「野蛮」ではない文学のために:H.E.ノサック『滅亡』について
第二次世界大戦のあとのドイツの文壇では、ひとつの大問題が共通認識として抱かれていた。あのような惨憺たる戦禍のあとで、いかに文学はあるべきか。それはアドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という有名な命題によく表れている。
ギュンター・グラスが「アウシュヴィッツ以降の時代に創作しようとする作家はそれまでとは異なった小説を書かなければならない」と考えたように、アドルノのこの言葉は非常に重く受け止められ、特に戦後から1950年代までの新しいドイツ文学は「野蛮」ではない文学を模索してきた。そこで書かれたのは戦争によって傷つけられた弱い立場の者たちについて語る文学であった。例を挙げるとすると、召集されて前線を転々とし、その末に無意味な死を遂げる名もなき兵士たちをハインリヒ・ベルが描き、帰還兵たちが長く空けていた自分の家で直面した困難をヴォルフガング・ボルヒェルトの『戸の外』で描き、パウル・ツェランがユダヤ人が直面した強制収容所や絶滅収容所の現実を描いた詩を書くなどそうした側面から戦後の文学は取り組まれていた。
とはいえアドルノが提起した問題がほんとうに正しくとらえられていたかと言えばかなり怪しい。なにしろかの命題は一つのキャッチコピーのようにとらえられ、例えば「アドルノが批判しているのは詩であって小説ではない」だとか「ここでいう詩とは叙事詩のことで、抒情詩ならば問題ない」だとかいうとんでもない受け取られ方をしてきたのだ。
しかしそれでもアドルノと共通した問題意識を抱き、戦後ドイツで創作活動を行ってきた作家がいる。それこそがハンス・エーリヒ・ノサック(1901-77)である。ノサックはその作家としてのキャリアを、イギリス軍による空襲を受けて全面的に破壊されてまもないハンブルクのまちでスタートした。そしてそんな彼の作品には、悲劇的な惨状を招いた敵国や、ナチス政権という直接的な原因ではなく、そうした「野蛮」を生み出した文明そのものへの根源的な批判が見て取れるのである。
以下では、ノサックという作家を簡便に紹介し、また彼の作品を読む上での補助線となるアドルノの問題意識を確認しつつ、ハンブルク空襲からわずか三ヶ月後に発表された『滅亡』という中編作品を読み解いていきたい。
H.E.ノサックについて
ノサックとはだれか。おそらく現在の日本においてはほとんど知られていないドイツ人作家の一人だろう。そして彼の没後まもない1981年に出版されたヨセフ・クラウスによるノサックの評伝によると、驚くべきことに当時の本国ドイツでもほとんど知られていない作家だったようだ。そうである以上、ノサックという作家について紹介しておく必要があるだろう。
H.E.ノサックは1901年に南アフリカで財を成した貿易商である父と名家クレーンケ家の出身の母との間に生まれた。裕福な家庭でフリードリヒ・ヘッベルの日記など父の蔵書を読みながら育った16歳の時に彼は文学を志すようになったが、イェーナ大学時代に決闘で顔に傷をつくったことでブルジョワ社会の因習を拒絶するようになり、父からの仕送りを立ちながらガラス工員として働きだした。ナチズムに対抗するために共産党に加入していたが、ナチス政権が誕生すると保護を求めて父の会社に入り、顔の傷が理由で徴兵を免れたため、ハンブルク大空襲をその場で経験することとなった。その体験を記したルポルタージュ風の作品『滅亡』を1943年に発表すると、フランス語に訳されサルトルの称賛を受けるなど注目をひいた。その後も1961年にドイツで最も権威ある文学賞であるゲオルク・ビューヒナー賞をはじめとして多くの賞を受賞するなど戦後西ドイツを代表する作家となっていった。
ノサックは戦前から『知らせ』などの詩であったり、ゲオルク・ビューヒナーの同名の作品に影響を受けた『ヘッセンの急使』などの戯曲をはじめとして創作活動を行ってはいた。とはいえノサックが共産党に所属していたこともあり、ナチス政権が誕生すると「好ましからざる作家」として執筆停止処分を受けておりほとんど発表する機会はなかったうえに、書き溜めていた原稿もほとんどすべてが空襲で灰と化してしまった。そのためノサックが活躍するようになるのは戦後からであり、その意味でハンブルクの破壊を描いた『滅亡』こそはノサックの原点ともいえる作品なのだ。
「野蛮」とはなにか:アドルノの問題意識
まずはノサックの『滅亡』を読む上での補助線として、アドルノの問題意識について確認しておく必要があるだろう。まずはアドルノが言う「野蛮」の意味を明確にする必要があろう。「野蛮」とはなにか、『啓蒙の弁証法』をみてみると、それはその言葉の通り合理化を推し進める啓蒙の反対物たる非合理的なものの暴力性を指すもののことである。たしかにナチス政権はそういった意味で最も「野蛮」なものの一つといってよかろう。
しかし同時にアドルノが指摘していることは、驚くべきことにそうした「野蛮」を生み出すのは西洋文明の根底にある進歩的な啓蒙の歩みにあるということなのである。どういうことなのか。つまり物事を合理化する文明とは、物事を抽象化し支配可能な形で理解することによって推し進められてきたのであるが、そうした捉え方がいつの間にかに反省なく唯一絶対的なものとして覆いかぶさり(=物象化)、人々はその教条になすすべもなく飲み込まれてしまっていることをアドルノたちは指摘しているのである。このようにして啓蒙を推し進める文明は、野蛮へと転化するのだ。
こうした「野蛮」という言葉の意味を確認したうえで、アドルノの有名なテーゼを前後も含めて引用してみよう。
すこし難しい内容ではあるが、解きほぐしてみよう。なぜ詩を書くことは野蛮で、不可能になってしまったのか。それはいかにその詩がナチズムや戦争といった野蛮に対して啓蒙的な批判を浴びせていたとしても、その批判が絶対的な教条と化し(=絶対的物象化)反省なく、そこからはみ出るものをおしつぶすとしたら、それこそが第二第三のナチズムと化して野蛮へと堕してしまうからである。これこそがアドルノが提起した問題意識なのである。
これはある種絶望的な宣告である。しかしながらアドルノはそこに一条の希望の光を投げている。つまり「批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない」のであれば、逆に言えば「自己満足的に世界を観照」せずに批判を行う啓蒙的な主体そのものにも批判的な視線を向け続けるならば、詩は、文学は生きる道があるのだ。
『滅亡』について
それではようやくノサックの原点である『滅亡』について見ていこう。「滅亡」はハンブルク大空襲が始まったほんの3か月後の1943年11月に記された、ハンブルク大空襲をルポルタージュ風に描いた作品であり、短編集『死神とのインタヴュー』に収録されている。
ここではひとまず『滅亡』のあらすじをやや細かく紹介していきたい。『滅亡』は大きく分けて三つのパートから成り立っている。
(1)はじめに主人公はこの物語を書くに至った経緯を記している。主人公は「その顛末を報告する責任」をかんじている。なぜならばこのことを「現実のものとして理解し記憶に組み入れることは、通常の理性には絶対不可能」であり、報告を済ませねば「口は永遠に閉ざされてしまう」と感じたからである。こうして物語は始まる。主人公は休養のためにハンブルクを離れ荒野の村であるホルストに、妻と思しきミジーとともに出掛ける。しばらくは荒野の澄んだ大気や「獣のように野に出て歌う」娘、ケシや木苺、サクランボ、みやまかけすやヒース、釣鐘草などの植物、木の実ついばむ四十雀などの動物といった荒野の自然を丹念に描写していく。主人公たちはそうした荒野を愛し、自分たちを「この風土に属した人間」なのだ感じる。そしてこの荒野から「失われた過去へと通じる道が見いだせるかもしれない」と主人公は記している。
(2)主人公たちがハンブルク空襲を体験したのは、この荒野でのことだった。「想像できないほどの上空を南方からハンブルクに向かって飛ぶ千八百機の飛行機の轟音」が鳴り響き、ハンブルクのまちは全体が破壊されてしまう。主人公はその際、「ノアの洪水」や「最後の審判」を思い浮かべ、こうした運命は自分たちが引き寄せてしまったものであるという責任を告白している。そして同時に自分が空襲による破壊の到来を「待ち望んでも」おり、「うんとひどくなったらいいという明確な願望」を抱いていたことも記している。そしてハンブルクのまちからは次々と人々が脱出してくる。避難民たちははじめのうちこそ受け入れる側の人々と友好的な関係を気付いていたものの、それはすぐに変調をきたしてしまう。受け入れ側は避難民たちが「嘆きの声を上げるか、あるいは少なくとも涙を抑えているとわかるわざとらしい毅然さを示すか、どちらかだろうと予期していた」。しかしながら避難民たちは、自分たちの体験や、受け入れ側の贈った親切な援助に対してある種の無関心の態度を示し、受け入れ側の人々から「あらゆる安心感を奪い、彼らの心の中に自己の財産への疑いを呼び起こし」てしまう。
(3)主人公たちの家も燃えてしまい、すべてを失ったということがわかる。そして主人公はミジーと二人、廃墟と化したハンブルクのまちに行くことにする。田園を走る車の中で、二人は「本当の生が始まる」というある種の解放感を覚える。破壊された市街を通り抜け、それまでは思い至らなかった、かつてのそこでの人々の生活に思いを巡らす。あるときは「ほかのときなら気に入らないのでつきあうのを避けるだろうと思われる男」と同行して道路もなくなったまちを巡り、あるときにはそれほど親しくはない知人とであい、「子どものころの遊び仲間と再会したような気分」になり、一つの瓶から火酒を飲むなど、空襲以前には考えられなかったような仕方で人々とかかわりあう。そしてとうとう「真実を見るまい」と避け続けてきた友人の家を訪ねていく。というのは「彼に会えないとわかるのがこわかった」のであり、主人公はそこに出掛けていくのに「どれほどの忍耐力が必要であったか」と記している。多くの人が死んでしまい、人々が大切にしていたものが焼け、生き残った人々もまちを見捨ててしまったという話を主人公たちは聞いて廻る。そして自分たちの家も燃えてしまったことを見て、自分の大切なにしていた、失われてしまったものへの哀惜を語るのである。しかし人々は少しづつハンブルクに戻ってきてそこで再び生活を始める。しかしそこには決定的に現実感がかけていた。
これが『滅亡』のあらすじである。
二つの世界の分化
まず指摘しておかなければならないのは、『滅亡』では空襲を体験した人々と何とか免れた人々との間の世界の分化が描かれているという点である。それがよくわかる印象的な場面を引用してみよう。
これは驚くべき描写である。家の窓をふいている女、日常であれば何でもない風景だ。しかし自分の家が破壊されてしまった主人公たちの眼から見ると、彼女は「気のふれた女」のようであり、ほんの一瞬によって彼らの間には画然とした世界の隔たりが生まれてしまっているのである。
こうした世界の分化は作品中に何度も描き出されている。一方は何とか破壊を免れた、避難民たちを受け入れる側の人々の世界であり、日常の世界である。人々はブルジョワ的な快適な生活のことを考えており、空襲でそれが失われてしまうのではないかと怯えつつも、すべてを失ってしまった避難民たちに対してはそうしたものは取り返しがきく、いつの日かもとにもどるといって慰めようとする。しかしながら、避難民たちはそうした人々とは全く違う、もう一つの現実の中に放り出されてしまったのだ。以下では前者を「制度的現実」、後者を「荒野の現実」と呼ぶことにする。
こうした二つの現実の対立は、ノサックの作品にはしばしば現れるモチーフである。たとえば『おそくとも十一月には』における重工業会社の社長である夫マックスと彼の属するブルジョア社会と、その虚飾と無意味さ、退屈を感じ作家ベルトルトとともにブルジョワ社会を脱出する妻マリオンや、『わかってるわ』における看護師たち市民社会に属する人々と彼らに監視されながら「河向うの世界」について語る瀕死の娼婦メリッタなどという形で現れ、この二項対立的構造はノサック作品の基本をなしているのである。そして言うまでもないが『滅亡』の主人公は「荒野の現実」の側に属した人間なのである。
『滅亡』の文明批判
ここまでの前提の議論を見たうえで、本題である『滅亡』における文明批判の視点を示していきたい。
まずは「制度的現実」について、なぜノサックは消極的に考えていたのかについて確認しよう。「制度的現実」は私たちの単なる日常的な世界観であるならば問題視するべきものではないのではないか、というのは当然あげられるべき疑問である。しかし考えてみれば私たちの日常の世界は、利便性や生存の維持のために高度に合理化されている。そのことは今日の社会福祉制度を見てみれば明らかだ。そして合理化とはいいかえれば、あらゆるものを抽象的な数に還元し計量する試みでもある。ノサックが批判するのはそのことなのだ。ノサックはヴィルヘルム・ラーベ賞の受賞講演で次のように述べている。
つまりノサックは人間のもっとも生き生きした本来の領域(実存や存在神秘などと言い換えることができるかもしれない)が、彼らを合理化し抽象化する制度によって疎外されてしまっていることをこそ批難しているのだ。これはまさしく啓蒙が物象化(=制度化)してしまい、人々をおしつぶす野蛮と化すことに警鐘を鳴らしたアドルノの問題意識と重なるだろう。
このような問題意識を抱いていたノサックは、『滅亡』のなかで人間や大切な事物を抽象化する作用を徹底的に否定する。いくつか引用してみよう。
このように日常的な世界、「制度的現実」において事物を抽象化する認識作用をこそノサックは否定しているのである。
そして明言はされていないものの、アドルノの問題意識と読み合わせると、ノサックがこうした「制度的現実」が戦争や空襲という惨事を惹き越したというふうに考えているように読み取ることができる。それはノサックが空襲を「ノアの洪水」「最後の審判」になぞらえていたことからもわかるだろう。ノサックの評伝を書いたヨセフ・クラウスは次のように記している。
この指摘によれば、制度に対して人々の生が抑圧されていたことが空襲の遠因になっていたとノサックが考えていたとみてよいだろう。
本当の生としての「荒野の現実」
ではそれに対して、ハンブルク大空襲という極限状況で見いだされた荒野の現実とはいったいどのようなものなのであろうか。ノサックは荒野の現実に属している避難民や荒野に住まう人々をしばしば動物に形容して描き出している。それはたとえば「近くに男を嗅ぎつけると、獣のように野に出て歌う」荒野の娘であったり、「動物のようにかたまってうずくまっている」避難民などといたようにである。
こうした動物というモチーフが意味するところはいったい何であろうか。それは人間の合理主義の帰結たる「制度的現実」から解放された現実である。そしてノサックは次のようにそのことを肯定的に描き出している。
ここでいう「監獄」や「私たちが生活の快適さのためかあるいは誤った配慮ゆえについ結んでいた安易な妥協」とは、すでに確認した人々を抑圧する利便性や生存維持のための制度といっていいだろう。ノサックは空襲による破壊を、「制度的現実」からの解放ととらえ、そこに積極的な可能性を読み取っていたのである。
ではノサックは荒野の現実をどのようなものとして描いているのだろうか。荒野の現実においては制度によって縛られていた世界が、人間的なものとして立ち返ってくる。すでに述べた通り、「制度的現実」においては空襲によって失われたものも死者たちも単なる数字として抽象化された形でとらえられていた。しかしノサックは物や死者の実存へと眼差しを向けている。主人公が燃えてしまった自分たちの家を前にしたとき、自分たちが大切にしてきたものたちが「これっぱかりも残って」いなかったのを目撃すると、「所有」にたいしての疑念を浮かべる。「わたしたちは実際のところ物を所有してはいなかった」と。
ここでは失われた物、たとえば「子どものころの一回かぎりの傑作」や「色褪せた記念写真」、「古い人形」といったものは、すべて「ただかりそめの客としてわたしたちのうちにいたにすぎない」のであり、それは決して取り返しがつくものではないことが叫ばれている。
また死者についても同様だ。人々は死者の人数の多寡ばかりを重要なものだいだととらえていた。しかし主人公たちが破壊された市街区を見て廻っていると家のドアにチョークで書かれた「お母さん、どこにいますか。知らせてください。」という言葉を目にする。それで主人公は心が引き裂かれる思いをするのである。ここではこの「お母さん」が生きているのかどうかはわからない。しかし亡くなった一人ひとりには、この「お母さん」を探す人のように、大切に思い、思われる人がいたはずである。そこで主人公は「どうして『死者を数えることはできません』と言わないのか」と主張するのだ。
また戦争そのものについても単に数字や論理上の出来事ではなく、実際に人々が傷つけられる具体的な出来事として眼差していた。それは車で廃墟を通り抜けた際の記述によく表れている。
ノサックは空襲によって破壊された廃墟の様子を見ながら、単に破壊された建物や街路だけを見るのではなく、そこに息づいていた人々の生活にまで思いをはせる。戦争は数字や論理の上で行われたものなどでは決してなく、具体的な人々の生活が破壊される悲惨だったのである。
そして「荒野の現実」においては、ほかの人々との関係性にも変化が現れる。空襲以前はもし何かがあったときに頼れるのは親類や友人であった。これは人々が基準として考えていた価値に基づく判断であった。しかし実際に空襲が起きたとき、「そのときまで基準にしてきた価値はもはや通用せず」、真に援助の手を差し伸べてくれたのは他人であった。
ここでは家族などの既存の価値で助け合うべきだと考えられている関係ではない赤の他人であっても、ハンブルクの滅亡にあってそれぞれが助け合って生きていたことが報告されている。さらに主人公たちが廃墟のまちを訪れた際にも、他者との関係の変化は見て取ることができる。主人公たちはあるときには「ほかのときなら気に入らないのでつきあうのを避けるだろうと思われる男と同行し」、またあるときには「さして親しくもない知人」と出会い「あたかも、二十年ぶりに故郷に戻って、子どものころに遊び仲間に再会したような気分」になる。そしてこの知人とは往来の真ん中で酒まで酌み交わす。そして主人公は次のように考える。
こうしたことは「制度的現実」の価値の下では全く想像だにできないことである。しかしながら「荒野の現実」においては、家族や友人といったカテゴリーを超えて人間と、直接に相手と向かい合うという真に人間的なつながりを持つことができるとノサックが考えていることが読み取ることができる。
しかし、このような「荒野の現実」を直視することは、相当の大きな覚悟を必要とする。なぜならばそれはまちの破壊の様子や死を直視することを意味するからである。そのことは「滅亡」の主人公は友人が死んでしまっていて「彼に会えないことがわかるのがこわかった」のであり、友人のもとへ出掛けていくには「どれほどの耐久力が必要であったことか」と語っていることからもわかるだろう。
「制度的現実」によって死者や失ったものを交換可能な数ととらえれば、そうしたつらさを感じながらも「こうしたことはすべてもとにもどる」と自分を慰めることができるだろう。実際に戦後のドイツは過去の破滅体験を直視しない形で進んでいった。現代ドイツ文学の巨匠であるゼーバルトは『空襲と文学』のなかで、ドイツは「たいした心理的な痛手もなく絶滅戦争から立ち直った」のであり、「ドイツ国民が内面を震撼させる動揺をほぼまったく欠いていたことは、新生ドイツ共和国の社会が、その前史に経た経験を完璧な抑圧のメカニズムにゆだねたことをおそらく意味している」とし、「顔のない新たな現実が創造されるなかで、過去をふり返ることは当初から禁じられていた」と指摘している。
ノサックはこうした「制度的現実」を拒否して、破壊された廃墟のまちを直視する。がらんどうのファサード、倒れたカタリーナ教会、まちを支配するどぶネズミやハエ、そしてウジ虫がうようよする床に足を滑らせながら火炎で道を開いて遺骸の下へ向かう作業員。ノサックはハンブルクの滅亡の現実を「あたうるかぎり装飾を交えずに書き留め」、『啓蒙の弁証法』において指摘されているような文明によって破壊された自然(荒野・廃墟)を追想する。それはゼーバルトが指摘している通りである。ノサックは「滅亡」の序盤に荒野の自然を丹念に描写し、次のように記している。
ここには二重の意味が読み取ることができるだろう。つまりまず第一に「荒野の現実」とは、「制度的現実」を生み出してしまった文明以前の根源的な過去へ通じる道である。それと同時に容易には「理解し記憶に組み入れる」ことができず、おそらくは「口は永遠に閉ざされたままに」なってしまうかもしれない空襲という過去の時点を直視することのできるただ一つの道が「荒野の現実」であるということなのである。
アウシュヴィッツ以後の来るべき文学:「啓蒙の積極的概念」
このようにノサックは「制度的現実」の抑圧から解放された「荒野の現実」について書いてきたが、「荒野の現実」を生きる人々はあくまでアウトサイダーであるにすぎず、同時に制度主義的現実の中で生存している。つまり意識の上では「制度的現実」から解放されたとしても、なおほとんどの人々には「制度的現実」が重くのしかかっているのだ。ノサックは「滅亡」において、忘却するか、これでよしとするか、道は二つしかないと述べた後で次のような焚火の寓話を挿入する。
この夢を見ていた男が告白したのは「荒野の現実」である。そしてその「荒野の現実」を「これでよしとする」男の告白は、凍え死なないために周りの男たちによって男が叩き殺され、黙殺され、忘却されてしまう。つまりここで描かれていることは「荒野の現実」に生きる人々がいかに制度主義の抑圧から解放されているとはいえ、現実に「制度的現実」に生きる人々によって再抑圧されてしまうということである。こうしたモチーフは、戦後初めて記された「オルフェウスと…」におけるトラキアの娘たちによって八つ裂きにされたオルフェウスや『わかってるわ』の看護師に監視される瀕死の娼婦といった形で繰り返しノサックの作品に現れてくる。
ここでもう一度アドルノの議論に立ち返ろう。『啓蒙の弁証法』の序文において「啓蒙に加えられる批判は、これまで盲目的支配に巻き込まれていた状態から啓蒙を解放することのできる、啓蒙についてのある積極的概念を準備するはずである」と述べている通り、アドルノとホルクハイマーは西洋の原テキスト『オデュッセイア』を読みながら、啓蒙はそれ自体に物象化に抗する力を持っていることを指摘している。それは体系を拒否するアドルノの志向のためか目立たぬ形で『啓蒙の弁証法』のなかに散りばめられているが、細見和之によればそれは➀物象化の暴力を対象化して報告する「メルヘンの語り」であり、②暴力によって破壊されていく外的・内的「自然の追想」である。➀メルヘンの語りとは啓蒙の物象化が持つ暴力性を外側から語る主体を浮き彫りにすることで未来に向けて暴力性を追想し自己省察するように促すということである。そして➁「自然のへ追想」とは啓蒙の物象化による暴力によって破壊されている自然(外的自然)を描写し、またそうした暴力を行う主体の中の欲望(内的自然)の抑圧を描くことによって自己省察を促すということである。こうしたことによって啓蒙は自己省察を促され非人間的な物象化をのりこえることができるのであるとアドルノとホルクハイマーや主張しているのだ。
こうしたアドルノたちの啓蒙についての「積極的な概念」はノサックについても重ねて論じることができるだろう。すなわちノサックは制度的な現実をそこからは分離された荒野の現実を生きる登場人物の眼を通して語る。「滅亡」の冒頭において、「わたしはハンブルクの滅亡を傍観者として体験した」と記している通り、これはハンブルクの滅亡の物語を外側から語りだした「メルヘンの語り」による物語だといっていいだろう。またそれと同時に空襲によって破壊された町や荒野といった外的自然だけではなく、社会的な判断を排したごく自然な自分自身の現実たる荒野の現実を生きる人々が、アウトサイダーの地位にとどまり制度的現実を生きる人々によって再抑圧されるという形で内的自然の抑圧を描いている。そのことによって制度的な現実が如何に非人間的なのかを示し、文明に対して自己批判を促しているのだ。
最後に
本論は卒業論文のテーマを比較的簡便に書き直したものである。文学や哲学が専門ではないのでやや稚拙な議論になってしまったきらいもあるが、私の関心に従ってこのような論を書く機会をくださったN教授には改めて感謝申し上げたい。
本論で述べたような文明批判の視点を持つノサックではあるが、現代においてはほとんど忘れられた作家となってしまっている。邦訳自体は比較的なされている方ではあるがそれらはほとんど絶版になってしまい、2021年5月現在新刊で手に入れることができるのは未知谷から出されている短編集『ブレックヴァルトが死んだ』ただ一冊である。ゲーテやヘッセ、マンなど誰もが知っているようなとても有名な作家であってもほとんど読まれず、そもそも文学自体が一部の好事家の趣味のようなになっている現在の状況であるからそれほど不思議なことでもないが、これではあまりにさみしい。
こうした出版状況ではあるがしかし、私は経済的繁栄を誇る安定した社会にある今だからこそ、その文明が持つ危うさを直視し、それを批判するノサックが読まれるべきなのではないだろうかと思う。この論文が簡潔な文体でありながら捉えがたいノサックの作品をこれから読まれる方々の助けになれば幸いである。
参考文献
ノサック『短編集:死神とのインタヴュー』
『滅亡』が収録されている短編集。SFや寓話、神話などさまざまな手法で廃墟と化した戦後のまちを描くユニークな作品集。べらぼうに面白い。
ノサック『文学という弱い立場』
ノサックの講演やエッセイをまとめたもの。小説の背景にあるノサックの思想を読み解くのに最適。
テオドール・W・アドルノ『プリズメン:文化批判と社会』
アドルノの有名な命題が提唱された『文化批判と社会』を収録した自選論集。アドルノの思想をもとに個々の音楽や文芸作品等を論じている。
アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法:哲学的断想』
アドルノの議論のおおもとになる思想がまとまって記されたフランクフルト学派の代表的名著。しかも手に入れやすい。しかし難しい。