美徳なき時代の芸術家

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このへレニズム期にいたるまでに、美術が古くから保っていた魔術や宗教との関係をおおかた失ってしまった、ということにあるだろう。 彫刻家たちの関心は、職人技そのものの優劣に向けられるようになり、このような劇的な闘いの場面を、その動きや表情や緊張感を含めてどう表現するのか、 それが彼らの腕の見せどころとなっていたのだ。ラオコーンの運命の道徳的な善悪のことなど、 彫刻家の脳裏には浮かびもしなかっただろう。

ヘレニズム期は、ギリシア風という意味ですが、このヘレニズムの時代までに、ギリシアにあったポリスという考えは衰退しました。ポリスとは哲学者アリストテレスが提唱した概念であり、最小単位の国家が基準となった共同体でした。ですが、ポリスが衰退した後は、個人がどう考え、どう生きるかを問うことが重視され、世界的に普遍的な生き方が求められるようになっていました。

現代も、個人の時代と言われたりもしていますが、こうした時代には、世界が共通の基準を持つことを理想としつつも、個人が道徳の価値判断を自由に持つようになり、道徳がない時代になるというのは、現代のアリストテレス学派の哲学者も指摘しているところではないかと思います。

人々は、技術だけを志向するようになり、競争が起こることによって、技術の水準は上がることにはなると思います。ですが、こうした混沌とした時代には、過去の歴史を紡ぎ、今の時代を汲み取り、人の心を動かしていく芸術家や作品が、重要であると私は思います。



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