かなこの本棚 〜『どうしても生きてる』〜
エッセイを読んでからファンになった朝井リョウさんの『どうしても生きてる』。
人間味が溢れすぎていて読むのが億劫になる瞬間もあったけれど、
後半にかけて止まらなくなっていた。
かっこよくて整った「らしさ」を捨て、
生きていく上でそびえる壁に向き合う登場人物たち。
壁という表現よりも、穴のほうが適しているかもしれない。
全部で6編、
中でも女性目線で書かれているページがリアルで印象的だった。
自分はこんなにも酷いのだ、ということを明かしたところで、本当は何の区切りもつかない。
なぜ、吐露した側はそこで悦に入ることができるのだろう。こんなにも酷い部分を曝け出せたという点を、自分の強さ、誠実さだと変換して勘違いできるのはどうしてだろう。
そして、さもその一秒後から新たな自分が始まるとでも思っているらしいことも、不思議だ。
イライラする。こっちはただ、真剣に生き続けているところにいきなり吐瀉物をブチまけられたようなものだ。それでは何の区切りもつけられないし、許さないし、もちろん感銘を受けたりもしない。よく吐けたねなんて背中を摩ったりしてやらない。
何回も、読み返してしまった。
何回も、こんなシーンに遭遇した過去を思い出す。
吐き出す側の大層切実で、情けない表情。
「あれ、いま一番痛みを感じてるのってわたしのはずなのに」という現実を、
まるで自分ごとのように投影する天才たちが、目の前に並んでいる。
彼らは生活の中で、あのときのことを思い出すことがあるのだろうか。
新たな自分がはじまった瞬間、忘れてしまうのかな。
信じる信じないの境界線で選ぶのは結局後者。
それで良かった、と思うのは一種の強がりだけど、
正解がそれしかないのも気付いていて。
体内には、あぁまたか、が蓄積される。
でも、そんな状況を作り出す自分に一番イライラしているし、
どこか愛らしいと思ってほしいのも事実。
ひとりでは生きていけないけれど、
ひとりで生きていきたくなる人生を憎たらしく思うこともある。
それでも、どうしても生きてるから、
どこかで背中を摩ってあげられるようなひとに出会いたいと思う。
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