仲良く時間と手を繋いで、捌き屋は目の奥底に結ばれました。 H少年はその場で見惚れてしまいました。 それは改札を出てから丁度、50歩目でした。 数え出すと止まらない癖を持つH少年はこの日も黙々と歩数を読み上げていたのです。 素数でも奇数でもないことが少し残念でしたけれど、この気持ちの分かるものと生きているうちに再会できるような気が何となしにしていました。 ラッキーセブンも金曜日も野球選手の背中もあの人の誕生日さえも素数なのです。 地球と命は丸みがあるので偶数ぽいのですが奇数で、
どんな世界だったらいうことなし? 天国みたいな世界? こんなゆがんだ世界よりいいって? そうかもそうかな? ところでおばさま、天国ってなに? i駅の改札を抜けると、目の前には別の暮らしが成り立っていました。 大袈裟に言えば、ほんのちょっぴりズレ落ちた、そんな世界にワープしたようでした。 いつのまに? いつのまに?ってホントこわい。 それこそかなりの無理をすればK駅からだって歩いてこれそうな、そんな距離にありながらi駅は取り残された最期の夢の番地でした。 そうです、いつもの
④ H少年が最寄りの駅に着いたころ、母親は少年のいないことにようやく気が付きましたが、さすがにもう時おそしでした。 後ほど登場する時間泥棒はまだまだ夢のなかでしたので、H少年や母親などはアナログそのものなのでした。 ですから母親といえば、「そのうち帰ってくるやろ」で解決するしかありませんでした。 それはH少年にとってラッキー以外の何者でもありませんでした。 H少年はというと、少し気にしながら運賃表を上目でみて、いつも通りに切符の小を押し、サバ読みがばれないように気を付けなが
③ そんな気分の中、駅までの道すがら、どん詰まりの曲がり角を直角に曲がると、かなり前方に二人の外国人が見えていた。 二人ともマウンテンバイクに跨っていた。 彼らは、棒高跳びのポールようにひょろひょろとひとりは鉛色のクソ真面目な瓶底眼鏡だった。 僕はすぐに目をそらして見てないふりをした。 けれど、それは例えるなら、ニュアンスは真逆だけど、好きな女の子がこちらに向かってきている、チラッと一瞬見る、間違いないあの子だ、もう一回見たい、確認したい、気になって仕方ない、のに知らんふりを
② そんな昼と夕の境目くらいのひとときでした。 そこは普段から利用している最寄りの駅から都市に向かって数駅はなれたi駅でした。 H少年がかつて降りたことのない駅でした。 いつだって記憶なんぞは頼りなく、おぼろげで、人影のように移り変わるから、そこはi駅からほんの直ぐのところなのか、えらくと離れたところなのか、よく思い出せないのでした。 そもそも自分の家と変わらぬような最寄り駅と隣のK駅ほどの僅かな守備範囲を飛び出したのはいつだっただろう。 ひとり、小さな大冒険をするように降
① 秋は先ほど終わったはずでしたが、あたたかでした。 空は深すぎて底なしで、すでに空っぽでした。 地上に舞い降りたこ金色の天使は、柔らかい絵筆のような優しさでした。 ふれるかふれないくらいの境界線を行ったり来たりしながら撫で続けていました。 ぴくりと細胞が跳ね上がりびっくりしました。 それは、あらゆる表面へ平等に均一に注がれていました。 H少年のひ弱すぎる顔皮も同じように、決して特別ではない気配りを受けていました。 さりげない、そう、弱いものへの配慮のようなものでした。 そ
(序章) 神さまが善悪を間違えた小春日和でした。 神さまは年中、間違い続きだ。 ひょっとして面倒くさくなってる? ど? もしやこっそり引退してみたいの? そ? いや、神さまが間違えるはずはない。 そう、神さまのことを悪く言うのは良くない。 そうだ、わざと間違えているのだ。
ぼくらの七日間戦争やグーニーズ、スタンドバイミーみたいな映画がやっぱり好きだ。 少年たちの世界が好きだ。 大人ではない世界が好きだ。 上手くいえない世界が好きだ。 言葉にできない記憶が好きだった。 小さな頃から小6くらいまで、春、夏、秋、冬、晴、雨、くもり、温かい、涼しい、暑い、寒い、汗やら縮こまり、ほんのり雪化粧とか、浮き沈みやら、あやしい空なんか関係なく、一年中、特に夏休みともなれば、時間があれば、子どもだけで遊んでいた。 毎日毎日手付かずの原生、裏山に分け入った。 蚊
エアコンのことをクーラーと言うおばあちゃんが好きだった。冬の冷える日に訪ねると、「こうちゃんクーラー付けや」と必ずそう言ってくれた。僕はうんとだけ答えていた。言葉の一つで情感や体感までがこうも変わるのかと言葉の魔力を知った。ずっと前のことをまるで今日の陽炎のようにモワと想い出す。
父親が星になって今日で十年が流れた。僕も同じように齢を重ねた。少しは成長したのだろうか?寝たときから時が全く経っていないような目覚めの情感だ。守ってくれているのだと、都合よく思っている。いやいやもう、どこかの何かになっている、そんな気もしている。あの日も今日もたしかに生きている。
気を使いすぎた、ある痩せた鳥がいた。 彼は赤粘土と尖った岩石が入り混じった垂直絶壁の頂きに休んでいた。 四方も八方も遠くまで見わたせる、それはきれいに澄んだ場所であった。 しかし彼はつらくてしんどい世界を生きていた。 そして彼は何かを待っていた。 しびれを切らせたように、彼は思いっきり勢いをつけて、逃げるように前へ向かって羽ばたいた。 数時間か数日か数年を飛び続けた。 ある日彼の眼前にいきなり休めそうな場所が現れて心に光が差した。 ヒューヒューヒュー。 彼は見映えのしないく
noteを始めて二年が経ちました。 時間は早いのでしょうか、遅いのでしょうか。 少しだけ振り返ってみました。 知り合えたこと、作品に出会えたこと、言葉に出来たこと、読んで頂いたこと、少しは跡を残せたこと、特別な心の宝になりました。 noteを始めて本当によかったと感じています。 何となくですが、もう少し書きたいことが浮かぶような気がしています。 今日はプラネタリウムに行ってきました。 本当の久しぶりで本当に行ったことがあるのか、ないのか、そのくらい全く記憶に残っていませんで
迷いに迷って、真顔で、行ったりきたりしながら、A駅の改札を抜けた。 そうかあ、こんなんだったんだ。 好きな感じの空気感だ。 しばらくあたりをながめて見渡して僕はゆっくり歩き出した。 改札を過ぎれば想像していた、見たような街並みは広がっておらず、今時にしては古風、とまでは言えないものの、駅前の小さなアーケードには昭和の薫風が穏やかに、たおやかに、ちらほら見え隠れしていた。 久しぶりに小さな書店を見かけた。 大型書店は急かされるみたいにつかれるから、こういう小さな世界が好きだ。
たくさんの花々があちらこちらと咲きほこり続けるというのに、桜一つ、どうしてこんなにも人の心を特別に引きつけるのだろう? 先日、桜は枯れないから美しいのだと書く人がいた。なるほどっ!と声にした。あゝ、本当に腑に落ちた。そんな当たり前に今まで一度も気が付かなかった。美しい色と姿を保ったまま、空を上下左右に舞った。去っていく。薄葉は場所を移して、今度は下を輝かせた。まだまだ終わりじゃないよと聞こえてきそうだ。そのとおりに映っていた。 桜にもたくさんの品種がある。 真っ先に思い浮か
いつからか近所にいたはずのカタツムリを見かけなくなった。いなくなった。 雨になれば、控えめな振る舞いを堂々と披露してくれた。 視線を変えるたびに彼方此方と目に映りこんだ。お世辞にも美しい色合いではないけれど、雨の風物詩でもあった。 年々に数を減らしていたことは、はっきりと気がついていた。 それでもいくらかは茶殻の彼らを見つけられた。それがいつからか本当にいなくなってしまった。どれだけ丁寧に目を凝らし探しても見えない。 彼らのお披露目に最適な雨朝、ここニ年くらい同じように繰り返
年始、久方ぶりの上京から早々に、また行くことが出来た。特別な予定は何もない。一緒に食べたり、話したり、笑ったり、音楽を聴きにも行けた。それだけで本当に嬉しい。日々、一匹男のような暮らしだけど、やっぱり二人は楽しい。岩崎航さんの五行詩を詠んだ。できることの有り難みを深く噛み締める。