鬱ログ

朝起きた瞬間からずっと死んでいる。

きょうは朝起きた瞬間からずっと死んでいる。

朝起きた瞬間からずっと、何百、何千、何万回とあたまのなかに「自分が野垂れ死んでいるイメージ」が再生されては消え、再生されては消え……

もうウンザリだよ。

何回死ねば生きていられる未来を想像することができるんだろう。

ひょっとすると、ぼくのあたまのなかにはもう自分が将来を生きている姿が存在しないのかもしれない。

生きていられる未来なんてどこにもないのかもしれない。

人生は選択の連続だ。なんていうけど、ぼくの人生はもう何をどのように選択しても「未来を生きているパターン」には行き着かないようになっているのではないか?

自分なりにポジティブ・シンキングをしてみる。ながらくぼくとお付き合いをしてくれている彼女と一緒に暮らせるようになる未来。ブログやYoutubeの動画投稿でなんとか食いつないでいくことができるようになる未来。

未来を生きていられそうな可能性を探りながら、想像力を働かせてみるのだけど、やはり最後は「野垂れ死にパターン」なんだよ。

いまは体重三桁のぼくが、やせ細り、骨と皮になり、上半身はだかで、ゆかにあぐらをかいて座っている。

カメラが、その姿を背後から捉えている。少しずつぼくの背中に近づき、こんどは回り込むように移動する。

正面へ回ってくると、頬がこけ、苦々しい顔をして死んでいる自分の顔が見える。しわくちゃで、皮膚がたるみ、目のまわりがくぼんだ自分の顔だ。


この他に、公園の木にロープをくくりつけ、そこに首をひっかける自分の姿もよく想像される。

ぎいとロープが軋んだかと思えば、体の中から焼けるように熱いものがこみ上げてきて、苦しくなり、目の前がふわっと白くなる。


高いビルか、学校のような建物の屋上から、意を決して飛び降りる。地上に落下するまでが非常に長く感じられるんだ。

落下している最中に、少しだけ飛び降りてしまったことを後悔する。

自分の人生って何だったのだろう。なんとか生きていく方法はなかったのだろうか。そんなことを思っていると、突然、目の前がまっくらになる。


この三つは日頃からよく想像されるのだけれど、きょうは「野垂れ死にパターン」ばかりだ。

きのうときょうで大きく気圧が変動したこともあり、うつ病などの気分障害をわずらっているひとは一様に体調をくずしていることだろう。

しかし、ぼくは厳密にいえば「うつ病だ」と診断されたことはないので、このこころのもやもやも、この野垂れ死ぬイメージも、すべては杞憂なのかもしれない。

たとえ思い過ごしなのだとしても、こころのもやもやも、野垂れ死ぬイメージも、けして消えはしないんだけどさ。

ひさしぶりに鬱ログを書いちゃった。

ごめんなさい。

許してください。

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