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日常に潜む違和感ージュンパ・ラヒリ『Roman Stories』
多和田葉子やイーユン・リーら、母語ではない言語で作品を発表する作家たちの作品が注目されている。多和田は留学先のドイツで作品を発表し始め、リーも留学したアメリカに定住し、全ての作品を母語ではなく英語で発表している。ジュンパ・ラヒリの短編集『Roman Stories』(Knopf, 2023)も、英語作家のラヒリがイタリア語で発表したものを、作者自身が英語に翻訳した一冊だ。
本書は3部に分かれ、8編の短編小説を収録する。9つの短編はどれもローマの街を舞台にしているが、それでいてどこの都市にも当てはまるかのような無国籍な印象を与える。登場人物たちの心の機微を捉える透明なスタイルであるとともに、冷静な観察に支えられた客観性は、イタリア語から英語へ、というそうした執筆のプロセスから生まれるのかもしれない。
例えば、2つ目の物語『再訪(Reentry)』は、ローマで1年ぶりに再会した2人の女性の午後のひとときを描いた作品だ。一人は数週間前に父を亡くし、冷え切った夫婦関係に悩んでいる、現地で生まれ育ったと思われる女性。もう一人は、大学で教鞭をとる、より濃い肌の色をした女性で、友人を慰めようとローマを久しぶりに訪れた、いわば旅行者の身だ。
2人は、喪中の女性の選んだ店でランチを共にする。2人は親密な会話を続けるが、トラットリアのスタッフ達は、どこか旅行者の女性だけに冷たい。会計をして店を去る際、現地の子供の発した一言で、かすかだったひびわれが露わになる。そして友人を含む大人たちは、それに対して沈黙で応える。再会した時とはどこか関係性が変わってしまった2人は、分かれた後、それぞれ別々のベンチに座って思いにふける。
ラヒリの短編に描かれる出来事は、一見ささいなものに見える。しかし、そうした小さな事件を通して、ローカルの人々が、何らかの理由でローマを訪れている「外の」人々との間に、見えない線を引く様子が描かれている。
また、作中では、それとは逆に、一時的にローマを訪れている人々が、そこで営まれる日常に対して、驚くほど無感覚な様子も、同時に描かれる。
例えば、1篇目の「境界(Boundary)」では、旅行者向けの民宿を営む移民の一家が主人公だ。この短編では、彼らが移住した当初、偏見のために暴力を受けたことを描くと同時に、民宿に泊まった旅行者の家族が、それを読むかもしれない相手の気持ちへの配慮もなく、赤裸々な感想を綴った日記を置き忘れて帰っていく様子も捉えている。
この短編集を読んでいて気付くのは、舞台がローマであることは明示されているものの、登場人物の名前を含めた、それ以外の固有名詞が極力排されていることだ。読者は自分もローマを訪れているような気分で読み始めるが、そこで描かれる違和感や、ときに暴力を伴う摩擦が、いま自分の住んでいる街角で起こっているかもしれないという不思議な感覚にとらわれる。ローマという場所の固有性を擁しながら、同時に、地理的に離れてはいても、読者が共有している日常に潜む小さな事件を同時に捉えた一冊である。