SNSから脱出して、ネット断食をして、自分を見つめ直してみたら
便利すぎるSNS
皆さんはSNSとどう向き合っていますか?
情報収集のため、同じ趣味の人と繋がるため、多くの反応をもらうため、、、
SNSを使う目的も人それぞれで違いますが、最初は目的のために時間をたくさん取られたりはなかったはずです。
しかし、今では必要でもないタイミングでスマホを見るようになってしまったり、暇だからとりあえずSNSを覗いてみたり、、
外出する機会が減って自宅にいる時間が長くなったことで、SNSに限らず、ネットショッピングが増えたり、YouTubeやNetflixで動画や映画をたくさん見たり、とにかく画面を眺める時間が増えたのではないのでしょうか。
便利になった時代だからと、便利さに溺れるあまり、画面の中の世界に自分の時間を支配されていませんか?
増えすぎてしまった情報量についていけなくなって、欲しくもない情報が目の前に現れるようになって、時間を無駄にして、心をすり減らし、うんざりしてる人もいると思います。
私自身も、自粛期間でピリピリした空気感で攻撃的な言葉がどこからとなく飛び交うSNSに辟易しながら、慢性的に気分を落としていました。
それでもどうもやめられずにいながら本屋をグルグルしていた自分の目に入ってきた本が、「つながらない勇気 ネット断食3日間のススメ」という本でした。
つながらない勇気
近代化により、人々が家族や知り合い以外との関係が希薄になり始めて、「つながり」を失いつつあったときにあらわれたのが、ネット社会です。
ネットの発展によって物理的な距離が離れていても、誰とでも「つながり」を持てるようになりました。
しかし、ネット社会によってすべての人が幸福になったわけではありませんでした。
そもそも、ネット社会の普及は、近代思想の一つ、人々が個として自立することを目的としていたため、自立を半ば強制的に促されたことによって、人々は個として宙に放りだされてつながりを自分の力で作る以外の方法を失ってしまいました。
宙に放り出され、自分の力に頼るしかなくなったときに、力を発揮するのが、その人から生まれる「ことば」なのではないかと、この本には書かれています。
ことばというものが単にニュートラルな道具ではなく、その人の心や思考の深部に影響を及ぼす存在であるからです。
ことばからの影響を受けていくうちに、その人から発信されることばにも変化が生まれていくのです。
さらに、「書きことば」は人間を孤立や孤独や不安からすくい上げる役割を果たしているのです。
アンネの日記が代表例としてあげられていて、逃げ場を失ったアンネが残した日記は、誰かに見せるために書いたものではなく、自分の居場所、心の拠り所を作るものとして書かれ続けていました。
書くことで思考を整理しつつ深めて、継続していくことで個としてやっていける力がついてきて生きのびることができるのです。
それでも紙を選ぶのか
書きことばを利用しなくても、仕事をすることも文章を読むこともコミュニケーションをとることもできるようになった時代に、紙媒体は無くなってしまうのか?
この本では無くなることはないと断言しています。
なぜなら、書きことばが持つ力(孤立した思考世界で自己と対話すること)を知っている人は、それを捨てることはないからです。本自体の重さやインクなどの質感含め、持っていることに意味があると知っているのです。
書きことばによって自己と対話して、どこに軸に戦っていくかは、自分と向き合っていくうちに理解していくもので、そのように想定して画面から離れた生活を送ることで、フラットな目で考えることができます。
機械的学習や最適化で、ムダがない形でのデータは、一見良いものだと思われがちですが、本当にすぐれた表現は、簡素で抑制されたなかに受け手のイマジネーションを呼び起こすたくさんの余地があるのです。
(長い歴史がある能も受け手に委ねている部分が多いからこそ、今でも人気のエンターテイメントになっています。)
便利さに飛びつくのではなく、自分と向き合う時間を設けた上で選択するのが本来のあるべき形なのではないのでしょうか。
スマホと距離を取ってみた
長い時間をかけてようやく読み終えたころには、後半の質の高さと量の読み応えで少しの疲労感と達成感がありました。
本を読み終えてからすぐに、スマホと距離を取って生活することを心がけるようにしました。
急ぎ、必要なことはまとめて処理して、あとは電源を落とす。
1日2日ぐらい情報を遮断しても困ることはないので、全然心配する必要はありません。
仕事がない休日にぜひ実践してみてください。
ここからは私がやってみて得た結果を一つ一つ説明していきます。
・少し手持ち無沙汰になる
・空いた時間の使い方がわからない
・外出したくなる
・読書が捗る
・創作意欲が湧く(文章を書きたくなる)
・体調が良くなる
・内面、外見を変えたくなる
・周囲が気にならなくなる
まず、普段からスマホを持つのが癖になっていると、いざ手放したら何をすればいいのか分からなくなります。すぐスマホを見たくなります。何の用がないのに、です。我慢しているのが最初は辛くて仕方がありません。
空いた時間で、とりあえず外出することにしました。(そうは言っても散歩と買い物程度ですが、、、)
スマホを置いて外出するので、同時にイヤホンを使わずに外出することになります。いつもイヤホンしていると気づけないようなことが、たくさんの刺激に溢れていることが、外出していくうちにわかりました。
普段なら視線も下に行きがちで音も塞ぎ込んでいて聴こえないようになっているのですが、視線を上げて、日常に溢れている生活音と向き合ってみると、いつも通るような道でも刺激的で新しい発見がありました。
この期間に落ち着きのあるカフェを見つけたり、個人でお店を運営している、温かみがありながらも大きな目標を持って取り組んでいる場所を見つけたり、気にもしていなかった看板のデザインが気になるようになったり、視野が広がっていくのが身をもってわかるようになります。
いつもより感受性が豊かになって、インプットを繰り返していると、自然と何か形にしたくなる、これが創作意欲が湧く、につながっています。実際、紙に文章を書く機会が急激に増えて、書くこと自体が楽しくなっています。
続いて、体調が良くなる、内面、外見を変えたくなるというのは、先ほどから言っているように自分にも時間をかけられるようになりますし、無駄な時間を削れて、だらだら遅くまで起きているということもなくなっていきます。
SNSを見るほど、無意識のうちに自分を周囲と比較しがちで、「自分なんか...」と自己肯定感を下げるのと同時に行動力がなくなることが往々にしてあります。この負の連鎖を始めずに済むんだと気づきました。自分の意思を尊重してあげるのに時間がかかりました。
必要以上のネガティブシンキングはやめて、自分がもっと良くなるように改善できることはたくさんあるなと気づくきっかけになりました。
SNSの立ち位置とは...
ここまで一冊の本との出会いから、実際にSNSをやめて生活をした結果を書いてきました。一度距離を取って、俯瞰的に自分の生活を振り返ってみると、かなりの時間と労力をSNSに割いていたことがわかりました。その事実に気づけてから、私はいい距離感を保つようにして、毎日スマホを触らない時間を作って、本を読んだり、趣味に心置きなく没頭したりする時間に変えていきました。この時間があることによって、自己肯定感を常々下げまくっていた日々はなくなって、短所もある自分も受け入れられるようになりました。
皆さんもなんとなくでスマホを眺めている時間を、意識的に変えてみませんか?
便利な時代だからこそ、丁度良い距離感が見えてくると思います。
ここまでお読みいただき、有り難うございました。
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