ドーナツの思い出に追いかけられて【生活の肴】
この頃ミスドを見つけると、いつも信号機の向こう側にある。
一昨日行ったブックオフの近くでも対岸に、家の近くでも対岸に、一人で行った鹿児島でも対岸にあった。
自分の生活圏の一歩外れにあるだけで、こんなに行きにくい。国境の川を越えるが如く、道路の向こう岸は遠く、ショーケースを覗くことにそれなりの理由が必要になってしまう。
実家の最寄りには、昔ミスドがあった。母に連れられていた頃は、近くにあったマクドナルドに吸い寄せられていたのでそこまで記憶にないのだが、高校生になってコーヒーを飲むようになると、ミスドに通うようになった。
ミスドはコーヒーを頼むとおかわり無料だったので、友人と一緒によくテスト勉強をしていた。最近は喫茶店にいくと長居を是正するような注意書きが貼ってあるが、その頃は、そんな注意書きは少なかったと思う。何杯もコーヒーをおかわりして、一応混雑状況など時折空気を読んで、数学や英語のプリントを広げた。
平均点がいつも20点あまりの問題を作ってくる数学教師のしたり顔を、落書きして『似てるー!』と声を合わせたり、真面目に分からない問題を教え合ったりした。青春時代を思い出すと、自分も割と女子高生だったのだなと思う。
制服を着るだけで可愛かったその頃、ミスドは単なるドーナツ屋ではないことを知る。私の認識ではミスドは、ポンデリング、オールドファッション、エンゼルフレンチなどの、《ザ・ドーナツ》のお店だった。けれども、友達のミズキがよくエビグラタンパイを食べていたので、ある日それを一口もらったのだ。
『餅は餅屋』的な思考の私は、『ドーナツ屋のパイ』にはなんとなく穿った見方をしていた。それだけではなく、エビグラタンパイはどちらかというとご飯系のパイであり、甘くないし、ミスドの中では異色の存在に映った。
一口齧ると、グラタンなのだけど優しい甘みがした。衝撃だった。きみ、ドーナツじゃないのになんでそんなに美味しいの?というか早く言ってくれよ。という理不尽な思考が駆け巡った後、私の中ではポンデリングと並ぶくらい、エビグラタンパイが《ザ・ミスド》となった。逆にドーナツを食べている人をみて、『エビグラタンパイの美味しさを知らなかったら布教したい、、、』とムズムズするほど、私はエビグラタンパイに魅了されてしまったのだ。
校則で学校帰りに買い食いしたり、カフェでだべるのは良くないとされていたから余計楽しかった。学校の最寄りからは離れて喫茶店に入り、友達との時間を謳歌する場所は、いつもミスドだった。知り合いだった年上のお姉さんがたまにミスドでバイトしている姿をみて、キラキラした瞼と繊細なまつ毛に憧れたりした。
大学生になると、めっきりミスドにはいかなくなった。高校3年で受験勉強が本格化して以来、ミスドから足が遠のいており、その途中で、最寄りのミスドが閉店してしまったのだ。
また、私も自分で自由になるお金を手にして行動範囲を広げたため、ミスド以外も知るようになった。
高校までは、ミスド、マックくらいだったものが、スタバ、エクセルシオール、クリスピードーナッツ、それからそれから、、、と休憩しようと思った時に描けるものが多くなった。
だから、ミスドの閉店は一種の切なさはあったが悲しさはなかった。実際しばらくミスドのことは忘れていた。
ミスドに再び出会ったのは、鹿児島。転職の間の休み期間で、一人で旅に出た時、鹿児島中央駅の大きな道路を挟んだ向かいに、ミスドが見えたのだ。もう東京に帰る前で、空港に向かうバスにあと二時間ほどで乗ろうかと思っていた時だった。
鹿児島では黒豚など、たんまり美味しいものを食べた後で、『これが食べたい』は尽きた後であったはずなのに、対岸のミスドをみて、『エビグラタンパイが食べたい』と思ったのだ。
一緒にミスドに行った友達のことや、おかわり無料のコーヒーを待ってそわそわした小さなことまで、思い出がぐわっと私を追い越して、道路なんてお構いなしにミスドに駆け込んでいく。今までどこにいたんだ君たちは。
大きな歩道橋を渡り、さらに小さいけれど全然青にならない横断歩道を渡って、たどり着いたミスドで思い出は待っていた。エビグラタンパイがショーケースに綺麗に並んでいて、安心した。
あーこれ。これよ。包み紙がこんなに黄色だったかなあとか、もっと正六角形っぽくなかったっけとか、思い出と辻褄合わないところもあるが、これなのだ。
思い出を重ねて食べたエビグラタンパイは、やっぱり優しい甘みがした。
家の近くのミスドには、まだ行けていない。私は決してミスド常連ではない。
けれど多分私は、そのうちまた『エビグラタンパイが食べたい』となって、思い出を追いかけるべく長い信号を待つのだろうと思う。
思い出が呼び寄せてくれる日に、またエビグラタンパイが食べられますように。
ロングセラーだから大丈夫だと思うけどなくなったりしないでね。