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久慈くじら
2020年3月18日 17:48
萩原朔太郎の「SENTIMENTALISM」を読んでくれ。 朔太郎はここで神秘主義的なことを書いている。 神とは詩である。多くの場合、感傷には理性がともなう。哲学者はその思想において、ときに詩のようなものを書くが、形骸ばかりで死んでいる。ここには生命も感動もない。理性が理性として在る場合、それは哲学であって、詩ではない。詩は感傷の涅槃においてのみ生まれる。そこには観念も、思想も、概念も、象
2020年3月14日 17:29
窓硝子の曇りに言いたいことを書きつけて、隣にいるあなたの肩を寄せながら「これを読んでくれ」と言うとして、声を使って言うこととの違い、あるだろうか。勇気の問題だ。たとえばこうやって読まれもしない言葉を書き連ねるのはほとんど勇気のいらないことだ。遠いところから遠いところへ書くことは負荷がすくない。宛先のない詩も負荷がないはずだ。けど詩人は苦しむ。それはいちばん近い自分へ宛てたからだろうし、また、世界そ