混沌としているわたし達~「スキャンダル」(遠藤周作著/新潮社刊)

ひょっとしたら、何回読んでも分からない。良く分かならないんだけど、折に触れ読みたくなる。名作として味わう。静寂な時間の中に、濃厚な時の流れを共に感じていたい作品=「スキャンダル」。わたしの中での位置づけ。「書き下ろし」「純文学」「狐狸庵山人としてではなく、作家・遠藤周作」を絡ませてみた時の、わたしの中での位置づけた。

「悪を書きたい」取り込む前の思いもおありだったし、後期の代表作とする人もいる。発表されてから10年後に、氏は帰天されている。

何と言うのか、混沌。「表裏一体」とか、「善は悪であり、悪も善である」とかいう以上に「混沌」。混沌にハマる。人間の生と性。善意の底にある本音が引き出されもしている。

病院の小児科でボランティアをやるのは、成瀬夫人の実は半分、罪滅ぼし。大学教授であった亡夫は昔、戦争で女・子供を焼き殺した罪人である、が、抱かれながら聞いた時、むしろ夫人は喜び、興奮した。だから社会的に評価されるものを、せめてもをと思いもあったのだろう。

清く正しい(?)カトリック作家。多忙でありながらも、妻に優しく、ファンを大事にする反面、自分そっくり。もう一人の自分に翻弄される勝呂。65歳になり性にも一見、萎えて来たように思われる。が、SMショーの映像フィルムには淡々としていても、ミツ。アルバイトとして雇っている中学生。若い肉体の彼女には、早くの内からその方の夢を見る。

手塚治虫の「七色いんこ」にも繋がろう。雑談。世間的会話をしているそばから、本音をぶちまける存在としてお馴染みのキャラクターが出て来るが、その度、いんこは翻弄され、ヘトヘトになる。時には「消えろ!」と箒片手にぶっ叩いたりするけれど、似ていなくもない。

勝呂が翻弄される「自分そっくりの男」。後半にゆけばゆくほど、翻弄して来る成瀬夫人に今、やっと重ねて見えた。

<善だらけの人もいなければ、悪の塊のような人もいまい>。わたしの人間論。が、「○○な人」「これこれのイメージ」は、悪まで一面。

喜怒哀楽に快・不快。善と悪、偽善と傲慢。視点に立つと上から目線が常に混沌。表面的に1つ、2つしか出さない(イメージが崩れるのを恐れ、心の中で封鎖)ようにしていても、いつどんな面が現れるのかが分からない。

「秘め事」生きると同じ「せい」とも読む、「性」。性格の「せい」以上に、秘め事(わざと隠語で書いている)を現す「性」が絡むと、余計に混沌として来る。「スキャンダル」。「醜聞」或いは「醜い噂」。どちらにしても、「醜い」がつく。想像するのは「男と女」。

「性」は遠藤のテーマではなかったが、敢えて「性」。「スキャンダル」とした題に拍手を送りたい。          <了>






#読書の秋2022

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