【書評エッセイ】ヘミングウェイのパリ。
以前、ヘミングウェイを読んでいたのは、高校・大学時代だっただろうか。
「武器よさらば」「日はまた昇る」など、短編集も結構読んでいたような記憶がある。
本の内容はよく覚えていないが、ヘミングウェイは好きな作家の一人になった。
ヘミングウェイの作品たちが醸し出すムードが好きになった。
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今回、本当に久しぶりにヘミングウェイ(「移動祝祭日」)を読んだ。
61歳で自殺する直前に完成させた作品が、20歳代にパリで過ごした6年間について書かれた作品だったというのが驚きだった。
この6年間はパリでの6年間であり、且つ最初の妻ハドリーとの6年間でもある。ハドリーと結婚してパリに移り、ハドリーと別かれてパリを去った。
パリでのハドリーとの生活が彼の一生に中で最高に幸せな時間だったのだろう。
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1920年代のパリのカフェ。
そこで語らう世界中からパリに集った綺羅星の如き芸術家たち。
そんな高揚感のあるパリの街で、ヘミングウェイは小説を書く。
この作品の芯は、ヘミングウェイが真摯に書く姿だ。
一人の若い女性が店に入ってきて、窓際の席に腰を下ろした。とてもきれいな娘で、もし雨に洗われた、なめらかな肌の肉体からコインを鋳造できるものなら、まさしく鋳造したてのコインのような、若々しい顔立ちをしていた。
ひと目彼女を見て気持が乱れ、平静ではいられなくなった。いま書いている短編でも、どの作品でもいい、彼女を登場させたいと思った。
顔をあげるたびに、その娘に目を注いだ。鉛筆削り器で鉛筆を削るついでに見たときは、削り屑がくるくると輪になってグラスの下の皿に落ちた。
きみはぼくのものだし、パリのすべてがぼくのものだ。そしてぼくを独り占めにしているのは、このノートと鉛筆だ。
もう顔をあげることもなく、時間も忘れ、そこがどこなのかも忘れて、セント・ジェームズを注文することもなかった。セント・ジェームズにはもう飽きていて、それが意識にのぼることもなかった。やがてその短編を書きあげると、ひどく疲れていた。最後の一節を読み直し、顔をあげてあの娘を探したが、もう姿は消えていた。
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パリという街とともに、彼に幸せな時間をもたらしたのは妻のハドリー。
8歳年上ながら、癒し系で、ちょっと天然的なゆるふわ感がある。
「あたし、何もかも覚えてる。彼のほうが正しいこともあれば、あなたが正しいこともあった。あなたたちが論じ合っていた光のことや、描写の肌理の細かさや粗さ、フォルムのこと、あたし、みんな覚えているわよ」
ハドリーと競馬に行き、
スキーに行き、
おいしい魚を食べ、
おいしいワインを飲む。
そして、小説を書く。
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読み終えて、パリの事を想う。
早くもう一度パリに行きたい。
あのカフェでカフェ・クレームを注文したい。
「ヘミングウェイのパリ」というエッセンスを加えて、
もう一度パリの街を歩きたい。
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