生きるだけの日々
noteを始めてもうすぐ一年になるんだなって思ったら、時間が経つのは早いなぁっていうのと
私の記事ってめちゃめちゃ自己完結で自己満足なものでしかないなってことに気づいてしまった。
まぁ、第三者に対して訴えかけたりは苦手だし、内にある感情をここで吐き出させてもらってるのでどうしてもそうなってしまうのと、すごく助けられてるのでこのままの形が継続してしまうと思う。
私の備忘録的なものだと思ってもらえたら嬉しい。
今ではこんなふうに元気っぽくなれてるけど、私にも寝たきりで何もできない時期があった。
『記憶のない結婚』あたりもそうだけど、今振り返っても記憶の中の時系列はバラバラで白いモヤがかかったように鮮明にならないことがほとんどで、思い出を失ってしまったという気持ちがとても切なくなる。
私の異変の始まりは、出産後のある出来事がきっかけだった。体調がおかしくなって眠れなくなって、頑張りたいのに頑張れなくて。
精神科で“うつ病”と診断されたのに先生の感じの悪さに信用ができなくてそのまま放置。
辛いのを我慢しながら数年過ごすもさらに不安定に。
そこでやっと通院を決意する。
その後私はそれまでの日常から離れることになる。
思い起こせばそれ以前に双極性障害のエピソードとなるものはひと通りあったのだな、とも思う。
眠れない日は続いて、寝不足からイライラは増し、娘にも当たることが増えていた。
毎晩深夜になると一人キッチンで涙を流した。何を思うでもなく。
ただ、寂しい、悲しい、辛い、苦しい、切ない、そんな感情だけが渦巻いて、娘を起こさないよう声を殺して泣いていた記憶がある。
お薬を飲むようになってから不眠からは解放されたが不安定さは変わらず、辛いと感じるこの現実からの解放だけを望むようになっていた。
病院で辛さを訴えればお薬は増え、お薬を飲めばほとんど眠っている状態になり、自分が起きているのか眠っているのか、現実なのか夢の中なのか、日にちも時間もわからなくなっていった。
ふっと振り向くときの首の動きはゆるやかになり
起き上がる身体は重く
明るく見えていた景色は色がなくなり
食べるものは味がなくなった
口をひらくことが億劫で話すことも減り
話すときには呂律がまわらなくなっていた
日常できていたものができなくなる
顔を洗う
歯を磨く
トイレへ行く
お風呂に入る
もちろん、できていた掃除や洗濯、ご飯を作るなどもできなくなった。やらなければいけないのはわかっていても身体は動かず、できないという事実が私をひどく苦しめた。
片付かない部屋を見たくなくて、できない事実を見たくなくて、自分を見たくなくて、ひたすらに目をつぶって意識を手放したかった。
お薬に頼って朦朧とした中にいるのが楽だった。何かを考えれば現実を見なくてはいけなくなるから。
それでも時々現実に戻らなくてはいけなくなるときもあって、そのときは必死に平静を装った。動かなくなっている筋肉を無理やり動かし笑顔をつくった。
その行動は余計に私を苦しめることになる。
思うようにできないことが辛かったから。
こんなはずじゃなかった
こんな私、私じゃない
こんなこと簡単だった
もっとできてた
なんでこんなにできないの?
なんで私、生きてるの?
なんのために私はいるの?
何もできないで、ただ生きてるだけの自分を受け入れることがどうしてもできなかった。
力なく生きるだけで病気の知識を得ようともしなかったし、治そうという前向きな意欲すらなかった。
気が狂ったように泣き叫ぶ力もなくなって、髪の毛を引き抜く力もなくなって、私は想うことも手放してただ生きた。
「消えたい」
「死にたい」
その思いだけはなくならないまま、約3年間を過ごした。
病気が快方に向かえたのは転院して良い先生に巡り会えたおかげだと、今でも感謝している。その先生がいなかったらもしかすると今も私は朦朧とした日々を送っていたのかもしれない。
お薬をきちんと飲み続けること
自分の体調に向き合って、それを先生に明確に伝えること
それが、大事なことに入るものだと私は思う。
快方に向かいつつあったとき、空を見上げて気がついた。
『あぁ、空って青かったよなぁ』
景色にまた色が戻ってきていて。それが嬉しくて。
自然に涙がこぼれてた。
いまだ不安定な日々を繰り返してはいるけど、あのときのような寝たきりの生活に戻ることはもうないと思っている。
一生飲み続けなければいけないお薬。
一生付き合っていかなければならない病気。
なんとか受け止めて、時々文句も言って、恨んじゃうときもあるけど、私はこうしてでしか生きていけないから。
何度も死にたかったけど生きているから。
もう少し生きてみる。
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