら違うことをしていたことがある。

ええ、パンが真っ黒になっちまいました。

あまり調子にのらない方がいいですね。

なので、それ以来一枚を焼くのに目を離さず集中して焼くようになった。

焼網…。

コンロの上に置き、火をつける。

火を直火で受ける受け網が赤くなる。

火を受け止めている証拠。

コンロの火を受け止める焼網が熱くなっていく。

熱が籠っている…。

その様子は火を柔らかく受け止め、力として吸収し蓄えているかのようだ。

その力が上部の焼網に伝わっていく。

火の熱を乱暴に、自らの熱に転嫁するのではなく受け網→焼網と段階を踏んで温めていく様子は、職人さん達の計算された技を感じる。(ような気がする。)

蓄積される熱…。

その熱の様子を柔らかい…っなんて言っているがあくまでも比喩。

触るとヤケドしてしまうのでご用心を。

自分は「予熱」でもってまず、焼網さんを温めてからパンを網に置き、焼くという行程をとる。

ひょっとしたら人によって違うかもしれないが、まあ良いじゃないですか。

そのほうが網もパンも喜んでいるような気がして。

分かりませんが。

朝の一コマ。

温まった網にパンを置く。

どうだろう。

中までふっくらと温めるならば、弱火でジンワリと攻めた方が良いのかな。

だがそこまで流暢なことは言ってられない。

中火でいこう。

火加減は時々様子を見ながら。

先ずは表面。

パンが焼けていく…。

その様子を見つめる自分。

焼いている面の状態は今どんな感じなんだ?

そんな想像を膨らませながら、パンと焼網の会話に耳を澄ます。

会話は聞こえるようで聞こえない。

今かなと思って引っ繰り返しても、まだ焼き色が浅い時がある。

むむっ…。

もう一度トライ。

そして再度引っ繰り返す。

すると自分好みの焼き色がついた食パンが顔を表す。

旨そうだ…。

同様に裏面も焼いていく。

最後まで集中。

この辻和の金網を使ってパンを焼くという行為に集中するのが、普段の何気ない楽しみになっている。

イヤ、四六時中じゃないけど。

朝の貴重な時間。

パンと火と焼網との会話。

仕事前の頭の体操にも。

休みの日は、これから始まる休みという時間に「フォーカス」するスイッチにもなる。

焼き上がり。

パンの焼けた香ばしい香りがする。

トースターなどでも香りは感じる。

だが、それとはまた違った香り。

網に触れ、網を介して火に当たり、直接的にも間接的にも火に焙られたことがそうさせるのか。

何より焼網上で焼けた香り、そして焼網に面して焼けた香り、何も囲いの中で焼いたものではない、むき出しの香り…。

パンの焼いた香りが鼻腔をすり抜ける。

さあ、朝食だ。

パンを口にする。

うん、美味しい。

このパンの香ばしい加減よ。

焼網で焼いたから得た独自の焼きさ加減というか…。

カリっと仕上がっている。

だが、焼き加減については更なる研究の余地が必要そうだ。

まあ、そこは今後の「普段」で培っていこうじゃないの。

そしてコーヒーを。

やはりパンとコーヒーは合う。

このままゆっくり…。

いやいや今日は仕事だ。

そろそろ行かねば。

使った焼網を洗って…。

ってな感じで普段お世話になっている「辻和の焼網」。

ちなみに説明書には手付焼網の「受け網交換」を承っております。

っとある。

まだ自分の焼網さんは大丈夫そうだ。

ちなみに受け網は直火が当たるので、使っていくと黒くなっていく。

買った時の新品状態が好きならば、黒くなっていく様子が残念と思われるかもしれない。

自分はその黒くなる様子も積み重なっていく「普段」と感じれて。

愛着を感じれるものでもあるんですよね。

そこに「日常」の余韻を感じれるようで…。

パンの焼ける香り。

入れたてのコーヒーの香り。

朝の眩しい光。

お気に入りの道具を駆使して

忙しい朝も。
ゆったりとした朝も。

まあ、たまにはそんな日常を楽しむのもいかがでしょう?

そんな朝には…

ゆったりとした音楽を。

ヴォーカルは無しで。

楽器の演奏のみを楽しもうじゃないか。

ギタリスト、ケニー・バレルさんの一曲。

「ソウルフル・ブラザーズ」

洗練された音使い。

洒脱なブルース。

朝でなくても夜に聴いたらそれはそれでムーディーに。

まあ絶妙な塩梅の楽曲と感じてます。


焼網は自分が使った、全くもっての個人的な感想。

どうかご了承とご容赦を!






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