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つながり③
③
そんな気分の中、駅までの道すがら、どん詰まりの曲がり角を直角に曲がると、かなり前方に二人の外国人が見えていた。
二人ともマウンテンバイクに跨っていた。
彼らは、棒高跳びのポールようにひょろひょろとひとりは鉛色のクソ真面目な瓶底眼鏡だった。
僕はすぐに目をそらして見てないふりをした。
けれど、それは例えるなら、ニュアンスは真逆だけど、好きな女の子がこちらに向かってきている、チラッと一瞬見る、間違いないあの子だ、もう一回見たい、確認したい、気になって仕方ない、のに知らんふりをする、澄ましてしまう、そんな綺麗で素直な反応だった。
だからほら証拠に、想像に反して、かなりの手前で自転車を降りた二人が、こちらに向かってくるのを見れば、分かりやすく動揺した。
僕は「これはペンです」のような、授業を受けていたので、英語はほんの少しは知っていたし、一回だけだけど英語の喋れない担任に発音がいいよって褒められたことをすぐに思い出していた。
けれど外国人と話したことは当然になく、そもそも外国人のふたり連れを目撃するなんてことは、もちろん一回もなかった。
まあ当たり前か、こんな変哲のないところに何かの用があるとは思えない。
僕はこちらに向かってやってくる、確実に日本人ではない、たぶん一度も聞いたことのないような場所で生まれた彼らの真意を一つも想像できずに、けれど幼いなりに慎重に身構えた。
「フゥウェローウゥ」
「え、あ、はろー」
「わ、た、し、た、ち、は、ア、ムゥエリカから、や、て、き、ま、した」
「・・・・・」
「ホゥ、ワッ、トゥ?」
こちらの反応をこれ以上は期待できないことが分かったのだろう、すぐに切り替えてきたのだ。
僕の手に埋め込まれたように持たれた本を指さして、こう言ってきた。
彼らの目を見れば明らかに、埋本がどのような本なのか、中身を尋ねているようだった。
知りたいようだった。
実はそれは日本人だったら誰しもが知っているような大文豪の小説や自伝などではなく、地味で小難しく、見た目からは何の面白みもない、白黒の将棋の実践本だった。
兄の影響もあってか、常に将棋本を持ち歩いていたのだ。
さらに焦茶色の皺皺の紙カバーがさらに気難しさを助長させていた。
だから、彼らにはそれがひときわ日本っぽく古風に映り、興味深く見えたのだと思う。
しかし肝心なことに、僕は将棋を英語で何と発音するのか、全く知らなかったし、そんなことを今まで気にしたことも知りたいとも思わなかった。
けれど将棋本に負けず劣らずの生真面目な性質が功をなしてか、何か言わなければ失礼かもなどと、勝手に思い込んでいた。
H少年のしっかり眉と長睫毛と犬目と上鼻と紅唇と歯並びたちが各々に「sho-gi」と一斉に早口で捲し立てました。
案の定、微塵も通じていない様子だったので、H少年はがっかりして、頭の中が無になりました。
緊張するのに飽きてきたH少年は、すぐに別のことが気になり出しました。
「あと一個なんだっけ??」
駒の名前の一つを忘れてしまって、それが気になって、頭から離れなくなったのです。
歩でしょ桂馬でしょ銀でしょ金でしょ角でしょ飛車でしょ王でしょ玉でしょ。
ほんの間なしで、「あっ」、と思い出した僕を見た外人は、日本語も分からないくせに僕の言葉に未来の全部を託しているようでした。
仕方がないので、白黒の盤のみが書かれた無機質のページを開いて見せました。
外国人は本当に興味があるのか、実は全くないのか、どっちとも取れるような、まるで宇宙の果てをほらほらと見せられたような顔つきでした。
H少年の脳内がいきなりフラッシュバックされました。
それは先日、兄に将棋とチェスの違いを聞いたことでした。
たしか将棋で言うところの頭である「王」とチェスで言うところのボスである「KING」の駒の動き方は違うのだと聞いたところだったのです。
「ジャパニーズチェス!」
すると先程とは打って変わり、ふたりの外国人は顔を見合わせて、大袈裟なOHを連発しました。
H少年はなぜだか無性に嬉しい気持ちになって、日本語で将棋の説明をつらつらと始めました。
外国人はしばらくにこにこと笑顔で聞いていましたが、H少年の解説が長く永久に終わりそうにないのを察すると、「Thank You!」と先程の音量の倍くらいの声を出しました。
H少年はそのとき始めて、実はこの外国人は将棋には興味がないのだとサトリました。
つぎの瞬間には急速に白けてしまいました。
H少年は行くあてがある気がしましたから、何も言わずに踵を返し、「んじゃ」と無言で歩き出しました。
後頭部に外国人の高く弾んだ声がしました。
「あ、な、た、は、kami、を、し、ん、じ、ま、す、か」
H少年は、怖くなって、もう一生ふり返りませんでした。