昨日よりもいくらか
毎日同じ言葉ばかり出てくるんだけれど、まあとにかく暑い。しかしながら暑いからってぼんやりしていたら、時間というものはただ過ぎ去ってしまうだけである。そうしていると、人生に記憶喪失みたいな期間がどんどん増えてしまって、どうもよくない。と、おもう。
私というのは何をするにもとにかく人よりも時間がかかってしまう性質で、これまでの人生何かというとまわり道をしたり、無駄なところにエネルギーを費やしてきてしまっている。でももう取り返しはつかないから、そんなこと言ったって仕方がないんだけれど。
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先日お昼の休みに、梅園身代り天満宮まで散歩した。日差しも強いし気温も高い。わざわざそんな日を選ばなくても、ともおもうけれど、ここしばらくはそんな日ばかりだし、選びようがないとも言える。とにかく行った。
ここに行くのは二度目で、初めて参拝したのは宮崎の友人を連れ、市内をまわったときだった。名称とおおよその場所くらいは知っていたけれど、若いころの(今よりも)愚かな私は、自分が住む町を隅々歩いて面白がるということに、あまり興味を示していなかったのだった。
この日は事務所のある出島町から、銅座川をなぞりながら銅座橋を渡ってから、昼間の人けのない飲み屋街を歩いて、梅園天神を目指した。町名で言えば銅座町、籠町、船大工町、寄合町、丸山町といったあたりを通って行ったということになる。
船大工町のごちゃごちゃっとした雑居ビルのどこかに『落人』という飲み屋があった。父の行きつけだったらしいそこに、一度だけ父に連れられて行ったことがあった。こぢんまりしていて、品のいい年配のママがひとりでやっていた店で、今はもうママはこの世にいないらしいし、店もない。あれはどういう経緯で父とその店に行くことになったのか、そして店の正確な場所も、もう思い出せないなどとおもいながら歩いた。
船大工町から丸山公園に向かう角には、カステラで知られる福砂屋の本店がある。いつ見てもいい店構えである。
丸山町はかつての花街である。そんなことから、このあたりにはおんなたちの残していった念や感情のうずまきといったなものを感じる。私だけかもしれない。
料亭『花月』の裏手にある梅園天神に着いた。境内には誰もいなかった。まずここが「身代り」と呼ばれる由来は、創建者である丸山町乙名・安田次右衛門という人が、何者かに襲われ左脇腹を槍で刺されたときに、身体のどこにも傷がなく、その代わりというのか自邸にお祀りしていた祠の天神像の左脇腹から血が流れていた。その天神様をここにお祀りしていることから、その名で呼ばれるようになったという。また、丸山の遊女達も身代を「みだい」と読んで、自分たちの生活に苦労がないことを願って参拝したのだということである。
他にここの名が知られているのに映画『長崎ぶらぶら節』(原作・なかにし礼)のロケ地であるということがある。映画は観ていないけれど原作はいちおう読んでいて、そこに出てくる愛八という丸山の芸者を知ったのは、もっと前に読んだ市川森一氏の小説『蝶々さん』からであった。
『蝶々さん』では、愛八とお蝶(蝶々さん)が唐人に絡まれ襲われそうになったところを、辰巳堂の三浦に助けられたというのがこの梅園天神だったとおもう。うろ覚えで失礼。
とにかく参拝し、知恵がつくようにと撫で牛のおでこを撫でた。それから裏参りをしたあと境内をぐるりと一周した。境内はそう広くはない。梅園というくらいだから、ここは梅の咲く季節に来るのがいいかもしれない。盛夏のこの日は、百日紅が咲いていた。
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陽ざしの強い昼間に撮る写真というのがちょっと苦手としている。そういうこともあって、最近はできる限りカメラを手に、あれこれ撮って歩くことにしている。特別なものでなくてもいい。
写真を撮るのもそうだけれど、他の、自分がうまくなりたい、できるようになりたいことを、どれも昨日よりはほんの少しでも上手になっていたい。
昨日よりいい写真が撮れるようになりたい。昨日よりいい文章を書けるようになりたい。昨日より心情と合った表現ができるようになりたい。昨日より楽譜の理解をできるようになりたい。昨日より賢くなりたい。昨日より強くたくましくなりたい。昨日より痩せたい(違うか)。それにしても「いい」と言ったってその視点をどこに置くのかで、また違ってくることもあるだろうけれど、まあ、それでも。
そういうちょっとしたことが、今となっては取り返しのつかない時間を少しでも回収するための、最近の私の営みである。
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