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渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト)[私はフリーハグが嫌い]@国立新美術館
アーティスト渡辺 篤の名前を知ったのは、昨年開催された「瀬戸内国際芸術祭2022」だ。
高松に、平家物語のゆかりの地で月の名所でもある屋島という場所があり、山頂展望台の隣の「れいがん茶屋」というカフェの敷地内で、作品《月はまた昇る》を出品していた。これは、人々の撮影した月の写真を素材とする映像作品を、「夜間2時間だけ」上映するというものだ。
そこまでの交通アクセスといえば、ドライブウェイの終点に駐車場があり、お寺を通り抜けてかなり歩く必要がある。旅人が訪ねるのは非常に難しい(週末、高松からツアーバスが出ていたと思う)。
これだけアクセス困難な場所の展示。しかも月の名所での、月の写真の投影。「そこでなければならない理由」が頭をぐるぐるして、すでに作品世界に取り込まれている。それで「アーティスト渡辺 篤とは?」と、気になった。
だから、新国立美術館に大変遅ればせながら『テート美術館展』を鑑賞しに行って、フリースペースにそのアーティスト名を見つけたとき、足が止まった。
タイトルは「NACT View 03 渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト) 私はフリーハグが嫌い」。
ドアの裏側には
目の前に、ドアが並ぶ。
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青山霊園を通り抜けてきたばかりの者にとっては、それは墓石が並ぶようにも見える。
いやいや、裏側を見れば、
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それは、ハグする2人を写した巨大なプレート。
奥の人物は、作家本人だ。
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フリーハグ=「他者と容易につながることのできる象徴的なアクション」
《私はフリーハグが嫌い》
2023年
バックライトフィルム、ライトボックス、ドア、木材ほか
2021年、渡辺は新型コロナのパンデミックが収束した後の社会、すなわちスキンシップが再開する世界における孤立、孤独問題についても考察し、「私はフリーハグが嫌い」のプロジェクトを始めました。フリーハグとは、2000年代後半以降渋谷などで流行し、街頭で「FREE HUG」と書かれたサインを掲げる者とその呼びかけに応じた者がハグをする行為です。渡辺はこのフリーハグを他者と容易につながることのできる象徴的なアクションと考えます。そして、目の前にいる人にのみ意識を向けがちな既存の社会包摂のあり方を批評的に捉え、インターネットで募集したひきこもりの人々と対話を重ね、直接対面し、ハグを行う活動を続けています。渡辺自身、過去に一定期間誰の目にも触れずに生きていた元ひきこもり当事者であり、自身の経験をもとにし、かつ当事者への尊重を踏まえた活動プロセスも含めて作品化することにより、目に見えるものにしか意識を向けづらい社会への批判と想像の及ばない向こう側にも他者が生きていることを訴えています。
《私はフリーハグが嫌い》は、この現在進行形のプロジェクトから副次的に生まれた造形作品です。それは、渡辺とひきこもり当事者たちとの活動を記録したアーカイヴとも言えます。今回渡辺は、プロジェクト参加者と対面を行ってきた活動のうち、8名とのエピソードとハグの様子の写真をライトボックスに収めました。そして、木製のドアの裏にそのライトボックスを組み合わせています。この8点の立体物は、国立新美術館1階の企画展示室前に置かれ、モニュメントのように立ち現れます。作品の構造とそれが置かれる場、そして作品の見え方それぞれが、遠くにいる誰かに対してどのように想像を働かせるかという問いへとつながっています。
2023年9月13日(水) ~ 2023年12月25日(月)
解説を読むと、この作品は「ライトボックス」ということだ。
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訪ねたときは、残暑厳しく、陽射しもかなり強い時間帯で、
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作品たちは、黒川紀章設計のダイナミックな空間に似合っていた。
しかし(おそらく日が陰ってからだと思うが)、このライトボックスは、ランダムに点灯するらしい。遠隔で点灯を担っているのは、作家と交流のある、ひきこもりの当事者の方々だ。
ひきこもり当事者とのハグ
そもそも、写真のモデルも、ひきこもりの方を対象に、作家が募っている(応募者多数のため、現在は休止とのこと)。
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予期せず作品内に映り込む
ライトボックスには、興味深い面白い効果があった。
表面がガラス張りなので、周囲が映り込む。つまり、通り過ぎたり、足を止めて鑑賞したり、ベンチで荷物の整理をするといった人たちが、ハグの風景の中に入り込む。
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自覚がないままに、作品の一部になってしまう。これはこれで、作品に意味を与えるような気がして、鑑賞を愉しんだ。
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私はフリーハグが嫌い(ビル屋上でのアクション)
国立新美術館は東京メトロ乃木坂駅に直結している。その連絡通路に投影されているのが、このビデオ作品だ。
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「寄り道」できるからこそ
展覧会には、当然、目的意識を持って、概要くらいは読んで、また昨今ではチケットを購入してから、出かける。この日のわたしは、「ターナーが久しぶりに観たいな」と思って足を運んだ。
そこに、期せずして「割り込んできた」、この作品たち。
そして本来の目的の前に、ちょっとだけ異世界の小路に入り込んだ。それは、とても嬉しい寄り道だ。
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また作品を観る環境、というものもある。
もしこの作品たちが、静かな展示室に設置されていたら、作品の入ってくる、その「来かた」は、もっと重たいものかもしれない。
しかしこうしてロビーに展示され、まるで街角のような雑踏のなかで鑑賞すると、それは街角の風景の一部になる気がする。しかしだからといって、作品の持つ力や批評性は失われはしない。
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街に出よう。人々の話を聞こう。人と、何気ない会話をしよう。外につながっているドアを開けて。
そんなことを思った。