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成瀬巳喜男『あにいもうと』~限られた空間で描かれる兄妹の愛憎と女性の強さ

東京に行った空き時間で、ミニシアター「ラピュタ阿佐ヶ谷」に行って、久我美子特集の成瀬巳喜男『あにいもうと』を観る。東京は古い日本映画をこうして観られるのがいい。

多摩川で川師の親方として地元を仕切っていた老人・山本礼三郎は、コンクリートで固める護岸工事の時代になって隠居暮らし。酒ばかり飲みながら、「かつての仕事は良かった」と言ってばかり。川と共に生きてきた男としての矜恃があるが、時代の変化について行けなくなった。川で遊ぶ子どもたちが映し出され、この川沿いの家族の物語が始まる。娘たちは川向こうの東京へ働きに出て行った。妻の浦辺粂子が夏は「かき氷」、冬は「おでん」の売店をしながら家計を支えている。

東京の看護学校に行っている次女・さん(久我美子)がバスで帰ってくる。バス停のそばの製麺所の息子の堀雄二とは恋仲のようだ。するとその両親から、「ふしだらな女の妹とは付き合うな」と息子は言われてしまう。長女のもん(京マチ子)は、東京の料理屋に奉公に出ていたが、学生と恋をして妊娠。暇を出されて帰って来ていた。実家で京マチ子は寝そべってばかりいる。お腹に子供を抱えて傷心で帰ってきたのに、兄の伊之吉(森雅之)は、罵詈雑言で京マチ子を責め立てる。そしてもんはフラリと出て行ってしまう。

やさ男のイメージが強い森雅之が、本作では無頼で乱暴者の兄を演じている。その乱暴の裏側には、妹の京マチ子を小さい頃から面倒を見て溺している気持ちの裏返しがある。謝罪に実家にやって来た妹の相手の学生、船越英二を帰り道でつけ回し、張り倒す。ビクビクして後ろを気にしながら早足で逃げる船越英二とずっとつけ回す森雅之の歩きの描写も面白い。兄は「可い妹をよくも傷つけて、今ごろ来られたもんだな」と怒りが収まらない。しかし殴った後の別れ際、「バス停は左に行ったところだぜ」と兄が学生に言う。そんなところに、兄に人間味を演出している。売店の金をくすねたり、パチンコ屋に入り浸り、仕事も長続きしないロクデナシ。父のようにはなれず、妹は奉公に出てお金を家に入れ、そのお金で次女は看護学校に通う。自分は何も出来ない不甲斐なさ。妊娠した妹に腹を立てつつ、自分にも腹を立てているような感じ。自分を持て余してどうにもならない男の葛藤と妹へのが、船越英二への暴力で描かれる。

東京からバスで実家にやってくる次女の久我美子は、製麺屋の息子の堀雄二と一緒になって、「私たちさえしっかりして、川向こうの東京で暮らせばなんとかなる」と彼に言うが、堀雄二は親の決めた縁談相手を優柔不断で断り切れないダメ男。船越英二が謝罪に来た日、堀雄二は「このままでは身動き取れなくなる。一緒に東京へ逃げよう」と久我美子を誘ってバスに乗り込む。バスの中で、兄の森雅之に殴られた後なのに、のん気にまんじゅうを頬張る船越英二と乗り合わせるところが面白い。そして駅前で「やっぱり一人で東京へ帰るわ」と言う久我美子と堀雄二が言い合う場面も成瀬巳喜男らしい男女の別れの演出だ。二人は言い合いながら、久我美子の立ち位置が入れ替わり、決然と男に「親にもちゃんと言えるはずだわ」と言い放ち、電車に一人乗って去って行く久我美子。見送ることしか出来ない男。そしてお盆に久我美子がやって来たときは、すでに新妻をもらって一緒に働いている堀雄二が映し出される。省略によって描かれる成瀬巳喜男がよく描くダメ男。久我美子は、バス停前の製麺屋を通りたくないのか、「変なところから来るわね」と姉の京マチ子に言われ、二人は道で一緒になり、お盆の時期に実家に帰ってくる。

映画のクライマックスは、久しぶりに帰省した京マチ子と兄の森雅之との大喧嘩の立ち回りである。京マチ子はすでに子供を流産し、新たな人生を自分で切り拓いている様子。女として生きる強さ、逞しさが増している。相変わらず実家の畳で寝そべりながら、酒を飲んだりしている京マチ子。妹の久我美子も「あんなしっかりしていない男だとは思わなかった」と、別れた男のことを言う。兄の森雅之は、墓石の字を掘ったりする職人になっているようだ。それぞれの変化。お盆で家族みんなでおはぎを食べている時、船越英二が実家に謝罪に来て兄が彼を殴った話をする。その話を聞いて、京マチ子が突然怒り出す。「誰がおまえにそんなことしてくれと頼んだ。なんでそんな卑怯なことしたんだよ」と、自分のかつての男を兄が殴ったことが許せない。兄と妹の大喧嘩が始まり、母も次女も止めようとするが、京マチ子の怒りは収まらない。殴りかかる兄、男勝りの京マチ子も負けてはいない。「凄い女になったねぇ」と母も呆れる始末。

ラストは、姉と妹の二人が連れ立って田舎道を帰って行く。前の晩の灯籠流しで堀雄二夫婦を見た次の朝、久我美子が笑顔で手を振っている場面に切り替わる。母への別れの挨拶だが、それは同時に別れた男との訣別の笑顔でもあった。製麺所前のバス停ではないところまで二人は歩いて行く。「あんなイヤな兄でも、たまには顔を見たくなるのよね」と京マチ子は兄のことを言うのだった。時代に対応できない父親の不在があり、家族から自立できないダメ男や家族の柱になれない兄がいて、「男なんてクズばかりよ」と男に溺れながらも言い放つ姉と、「結婚だけがすべてじゃないわ」と男から自立しようとする妹がいる。

川で始まり、川向こうの「東京」は一切描かれない。あくまでも川のこちら側の田舎町が舞台である。川向こうの東京とは隔たりがある。実家があり、売店があり、何度も出てくる田舎道がある。限定された空間と道。季節ごとに姉と妹が帰ってくる時間経過だけで、物語が進行する。製麺所や川沿いの空き地、バスの中や駅前、灯籠流しなど限られた時空間のみで、兄と妹の葛藤、家族のそれぞれの思いが描かれている秀作だ。


1953年製作/87分/日本
配給:大映

監督:成瀬巳喜男
脚色:水木洋子
原作:室生犀星
企画:三浦信夫
撮影:峰重義
美術:仲美喜雄
音楽:斎藤一郎
録音:西井憲一
照明:安藤真之助
キャスト:京マチ子、久我美子、森雅之、山本礼三郎、浦辺粂子、船越英二、堀雄二、本間文子、潮万太郎、宮島健一、山田禅二、河原侃二

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