異邦人
千年の都、「京都」。
桓武天皇が都を遷都したのが794年。
以来幾多の出来事が京の都を舞台に繰り広げられてきた。
その1つ1つの出来事達が、都の時間の流れの中で色濃く足跡を残している。
有形にも。
無形にも。
深い歴史と共に熟された独自の空気を纏った都には、世界中から多くの人々が訪れる。
その歴史や文化、寺社仏閣や建造物に祭事、美食やおもてなしなど、訪れた人々は古都の魅力に魅了される。
ひとえに一朝一夕では、到底辿り着くことない街としての一種の「境地」。
四季を愛で、古都の香りを感じ、景観は観る者の心をとらえ、「今」と「昔」が程よく混じり合った街は、そこはかとない「懐の深さ」を忍ばせている。
都に流れた時間や、数多の出来事の為したる所以か。
屹立とした存在感。
そして悠久の時の流れが誇りを磨き、京都の街としての「所作」を磨いてきた。
一言では表せないその魅力…。
街が幾多の時代を駆け抜けていくと同時に、そこに暮らす人々も都と共に呼吸を合わせて、独自の文化や習慣、伝統を育んできた。
培われたものは日の本の「遺産」として唯一無二の光明を放つ。
繰り返して述べるが、一朝一夕では決して為し得ないものだ。
それだけ街と人々の絆と歴史は深いというわけか。
当然のことながらそれは日本各地でもそうと言えるわけだが。
京の都と京に住まう人々…。
入り人(いりびと)。
京都以外の土地で生まれて、京都にやってきた人のことを指す。
異邦人。
外国人や異国人のこと。または別の地域・社会からやって来た人。見知らぬ人。
京都を主眼として、美とそれに翻弄される人々を描いた小説。
異邦人(いりびと)
小説家、原田マハさんが執筆され、PHP文芸文庫から出版された。
とある古本屋さんで発見し、最近読み終えたので読書記録として感想を綴ってみよう。
物語は東京と京都を中心に描かれる。
たかむら画廊の若い専務である篁一輝。
一輝と結婚した有吉美術館の副館長、有吉菜穂。
菜穂はとある事情で出産を控えて東京から離れて、京都に逗留していた。
そこで運命的に一枚の画に出会い、心を奪われていく。
物語はそのような感じで展開していく。
序盤はゆったりと、ただこれから訪れる話の展開に向けてしっかりと種をまくような進行。
そして物語は徐々に加速度を増して進んでいく。
中盤以降に感じる物語の疾走感は息を呑むような読み応えさがある。
一筋縄ではいかない、取り広げられた人間関係。
隆盛と凋落。
かくも人々は「美」を通じて様々な人間模様を成せるのか。
逆を言えばそれだけ「美」は人々の核心に訴えかける「何か」があるのかもしれない。
理知をくすぐり、本能に訴えかけてくる何かが。
改めて芸術というものにはそれだけの力があるのだと感じた。
特に「美」を主眼において進められる物語において、紆余曲折を経ながらも「美」によって菜穂が自らの生き方の核心に迫っていく様は鋭く・妥協を許さない熱い姿勢を感じさせてくれる。
芸術品に対しての鑑識眼に絶対の自信を持つ菜穂。
菜穂が暮らしていた東京を離れ、一人京都で「異邦人」として過ごすかたわら、ある女性画家が描いた画によって菜穂はある意味「美」とそれに携わる自身の存在意義を明瞭にしていく…。
普段人々が芸術品や美術品に触れる機会といえば、美術館に行ったり芸術館に行ったりして作品を愛でたりすることだろうか。
行くきっかけはそれぞれあるが、その際に特にこれを見たいという明確な意識はなくともそれなりに楽しめるものである。
スポーツを鑑賞したり、音楽を鑑賞したりするものとはまた違う…。
視覚を通して様々なことを訴えかけてくる作品達は、目に入る情報量よりもさらに人間の奥底の部分までに接してくる、いわば心のフィルターを通したその人にしか見えない画の情報が脳内に入り込んでくる。
きっとそれが「美術鑑賞」の醍醐味なのかもしれないが。
生きた画家が、様々な思いと心を込めて丹念に描いた作品達は、作家の手を離れて生きた独自の「作品」として息をし、そして呼吸をしている。
十人十色で見た人がそれぞれ感想は違うとは思うが、そこからポジティブなエネルギーをくみ取り明日への糧にする人や、生きるヒントを得る人などもいるだろう。
あくまでも色々な思いで鑑賞を楽しんでいらっしゃる中で、きっとそのような方もいる程度の話ではあるが…。
美術館などで飾られている作品達にはきっとそのような力もあるのではなかろうか。
美しいものを愛でる、という以上に…。
きっとその事実が後世に語り継がれる理由の一つでもあるのだろう。
そして物語の菜穂はプロの学芸員として日々多くの作品と向き合い、展示の仕方を考え、どう作品を鑑賞者に見て頂くかを常に考えている。
作品に対する愛情や見立ては人よりも優れているわけだ。
その優れている理由は他にもあるが、あまり触れるとネタバレになってしまうので…。
深い「美」への愛情と共に、菜穂の思いや物語は加速してゆく。
菜穂の美術に対する姿勢…。
全てを参考にはできないかもしれないが、とかく苦心を強いられ思うようにいかない世の中においてその一徹な姿勢は、信念を貫く尊さみたいなものさえ感じてしまう。
とかく難しい世の中ではあるが…。
物語の展開と同時に話の主眼に置かれる「京都」。
今時分は桜の花が咲き、多くの人々で町は賑わい、祇園歌舞練場では都をどりが催されるなど季節を感じさせるものになっている。
五月には下鴨神社と上賀茂神社の例祭である葵祭が行われ、梅雨の時期を越えた七月には祇園祭、そして八月には五山の送り火などその季節季節に伝統を感じさせてくれるような祭事が催される古都、京都。
ちなみに直近で行われる葵祭に7月の祇園祭、10月に行われる時代祭を総じて京都三大祭りと呼ぶ。
葵祭は葵(フタバアオイ)を多く用いたことに由来し、元禄年間(1688~1704)の再興以後呼び始められたそうだ。
そういった全ての事が脈々として受け継がれ、伝統が形を成し、人々に支えられて現代の生活に根差している。
そこには古くからの秘めたる部分もあるのだろう。
極端に言ってしまえば「一子相伝」のような…。
大分県日田皿山の「小鹿田焼き」。
その窯元は代々自らの血縁者のみで技術を相伝してきた。
そう、「一子相伝」である。
話の論点が違うかもしれないが、都として磨かれてきた街としての立ち居振る舞いや、伝統、魅力はある意味「小鹿田焼き」のように「一子相伝」で築き上げられた面もあるのではなかろうか。
極端に言えばだが。
そして話は全く別物かもしれないが。
その魅力は見る景色一つをとっても趣きを成す。
そして見る位置によっても見え方が違い、新たな発見を演出してくれる。
同じ京都駅構内でも時間帯によってグッと印象が変わるように…。
一見して感じ目に見える「景観」と、その地に流れる時間を通し人々の生活とシンクロした「景観」との感じ方が違うように、その街は多面的に様々な表情を呈示してくれる。
歴史や伝統に裏打ちされた奥ゆかしさや、趣き、そして奥義のような古都の力。
その全てが物語において流れる景色として、そして一つの出来事として濃密に絡んでくる。
その古都の「奥の部分」に魅せられ、そして揺られ成長してゆく菜穂。
異邦人とあるが、この意味深なタイトルが果たして何を意味するのか…。
単に「入り人」としてのことなのか…。
確か高畑充希さん主演でドラマも放送されているので、ご存知な方も多いとは思うが、複雑に進行していく人間関係や「美」に関わる人々の葛藤、古都の「懐の深さ」など捉えるテーマはたくさんとある。
一輝や菜穂の生き方に、人間味を感じそして「信念」というものがどの局面においても重要であるか…。
まあ、人によって感想は様々であろうと思われるが、ひとまず自分の読書感想文はここまで。
長々とお付き合いいただきありがとうございます。
観光シーズン真っ只中で、連日多くの人々が訪れる京都。
先述して書き記しているように程良く「今」と「昔」が景観の中に溶け合い、木々や山に取り囲まれた自然の部分と京都の街のバランスが絶妙だと自分では思っている、好きな街。
色濃く多彩に様々な表情を見せる。
その表情は観る者の心に、上手く溶け込んでいるのだろう。
そう、自分勝手ならぬ「景色勝手」な佇まいにならない。
人の心に沿った表情を見せてくれる…っとでも言ったら良いのかな?
決して自分本位な姿勢ではなく、訪れる人々に対して長く紡がれた、歴史に裏打ちされた矜持を示しながらも、はんなりと魅せる「行雲流水」のような柔らかな佇まい。
その居心地がどうやら自分は好きなようだ。
自分の個人的な意見などどうでも良いとは思われるが、やはりこの街が自分は好きだ。
記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!