興味を持つ事
春はあけぼの
今、話題の、清少納言。
枕草子はなかなかの曲者で
なかなか、覚えられなかった。
学生時代、古典は苦手だった。
言葉の言い回しが
難しくて覚えられなかったのだ
こんな言葉を本当に使ってたの?
いとおかし
やうやう…って…
そういえば
最近、知人と書き言葉としゃべり言葉の違いについて話をした。
「てふてふ」を何故、蝶々と読むのかと…
しゃべり言葉と書き言葉の違いだと思うと話したらびっくりしていた。
何処でそれ習ったの?と。
多分、小学生の時だと話したら
良く覚えてたね。と
「てふてふ」が蝶々と読む事に衝撃が強すぎたからだろう。
知人には学校で習ったと言ったけど、
ひょっとすると、母方の祖母に習ったのかもしれない。
祖母は教養のある人だったから。
確か、他にも教えてくれたはずだが、
思い出せない。
古典の授業が苦手だったのは
多分「勉強しなきゃ」だったから
「古典を学ぶ」
頭に勉強がついていたからかもしれない。
頭に「興味」がつき、「古典の世界へ、冒険に行こう!」とか、
「あの時代の文芸作品を読んでみよう」とかなれば、また、違っていたかもしれない。
…となると、先生がどれだけ、生徒に「興味」を持たせるかになるから先生も大変だ…
大人になり「勉強」が頭から外れたら、
古典も面白くなってきた。
私が詩に興味を持った時、担任の先生は専門外だったようで…
廊下に貼ってあった、コンクールの張り紙を見つけて、参加してみたいと言っても、どうぞ、ご自由に…と指導してもらえなかった。
詩の世界への入り方がわからず
一人で
「あの子、暗いね」とか
「小学生のくせに暗い詩書いてる」とか
言われながら、コソコソと書いていた。
詩を書くというのは
一人でボソボソと書くものだと
詩を書くことには技法が
直喩… 「ようだ」「みたいだ」などを使ってたとえる方法。
隠喩… 「ようだ」「みたいだ」などを使わずにたとえる方法。
擬人法… 人でないものを人にたとえる方法。
体言止め… 文末を体言(名詞)で終わらせる方法。
倒置法… 言葉の順序を入れ替える方法。
反復法… ...
対句法…構成のよく似たシュラレリズム
などなど
知る機会もなく、成長して…
最近、復活して詩を書き始め
真っ青になり穴を掘りながら
その穴の中で拗ねている
知った所で
今更、変えられるはずもなく、
もっと表現方法を変えたい!と思っても
できずにいた。
いい詩を書きたい
いい詩って?
某さんのようにいいね
たくさんもらいたい
いいね
たくさんあった方がいいね
だけど
作品に対する感想は人それぞれ
少ないいいねでも
いいね、と思ってる人がいるんだから
いいじゃない
納得できない自分と
納得させようとする自分が
何度も対立する
清少納言も紫式部に対して
色々、思ったようだし、
人の心のあさましさとはいうのは
歴史が変わってもあるのかな
あの人のように書きたいけど
あの人になりたいわけじゃないし
まぁ、こうやって
フラフラしながら
いいもの書こうではなく
書きたいものを書こう!
そんな気持ちになりながら
時には
納得できない自分と闘いながら
文章を書くこと
言葉を使うことを
学びながら
誰かの心をノックしながら
やっていこうかな
好きだからね
興味を持つのは大切だから。
拙いエッセイを最後まで読んでいただきありがとうございます。