おっぱい
おっぱいってすごい。どんな悲しいことがあっても、お腹が空いても、おっぱいのついてるお母さんが抱きしめてくれたらみんな安心してしまう。
心はふわっとおっぱいのピンク色に変わって「もう全部大丈夫だ」とわかってしまう。そうしてきっと眠ってしまう。
ひとはある日、お母さんはおっぱいじゃないことに気づく。お母さんのおっぱいだけじゃ、広いせかいでは生きていけない。お母さんのじゃないおっぱいも探す。
そうしてだんだん「ご飯」を食べるようになる。おっぱいは、母のからだを削った愛なんだ。いつまでも母に栄養をもらってばかりでは母はやつれてしまうし、私たちはひとりで立つことができない。
あの日のわたしに教えてあげたい。おっぱいをもらおうとしなくたって、あなたはもう生きていけるし十分愛されてるんだから、ご飯をおいしいと思っても大丈夫なんだよ、と。
自らの手で掴んで食べる「食事」という生命維持のための営みは、服を着ること、歩くことよりも、いちばんはやくに覚える自立行為だ。
食事を大切にするということは、「生きる」を大切にすること。
自分のためにご飯を作ることは、自分で自分を愛してあげるということ。
誰かにご飯を作ってあげたいと思うこと、すてきなご飯屋さんを見つけた時に食べさせてあげたいと思うことは、誰かを愛しているということ。
2024年2月3日 カナダ・カルガリーにて