渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト)[私はフリーハグが嫌い]@国立新美術館
アーティスト渡辺 篤の名前を知ったのは、昨年開催された「瀬戸内国際芸術祭2022」だ。
高松に、平家物語のゆかりの地で月の名所でもある屋島という場所があり、山頂展望台の隣の「れいがん茶屋」というカフェの敷地内で、作品《月はまた昇る》を出品していた。これは、人々の撮影した月の写真を素材とする映像作品を、「夜間2時間だけ」上映するというものだ。
そこまでの交通アクセスといえば、ドライブウェイの終点に駐車場があり、お寺を通り抜けてかなり歩く必要がある。旅人が訪ねるのは非常に難しい(週末、高松からツアーバスが出ていたと思う)。
これだけアクセス困難な場所の展示。しかも月の名所での、月の写真の投影。「そこでなければならない理由」が頭をぐるぐるして、すでに作品世界に取り込まれている。それで「アーティスト渡辺 篤とは?」と、気になった。
だから、新国立美術館に大変遅ればせながら『テート美術館展』を鑑賞しに行って、フリースペースにそのアーティスト名を見つけたとき、足が止まった。
タイトルは「NACT View 03 渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト) 私はフリーハグが嫌い」。
ドアの裏側には
目の前に、ドアが並ぶ。
青山霊園を通り抜けてきたばかりの者にとっては、それは墓石が並ぶようにも見える。
いやいや、裏側を見れば、
それは、ハグする2人を写した巨大なプレート。
奥の人物は、作家本人だ。
フリーハグ=「他者と容易につながることのできる象徴的なアクション」
解説を読むと、この作品は「ライトボックス」ということだ。
訪ねたときは、残暑厳しく、陽射しもかなり強い時間帯で、
作品たちは、黒川紀章設計のダイナミックな空間に似合っていた。
しかし(おそらく日が陰ってからだと思うが)、このライトボックスは、ランダムに点灯するらしい。遠隔で点灯を担っているのは、作家と交流のある、ひきこもりの当事者の方々だ。
ひきこもり当事者とのハグ
そもそも、写真のモデルも、ひきこもりの方を対象に、作家が募っている(応募者多数のため、現在は休止とのこと)。
予期せず作品内に映り込む
ライトボックスには、興味深い面白い効果があった。
表面がガラス張りなので、周囲が映り込む。つまり、通り過ぎたり、足を止めて鑑賞したり、ベンチで荷物の整理をするといった人たちが、ハグの風景の中に入り込む。
自覚がないままに、作品の一部になってしまう。これはこれで、作品に意味を与えるような気がして、鑑賞を愉しんだ。
私はフリーハグが嫌い(ビル屋上でのアクション)
国立新美術館は東京メトロ乃木坂駅に直結している。その連絡通路に投影されているのが、このビデオ作品だ。
「寄り道」できるからこそ
展覧会には、当然、目的意識を持って、概要くらいは読んで、また昨今ではチケットを購入してから、出かける。この日のわたしは、「ターナーが久しぶりに観たいな」と思って足を運んだ。
そこに、期せずして「割り込んできた」、この作品たち。
そして本来の目的の前に、ちょっとだけ異世界の小路に入り込んだ。それは、とても嬉しい寄り道だ。
また作品を観る環境、というものもある。
もしこの作品たちが、静かな展示室に設置されていたら、作品の入ってくる、その「来かた」は、もっと重たいものかもしれない。
しかしこうしてロビーに展示され、まるで街角のような雑踏のなかで鑑賞すると、それは街角の風景の一部になる気がする。しかしだからといって、作品の持つ力や批評性は失われはしない。
街に出よう。人々の話を聞こう。人と、何気ない会話をしよう。外につながっているドアを開けて。
そんなことを思った。
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