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無数の偶然とロマン -藤村祥馬個展『Romantic Action』(-1/25)

 1月某日、清澄白河。

 鏡のような川面に空が映りこむ。きりりと冷えたままの午後。

 藤村祥馬 個展『Romantic Action』へ。



最後のところで触れ合わない出逢い

 モーターの音が、ほうぼうから聴こえる。

 作品たちは、機械仕掛けで動きがあり、

生きているように、動きを繰り返す。

 石と石が、まるで人の指先と指先のように近づき、

 しかしギリギリのところで触れないままに、また元の位置に戻っていく。

 ギャラリーの方が出てきてくださって、ひとしきり言葉を交わしたあと、「人と、人との関係性」という、作品のキーを語ってくれた。


いや、実は触れ合っているのかも?

藤村祥馬(ふじむら・しょうま)は、ジャンク品や金属など様々な素材を組み合わせたキネティック作品を制作するアーティスト。

「第18回岡本太郎現代芸術賞」にて特別賞を受賞するなど、東京藝術大学大学院在学時より注目を集め、表良樹・森山泰地とともに活動するアーティスト・ユニット「鯰」では、個展『リアルライフ・エスケープ・ルーム』(2020年)を開催し大きな話題を呼びました。

KANA KAWANISHI GALLERY で3年振りの個展となる本展では、〈Romantic Stone〉を軸に主に新作のキネティック作品で空間をつくりあげます。

〈Romantic Stone〉では、二つの小さな石が回転したり上下左右に運動したりしながら、ギリギリまで接近したり、離れたりします。鑑賞者の目を盗んで、触れ合っている瞬間もきっとあるでしょう。自動化が加速度的に進む現代社会に生きる私たちは、不規則でおぼつかない動きをみせる機械である作品に、否応なく感情移入を促されます。

機械を更新し続けることで効率化を極限まで求める現代社会は、「分かりやすい」ストーリーが加速度的に求められる社会でもあります。どこにでもありそうな石たちによる、無意味に思える動きや、そのための仰々しい装置は、その真逆をゆくもの。しかしながら「なんの変哲もない石」には、人間の時間軸をも超越した経過と偶然の変遷が凝縮されてもいるのです。

柔軟に素直にモノの動きに対峙しながら、ロマンとは何か、意味はどこに在るのか、独自のユーモラスな感性で哲学的とも言える視座をももたらす本展に、是非ご期待ください。

同上

 そうか、先ほどの石たちは「鑑賞者の目を盗んで、触れ合っている瞬間もきっとあるでしょう」……なるほど。

 この作品も、

 同じように、鑑賞者が観ているとき、石たちは決して触れ合うことはないようだった。

 2つの石たちは、

 両脇のポンプから空気を送られ、それに力を得て前に進もうとする。

 でも、すんでのところで力を失う。

 それはあくまでも、さっきまでの世界。

 あるとき、ふと、何かの力が働いて予想外の風が石たちを吹き飛ばし、石たちは触れ合えるかもしれないのだ。

 出逢えるようで出逢えない、まるですれ違いのドラマを表現したかのような、

 これらの作品にしても、然りだ。

 永遠に触れ合えない、から、本当にそうかな?と。

 「もしかしたら、ひっそりと触れ合っているかもしれない、そうだよね?」 と捉えたほうが楽しく、まさにロマンティックだ。


旅する小石 ~繰り返す道程

 何かが落下する音が聞こえた。その源はこの作品。

 それはまるで、小石の冒険。

 どこをスタートと捉えても自由なのかもしれないが、小石はベルトコンベアで運ばれていく。

 小石自身の立場に立てば、決して見えないが、こんな道程だ。

 一度落下したかと思うと、

 救い上げられて、さらに、さらに高みへと運ばれていく。

 高みへ、高みへ……

そして、

 ゴトン。一番大きな音。

 奈落の底に落ち、しかしそこにはベルトコンベアが待ち構えていて、また小石は、高みへと運ばれていく。

 同じ道程ではあるけれど、石の向きは当然、まったく同じではない。おそらく石の立場から見える景色も違うだろう。


偶然の積み重ねで生まれるもの


 最後に、作家によるステートメントを。

アーティストステートメント

宇宙は奇跡としか言いようがない、無数の偶然が積み重なって出来ている。
それは私たちが解明できない、現実離れした出来事である。
私はそこにロマンを感じた。

作品は一つ一つの動きには意味を持たない。
ただ、その動きがいくつも積み重なることで、何か物事が生まれる。
その物事はきっととてつもなくどうでもいいことであるが、
そのとてつもなくどうでもいいことが生まれるまでのプロセスに
私はロマンを掻き立てられる。

藤村 祥馬

同上




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