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裏紙メモ用紙職人の朝は早い〜ザ・プロフェッショナル
「こんにちは。よろしくお願いします」
ーーそう、匠は我々の前に姿を現した。一見するとどこにでもいる中年の男性だ。
しかし、彼こそがいまは失われつつある、裏紙メモ用紙をつくりつづける匠なのだ。
ーー匠は出社すると、オフィス内を見回る。なれた足つきだ。
「あったあった」
ーーそういって匠は、コピー機の横に積まれた印刷物を指さした。
ーーおそらく、印刷して取り忘れた書類やコピーミスのものだろう。それを、匠は手にもつカバンに入れる。
そして、いくつかの箇所を周り、同じ要領で書類を見つけていく。
「朝早く来ないと、ゴミとして捨てられてしまうからね。清掃員の人が来る前に集めないといけないんだよ」
ーーなるほど。と我々は合点がいった。なぜ、こうも朝早くから出社しているのかを。
匠は会社が契約している清掃会社の清掃員が来るためにこうして早朝から会社に来ているのだ。
「ああ。ここにもあった」
その一画には書類の束が積まれていた。
社外秘と書かれた会議資料。重要そうな書類だ。
「昨日は営業会議がありましたらね。いまだにどうしても紙で資料を配るんです。その時に予備を用意するし、欠席者がいたりして余った分が、こうして廃棄されるんですよ」
その区画には「機密書類廃棄ボックス」と書かれた中身の見えないボックスが置いてあった。
おそらく清掃員が来たら、ボックスの中身といっしょに廃棄してもらおうと置いてあるのだろう。
通常の勤務開始時間に来ていたら、清掃員がすでに決められた手順で廃棄していた。しかし、匠の熱心な活動のおかげでこうして、回収を免れた。
ーー皆が出勤してくる頃になって、匠は自分のデスクについた。
そして、慣れた手つきで金属製の定規を手にすると、ジャッ!! ジャッ!! と回収した紙を切り始めた。
熟練の技がうかがえる。とくになにもつかうことなく、大きさは揃って、紙が切られていく。
一度に切る紙の枚数も決まっているようだ。
「一度に多く切ろうとすると、破けてしまうことがあります。かといって少なすぎると回数が増えてしまう。そこのバランスが重要です」
そういって、綺麗に紙を切っていく。
一山はある紙を切っていくのは技とともに体力も、そして、時間もかかる。
結局、回収した紙を切り終えだけで、午前中が終わってしまっていた。
そして、午後は切った紙をホチキスで止めていく。
みるみるうちに、廃棄されるはずだった書類をもとにした裏紙のメモ用紙が出来上がっていく。
裏返すとおそらく社外秘だろう端々が見て取れた。
匠の技と時間をかけて作られた逸品だ。
「もう少し早くおわることもあるんですけどね。昨日が営業会議ということで、思ったより材料が多く、時間がかかってしまいましたね」
そういって匠は苦笑する。
そして、出来上がった裏紙メモ用紙の束を持って、歩いていく。
てっきり文具置き場にでもおくのかと思ったが、違った。
そこは倉庫で、よく見ると裏紙メモ用紙の山があった。その一画に今日できた分を置いた。
「最近は需要がすくなくなってしまってね。供給と需要のバランスが崩れてしまっているんですよ」
過剰に思える在庫をみながら、匠はいった。
安価なメモ用紙が出回るようになり、また即配達の文具通販の需要で、メモ用紙が会社の中で不足することなく、裏紙メモ用紙が使われることは特にないのだという。
ここにも価格競争があるのか、と我々が思う。
「でも中には、味わいがある、といって使ってくれる人もいたんです。でも、会社から禁止されてしまってね」
ーーなぜ? と聞くと、匠は寂しそうに答えた
「裏紙を利用するのは、情報漏洩の可能性があり危険だ、ということで、裏紙の再利用の廃止がきまったのです。原則、書類は決まったルールで処分しなければなりません」
ーー淡々と述べる匠だが、そこには静かな憤りが宿っているように思えた。
聞くと、裏紙をメモに使っていたところ、社外秘の情報を顧客に見せてしまったことがあったらしい。
昨今は個人情報や情報漏洩にも厳しく、コンプライアンス上も会社としてはやむを得ないのだろう。
となると、匠の活動は会社から疎まれているのではないか、という素朴な疑問が生じた。
「おっしゃる通りです。でも、自分はこれしかできないので。これをやり続けます」
かつて匠は、裏紙をメモ用紙として利用するというコスト削減を社内に広め、「いいこと思い付きますね」と褒められたことがあるらしい。
しかし、それがいまでは会社から原則禁止とされているのだ。なんという皮肉だろう。
かつてコスト削減で褒められたものが価格競争に負け、また会社活動の枷となっているのだ。
現在は黙認されているが、日に日に匠の活動への風当たりは強くなっているらしい。
「いわれますよ。なぜ、勤務中にそんな雑務をこなすのか、と。でも、それは表面的な言葉に思えてしまいます。自分はこの仕事に誇りを持っていますから」
そう匠は強く、答える。
まっすぐな眼差しだ。
匠は最近、裏紙メモ用紙の普及活動として、各課のオフィスを周り、デスクに一つ置いていく運動を始めたらしい。
また、すぐにできる裏紙メモ用紙の作り方講座を昼休みに開催を検討していると、我々に語ってくれた。
日々、疎まれながらも、裏紙のことを熱心にかんがえる姿は、まさに匠と呼べた。
匠の活動を通して、姿を変えながらも、裏紙メモ用紙の文化は続いていくかもしれないーーーそう思った。