お年寄りを見ると「良いなあ」と思ってしまう。
まいど、黒井です。
テレビか何かでお年寄りを見ると「良いなあ」と感じます。この感覚は無意識のもので、ぼくが自覚できるようになったのはつい最近のこと。
そういえばお年寄りを見るたびに「良いなあ」って心のなかで思ってるなあ。
と、気づいたんです。
お年寄りの人がちが25歳のぼくよりずっとずっと元気に見えるもんだから、ぼくはちょっぴりセンチメンタルな気持ちになり……
「良いなあ」と、感傷に浸ってしまいます。
また、不謹慎ですけど「この人たちはもうすぐ死ねるんだから良いよなあ」とも考えていることが分かりました。
平均寿命からして、ぼくはこれからまだ50年くらい生きなければならないけど、この人たちはもうすぐこのゲームをあがれるんだよなあ……そう思うと、何だか羨ましい気持ちもあります。
これから、世界が、もっともっと不安定になっていくことは、火を見るより明らかですし、ぼくの切望する「のんびりまったりライフ」を送れる人なんていうのは、これからもっと減っていくんでしょうね。
石橋を叩いた上でやっぱり不安で渡れないぼくは、競争社会のハリケーンに入っていくことさえままなりません。
ぼくの耳には「働け」は「死ね」と同義なのです。
何を大げさな……とお思いかもしれませんが、社会から弾かれて自ら命を断ってしまった人の話を耳にすると、それはそのまま「ぼくのことだ」と頭のなかで直結されるんです。
自分がそうなってしまうことは、ぼく自身が嫌というほど分かっています。
Twitterでリプライが来るたびに、ブログから問い合わせのメールがあるたびに、不安で一睡もできなくなってしまうぼくが、人と直接に言葉を交わして、コミュニケーションを取りながら働くことなど、想像することさえできません。
ぼくは小学5年生のころから、学校に行くフリをして、みんなが登校し終わるまでじっと身を潜め、人がいなくなってから公園で時間を過ごす……ということをしていました。
何をしても人と比べられて、劣っていると叱られる毎日で、みんなとちょっとでも違うと仲間はずれにされる毎日で、まだ10歳ほどだったぼくは、子どもながらに、人間とは比べたがり、また取捨選択をして仲間はずれを作りたがるものなのだと悟りました。
そして、そのことからは、この世界のどこへ逃げても、けして逃げ切ることができないということも、なんとなあく、分かっていたんです。
ぼくは25歳にもなって働いていません。就職どころかアルバイトをした経験さえない、いわば就労童貞です。
ブログを書くことでわずかばかりの収益を得ていますが、それも働かないことへの言い訳のようなものです。ブログを書いてお金を稼いでいるからいいんだ……と言いたいがためにやっているようなものなのです。
しかしその収益も月10万円にも満たず、ギリギリひとりで極貧生活を送れるかもしれないという程度でしかありません。
ブログの収益には不労所得のような側面があるため、調子が悪くて記事を書くことができない日が続いても、すぐには収益に影響が出ない……という利点はありますが、正直なところ、まだまだ会社員として働いているほうがずっと多くのお金をいただけるのでしょう。
ありがたいことに、ブログの問い合わせフォームからお仕事の依頼をしていただけることがあります。しかし、本当に申し訳ないんですが、そのメールの文面にさえ「人間」を強く感じてしまい、お返事を書くことさえできないことがほとんどなのです。
ぼくは、それでも生きていけるのでしょうか?
生まれて初めて死のうと思ったのは8歳のころでした。
そのころにはもうイジメを受けていて、仲が良かった団地のお友だちと遊んでいても、別にそんなことはないはずなのに、疎外感を感じてしまうようになったんです。
ぼくの下には弟が3人もいて、母はその弟たちにつきっきりという感じでした。その母は四男を出産した3年後には働き出し、まだ3歳の弟の世話は、ほとんどぼくがしていたんです。
何も知らないような顔をして笑う弟も、当時飼っていたハムスターも、みんな殺して、ぼくも死のう……と本気で考えていました。
あのときに死んでしまえばよかった……ということを、いまでもよく思うのです。
楽しそうな人や幸せそうな人を見ると悲しくなる。自分がそうなれないから、羨ましくて、眩しくて、涙が出てくるんです。
先日マンガの「甘々と稲妻」を読んだときも、自分はなんど人生をやり直してもこういうふうには生きられないんだろうなあ……と、なんとなあく悟っていたんでしょうね。
関連:食べること。生きること。
ぼくは、本当は「良いなあ」と思われるような人になりたいんです。
羨望の眼差しで見られたい……とは言わないけど、せめて自分軸では、楽しい毎日を送りたい。そうでないともう生まれてきた意味が無いじゃないですか。
弟の世話ばかりして、両親に殴られて、学校でイジメられて、そのまま人のことが怖くなって、人と喋れなくなって、メールを交わすこともできなくなって、ひとりで外に出られなくなって、毎日死にたい死にたいと歌いながら生きているのなんて、やっぱり嫌じゃないですか。
8歳のときに死ねなかったことは、ぼくの人生の最大の後悔です。
だからぼくは今なおお年寄りを見て「良いなあ」なんて羨むような哀れな人生を送っている。もっと早くに決めておけばよかったなあ。
Twitter:黒井@ニートブロガー
ブログ:たのぶろ。