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今一度佇む,光と白の空間 -西川勝人[静寂の響き](-1/26)@DIC川村記念美術館

 DIC川村記念美術館。「2025年3月31日をもって休館」……

 を、改めて伝える文書が届いていた。

 サポーターズ(年パス)の一部払い戻し(2000円)の報せとともに。

 美術館の存続がニュースになり、休館が報じられることで来館者が爆発的に増えた。

 その数に比例してか、(あまり書きたくはないけど)マナー的にどうなのだろう? という、通常の美術館ではあまり出逢わない類の人が増えたのも事実で(騒ぎ立てたり、警備員の注意を無視して写真を撮ったり。※館内は、全撮影禁止)、正直、居心地のいい空間ではなくなった。

 ただ、企画展・西川勝人 「静寂の響き」はもうすぐ終了してしまう。



DIC川村記念美術館へ

 某日、DIC川村記念美術館へ、再び。

 とても寒くて風が強く、それゆえか、澄み切った冬の空。


西川勝人 「静寂の響き」

 西川勝人 「静寂の響き」(-1/26)へ。たぶん3度目。

作家プロフィール
西川勝人(にしかわ かつひと)

1949年東京生まれ。美術を学ぶため、関心を寄せていたバウハウス誕生の地ドイツに23歳で渡り、ミュンヘン美 術大学を経て、デュッセルドルフ美術大学でエルヴィン・へーリッヒに師事。

1994年以降、ノイス市にあるイン ゼル・ホンブロイッヒ美術館の活動に参画し、美術館に隣接するアトリエを拠点に活動。自然との融合を意識した プロジェクトや、彫刻、平面から家具まで、異なる造形分野を横断しながら制作。シンプルな構造と簡素な素材を 用い、光と闇、その間に広がる陰影について示唆に富んだ作品を生み出し続けている。

現在はハンブルグ美術大学 名誉教授として後進の指導にもあたる。デュッセルドルフ市文化奨励賞受賞。

展覧会プレスリリース 2024年8月7日(9/10更新版)

概要 ドイツを拠点に活動する西川勝人(1949–)は、光と闇、その間の漠とした陰影に心を配り、多様な技法を用いた 作品を、40年以上にわたり手がけてきました。

抽象的なフォルムをもつ彼の白い彫刻は、木や石膏を用いた簡素 な構造ながら、表面に淡い陰影を宿し、周囲の光や音さえもそっと吸い込んでしまうように、ただ静かにありま す。存在を声高に主張することも、個性を高らかに示すこともしません。

写真や絵画など、彫刻以外の制作におい ても、これは変わることのない最大の魅力です。 本展は、1980年代より現在まで、一定して静けさという特質を保持し続ける西川作品の美学に触れる日本初の回 顧展です。

彫刻、写真、絵画、ドローイング、インスタレーション、建築的構造物の約70点が、作家自身の構成 によって展示されます。

静寂が拡がり、淡々とした時が流れる空間で出会うのは、きっと私たち各々の内なる静謐 さでしょう。日常から隔たった美術館という場において、観想に耽る一人ひとりのための展覧会です。

同上
西川勝人 「静寂の響き」展覧会図録


洞窟のようなロスコ・ルームから、光の世界へ

 広大な建物の1階の最後の展示室は、マーク・ロスコの「シーグラム壁画」を展示するためだけに設けられた「ロスコ・ルーム」だ。

 照明を極力落とした、まるで聖なる洞窟のような空間。はじめの頃は恐怖を感じるような赤の空間が、回を重ねることに、「ああ、そういうことか」という納得感とともに、その中に居ると自分あるいはだれかの思考の中で佇むような、静かな対話の世界に引き込まれるようになる。

長い廊下を経てロスコ・ルームに入ると、空間を囲むようにして赤茶色の巨大な絵が現れます。変形七角形の部屋の中央には、床の色と同化するように、鑑賞のためのソファがひとつ。無表情な平天井の外縁から漏れる抑えた光が7枚の壁と絵を照らしています。

画家のヴィジョンを実現する空間

ロスコ・ルームは2008年に増築された部屋の一つで、マーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉専用展示室として建築家の根本浩氏(※)が設計しました。1950年代末、ニューヨークの高級レストランを飾るために制作された<シーグラム壁画>は、「自分の作品だけで一室を満たす」というロスコの願いが叶うはずの初めての連作でした。計画は実現しませんでしたが、半世紀後の日本で画家の夢を形にすべく整えられたこの空間は、絵と建築が一体化した「場」として鑑賞者を包み込み、言葉を超えた世界へ誘います。

同上

 なかなか腰を上げられず、30分から1時間は佇むのだが、そのうち、「また来ればいい」という心の声に押されるように、そこから出ることを決意する。そのころには目はすっかり暗闇に慣れて、壁画に描かれた微妙な赤のそれぞれも、すっかりと判別できるようになっている。

 その先が秀逸だ。

 階段を上がると、上のほうから光が射す。まぶしさに目を細めながら辿り着くつぎの展示室は、こんな世界だ。

 自然光と緑。そして、大きな窓からの陽光に照らされて輝く作品たち。

 上の図録の写真の向かって右下に、ガラスのほおずきが映っている(床への映り込みは、まるで水面のようだ)。それが、企画展での西川勝人作品との、さいしょの出逢いとなる。

 こちらは、展覧会で配布される、会場図だ。今の自然光の入る展示室が、画面左下の楕円を帯びた展示室。鑑賞者は廊下を通り、画面右側の展示会場へと導かれていく。

 大展示室には、インスタレーション「ラビリンス断片」が展開される。造園も手掛けている作家による、鑑賞者が歩くことも含めて鑑賞することができる、計算され尽くされた「ラビリンス」だ。

 ここが本当に素晴らしかったと、訪れた友人たちも語っている。図録では展示前の全体図も撮影されているが(下のページ)、ここに、さまざまな展示がなされ、全体でひとつの、静謐の空間が完成している。


白とはなにか?

 それは、白の世界だ。それも、さまざまな。

 すべての色の光を反射することで見える色、白。物理的には「無色」ではあるが、わたしたちは色の一つとして認識している。色のなかでの白は特別な位置づけと考えていい。

 ゲーテの色彩論は、ニュートンいうところの、色とは光のプリズムという科学的な視点に、色とはそれだけにとどまらず、人の認識であり心理、を加えたものだと捉えている。色を光の波長という絶対的な物理現象に対して、ゲーテは人間の主観的な体験も重視していたと(読み方が浅かったらスミマセン)。

 特別な色、白をそこに当てはめるなら、白という色の数は無限に広がっていく。

 (たぶん、感銘を受けた、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』にかなり引っ張られているなあと思いつつ)


一面に敷き詰められた白い花々

 花びらが一面に敷き詰められていたインスタレーションは、すっかり美しいドライフラワーと化していた。しかしそれはまた、異なる白という形で、目を愉しませてくれる。

 何度も「ラビリンス~」を散策し、もうこれでいい、という心境には至らなかったけれど、でも、空間と、そこを歩いている感じを自分のなかにスキャンできた気がして(わたしはどうやら、3Dでものごとを認識するらしく、一度スキャンが終わると、あとでいつでもそれを呼び出して愉しむことができるようだ)、会場を去った。

帰りのバスの中で

 駅からがあまりにも遠い、ということもあるだろうし(美術館のウェブサイトによれば、最寄り駅からタクシーで片道3000円ほどかかるという)、通勤のための研究所行きのバス(美術館は、同社の研究所と同じ広大な敷地内にあり、バスには社員の方も乗車する)が必要ということもあると思うが、同美術館には、JR佐倉駅、京成佐倉駅行きの無料送迎バスを運行してくれている。

 満員御礼に対応してか、この日の帰路は、JR線、京成線のそれぞれに1台が用意され、訪れた人が乗車するとほぼ満席になっていた。

 バスに揺られながら、田園風景と晴れ渡った空を眺めつつ、西川勝人作品の白を思った。

 母体のインク会社からの関連だと思うけれど、同美術館の企画展には「色とは何か?」を問いかけるものが多かったように思う。

 多くのことを学んだ。


 そしてさいごに、白についてこんなに考えることになるとは。

 もしかしたら、ここに訪れることはもうないのかもしれないな、とふと思った。

 感謝を。


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