東風解凍
はるかぜこおりをとく
東風を「はるかぜ」と読み、春先に吹く東寄りの柔らかな風のことを言うそうだ。
東風は春の季語でもあり、東風が吹くようになると寒気が緩み春を告げる風として昔から喜ばれてきたそうだ。
東風はお天気が下り坂を示すサインでもある(こちらの地域だけかな?)。
気象学的には、太平洋側に低気圧が近づくと(低気圧は反時計回りに風が吹き出すので)東風になる。
南の海の暖かい湿気を含んでるから雨になり、そう言えば東風を冷たく感じたことって無いかも?
ひと雨ごとに季節が進むと言われるのはこういうことなのかな?って素人的推測💦
春には素敵な言葉がたくさんあって好きだ。
私のような落っこちてしまった人間がゆっくりと前へ歩き出せるような、そんな力をいただける。
もう日付変わってしまったけれど、普段より一日早い立春を迎えた。
二十四節気の始まり、旧暦では新年がスタートし、いろんなものが目覚め動き始める。
節分の日、親しくさせていただいてるネットの友人が、私のために恵方巻きを作ったと連絡をいただいた。
遠方のため実際に受け取ることは出来ないのだが、それはそれはとても美しい出来ばえで、実際に食べたらどんなに美味しいのだろうと・・
何より私のために作ってくださったということが心底うれしくて涙が止まらなかった。
先日、泣き言書いたnoteを投稿したら、フォロワーさん達からとてもあたたかいお言葉を頂戴した。
なんだか愛をねだってしまったようで申し訳ない気持ちもありつつ、ご自身の貴重な時間を割いて私の存在をちゃんと認めてくださる方がいらっしゃるんだって、本当に本当にうれしかった。
大切に思える友人(勝手に友人と呼ばせていただきます🙏すみません💦)はネットにはたくさん居るのだ。
実際にお会いしたことも話したこともない方たちだけれど、こうやって繋がってることが心地よいと感じる安心感、いまの私にはちょうどよい距離感なのかもしれない。
リアルに居ないと嘆くのは体温を感じないことによる寂しさから来る私自身のエゴだろう。
いや、居ないと嘆いて寂しさの承認欲求をしてるのだろう。
そばに居たら居たで近づき過ぎて壊してしまう恐怖から逃れられてないくせに、ただそう吠えてるだけ。
いい歳して恥ずかしいね・・
逢いたい人に逢いに行くとした今年。
今はまだ世の中的にそれが許せる状況ではないし、もしかしたら実現できないかもしれない。
その前に自分自身の気持ちの整理、人とちゃんと向き合うことの勇気を持つことがまだ出来ていない。
まだ一年はスタートして間もないのだ。焦る必要はない。
ゆっくり氷は解けてゆくはず。
いずれにしても時の流れが自然と導いてくれるだろう。
私はただ流れに乗って漂うだけ。
冬来たりなば春遠からじ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
大好きな貴方に愛と幸せがいっぱい訪れますように。